年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

皐月晴上野朝風 26ー3

2009年01月17日 | 福神漬
皐月晴上野朝風 26ー3
まとめ
明治の文化は歌舞伎のような日本伝統の演劇でも欧米からやってきた文化に多かれ少なかれ影響を受け、日本になじむように消化する時期でもあった。日本の漬物も新しい食文化に入ってゆく時でもあった。自給自足的生活から軍隊・学生寮・工場宿舎等の需要が出てきて食事を作らない生活が広まった。このような過渡期に福神漬が生まれた。しかし漬物を金で購入する時代ではなかったので販売拡大にはかなりの工夫が必要だった。
 上野寛永寺の山下にあった酒悦は上野戦争で顧客が減り苦労していた時でもあった。唯一繁盛していた池之端仲町の守田宝丹は船舶の高速化でコレラという病気が日本に蔓延し、その薬を販売し利益を上げていた。守田は明治広告業界の祖ともいえる人物でもあった。広報の雑誌を作ったりチラシ広告を各戸へ配布したり、新聞に広告出したり、現在にも通じる広告手法を使っていた。
 酒悦主人がこの影響を受けている。明治の食品の販売は20年代までブランドリーダーとも言える芸者さんを通じて広まっていた。(日露戦争後は女学生)福神漬も芸者さんによって広まっていった。
コメント
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