年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

露伴と遊び 塩谷賛著

2009年01月13日 | 福神漬
露伴と遊び 塩谷賛著
根岸派(根岸党)を調べてゆくうちこの本が気になって借りる。一般に根岸派というと根岸に集まった俳人正岡子規らのこともあるが福神漬の関係するのは饗庭篁村(あえば こうそん)を中心とした人達のことである。
 根岸に集まった文学・芸術の遊び仲間で、彼等の明治時代より江戸のほうが住みよく暮らしよかったと言う気持ちが共通していた。
 上野山下三橋の忍川で『八笑人』などを読んで茶番の趣向は変えていたようである。

明治25年高崎にむかう汽車の中で幸堂得知が梨を剥き、富岡永洗(新聞の口絵画家)が竹の皮をひらいてのり巻きを、森田思軒(新聞記者・翻訳家)が福神漬をだして薦め、それを肴にまた酒となる。(55頁)
何気ない記述だがこの頃は福神漬は缶詰で旅行の時の副食として宣伝していた。
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