年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬から

2009年01月22日 | 福神漬
福神漬から
明治22年憲法発布時期ころから江戸は良かったという懐旧の情が堂々と口にすることができるようになったが、明治政権内部には戊辰戦争のしこりがあったと思われる。幕臣榎本大臣が黒田政権から山縣政権になった時、居心地が悪かったのではないのだろうか。表向き仕事の件で更迭となっているが山縣は腹心を入閣させるため立場の弱い榎本の辞任を強いたのである。
 勝者の歴史は書物として残るが敗者の歴史は埋もれ、子孫とか縁者の口伝えで残る。彰義隊のことはほんの半日で終わった戦いであったが下谷地域の人達にとって印象の残る事件であった。下谷の池之端で生まれた福神漬は地域の支援で次第に広まってゆく。しかし漬物としては高価であったため販売拡大は困難だった。そこで下谷の人達による口コミによって広まってゆくのである。上野山下の料理屋、数奇屋町の芸者衆から伝わってゆく。この広まりは静かに拡大し、日清・日露戦争に参加した軍人によって日本全国に広まる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする