年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

花神 司馬遼太郎著から

2009年01月04日 | 福神漬
花神 司馬遼太郎著から
司馬遼太郎全集の31巻月報に5月15日の上野戦争で焼失した地域の地図があった。それによると焼失した地域の大部分は今の上野広小路の周辺が多かった。その中で守田宝丹の店は今とほぼ同じところに在ったことがわかる。
 雁鍋という料理屋は不忍池から流れ出した川が上野山下と広小路を分ける形となり、三橋が掛かっていた脇にあった。不忍池は今よりはるかに大きく黒門が寛永寺攻略に鍵となるのが地図上でも理解できる。
 官軍の大村益次郎は彰義隊をキレイに敗北させる作戦を立てたと思われる。一日で終わらせ、火災が発生しても梅雨時なら大火事にならないこと、逃げ道・転戦先をのこし徹底抗戦させないように作戦を立てた。この作戦に烏合の衆でもあった彰義隊は敗北した。江戸庶民は地元の人を除き新政府になびいていった戦争でもあった。
 上野の山が荒廃し、公園化するまで山下の繁華街は苦労した時だった。以前繁盛していた時を思い出して、新富座で上野戦争の歌舞伎に上演されるとその応援には力が入っていた。
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