ミャンマー3日目、今回の旅行で一番心配していた日。午前4時モーニングコール。前日のホテルではモーニングコールはなかったがさすがに五つ星セドナホテルはきっちりとあった。それ以前に起きていてIPADでネットをしていた。4時30分ホテル出発。5時にはヤンゴン国際空港国内線に到着。国際線と同じ空港とは思えないほどローカル的雰囲気。出発は6時だが数分前にプラカードに便名を書いた職員が出てきて搭乗口に向かう。アナウンスがあったかどうか不明。とにかく人の流れに沿って改札と言う感じ。ヤンゴンから乗った飛行機はプロペラ機であった。ジェットでない飛行機に乗るのは30年ぶりか、飛行機の古さを心配しつつ搭乗する。室内は比較的真新しい。同行者によるとリニューアルという。ATR-72-500といい20年の実績のイタリアとフランスの企業が作った飛行機であった。ヤンゴンからヘーホー(HEHO)へ向かったが飛行予定では2時間半という。最短1時間強のフライトのはずだがどうしたことか。
飛行機がヤンゴンを飛び立つと間もなく機内食が出た。朝食をホテルで作ったものを持参して、空港で食べていたのに機内食が出た。こんなこともあろうとホテルの食事は半分だけで残していたのでかろうじて機内食を食べることが出来た。フルーツ、サンドウィチ、水。このとき女性のクルーが配膳している時、かがんだためロンジンの下から足首が見え、ストッキングしていたのがわかった。この後に靴下を履いていたミャンマー人は旅行中見かけなかった。Asian Wings Airwayと言う飛行機会社は2011年初めに出来た会社でまだ初々しい。今でも思い出せないのだが飛行機の出発前のパフォーマンスでシートベルト着用とか、酸素マスクの付け方があるが、この飛行機では救命胴衣の付け方をしなかった気がする。タイでもミャンマーでも離着陸時窓の覆いをはずす指導があった。飛行機が燃えた時、乗客自身で気がつくためだと言う。
1時間ほど過ぎるとシートベルト着用のアナウンスがあった。パガン遺跡と熱気球が見えた。途中着陸と言うことで乗客の半分(殆ど欧米人)が降り、少したって乗客が乗ってきた。よく見ると他の飛行機が2機ほど見え、相互に乗客を乗り換えているようだ。まるで日本のバスターミナルのようだ。手荷物もリヤカーの大型で手押しして運んでいた。
パガン飛行場を飛び立つ時、加速した飛行機は端まで行くと滑走路をUターンして反対方向に加速し飛び立った。パガンからヘーホー飛行場まで数十分だがお茶と飴が出た。
飛行機がヤンゴンを飛び立つと間もなく機内食が出た。朝食をホテルで作ったものを持参して、空港で食べていたのに機内食が出た。こんなこともあろうとホテルの食事は半分だけで残していたのでかろうじて機内食を食べることが出来た。フルーツ、サンドウィチ、水。このとき女性のクルーが配膳している時、かがんだためロンジンの下から足首が見え、ストッキングしていたのがわかった。この後に靴下を履いていたミャンマー人は旅行中見かけなかった。Asian Wings Airwayと言う飛行機会社は2011年初めに出来た会社でまだ初々しい。今でも思い出せないのだが飛行機の出発前のパフォーマンスでシートベルト着用とか、酸素マスクの付け方があるが、この飛行機では救命胴衣の付け方をしなかった気がする。タイでもミャンマーでも離着陸時窓の覆いをはずす指導があった。飛行機が燃えた時、乗客自身で気がつくためだと言う。
1時間ほど過ぎるとシートベルト着用のアナウンスがあった。パガン遺跡と熱気球が見えた。途中着陸と言うことで乗客の半分(殆ど欧米人)が降り、少したって乗客が乗ってきた。よく見ると他の飛行機が2機ほど見え、相互に乗客を乗り換えているようだ。まるで日本のバスターミナルのようだ。手荷物もリヤカーの大型で手押しして運んでいた。
パガン飛行場を飛び立つ時、加速した飛行機は端まで行くと滑走路をUターンして反対方向に加速し飛び立った。パガンからヘーホー飛行場まで数十分だがお茶と飴が出た。