年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ミャンマー漬物紀行2 ヤンゴン商工会議所

2012年11月14日 | 宅老のグチ

11月9日前日の宿泊トラブルで分宿となったため、早めにヤンゴンの商工会議所へ会議のため早起きする。
 9時より青果・果物.花卉などを扱う部会の副理事等との3時間の会議となった。全般的なミャンマー農業事情の説明から入った。全人口の60%ほどが農業に従事していて基本的には工業発展とともに農民の生活向上をめざし、日本へ農産物を輸出したいと思っているようだ。現状ではインフラの問題があり、乾燥した野菜しか輸出実績がなく、逆に高級な食品は隣国から入っているようだ。国内農業を発展させなければ他国のように人件費の安売りか天然資源を提供するしかない。アメリカと中国はミャンマーの天然資源を狙っているようだ。国境を接している中国は巧妙な手段を使って、ミャンマー北部の高速道路建設で道路わきの木材を伐採して、中国に持ち帰ったようだ。
 日本から遠いミャンマーから農産物を輸出するには塩漬けした漬物が有望である。どうやら農産物の統計が貧弱でミャンマーから生姜等がタイ経由で日本に入っていることは知らなかったようだ。同時に雲南省経由で日本に輸出されていたものがあって(コンニャク)今はミャンマーから日本商社を通して輸出するようになり、農民の手取りが増えたという。日本のスーパーのPB商品も作れるくらい設備が整っている。
 ミャンマー産の野菜はどちらかというと小ぶりのものが多く、日本向けの野菜にするには少し時間がかかりそうだ。梅の木もあって、接ぎ木すれば何とかなるだろうと同行の漬物業者が言っていた。
コメント
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