年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

梅に鶯

2011年02月25日 | 福神漬
今年和歌山県みなべ町の梅まつりの会場で各種の梅酒を飲んでいたところ、会場の外の紅梅に鶯が止まっていた。がけ地にある紅梅で普通なら見上げる位置に鶯が止まっているのが眼下の紅梅に止まっていた。梅に鶯は取り合わせのよい二つのものの例えとなっているが実際にみると驚く。
 福神漬の命名で師匠にあたる梅亭金鵞の弟子となった長井総太郎少年が自身のペンネームを鶯亭金升としたのは「梅に鶯」と長井少年が住んでいた根岸の里は鶯の里とも呼ばれていて、JR山手線の駅名にも「鶯谷(うぐいすだに)」となっている。これは上野寛永寺に京都からやってきた貴人が江戸の鶯には訛りがあるということから、わざわざ京都から鶯をつれて来て根岸で放したという言い伝えもある。
 みなべの里の梅資料館にも大きな鶯が訪れる観光客を待ち構えている。
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