年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ミャンマー漬物紀行10農業専門学校

2012年11月22日 | 宅老のグチ

Aung Pan町の市場を見た。現地の産地組合と生産物の情報交換の場で現地生産者が20名を越える人が現れ、日本語とミャンマー語?が入り乱れ、漬物業者が希望する農産物の話をしたため長時間となってしまった。Heho空港に戻る時間を考えると空港そばにある農業専門学校に行く時間が短くなった。
 農業専門学校は駆け足訪問であった。ナスが出てきた。校長先生が9日の土曜日の午後にもかかわらず応対してくれた。我々も土壌の酸性値とか様々な農業生産の係わる基本情報を提供してもらうことを要求した。短い滞在時間だったが明治の初めの農業生産性向上のため日本各地に作られた農業専門学校を思い出させた。まだ設立2年目で今後は地域の中心産業である農業を発展させるとヒシヒシと感じた。
 heho飛行場に帰る。発展途上国では結構飛行機遅延のアナウンスで油断していると定刻通り運行し、キャンセル待ちの客にチケットを販売することもあるという。無事Hehoを出発。ただこの地が十数時間ほどあと地震に襲われたことは誰も予想していなかった。訪問地の人々が無事であること祈る。マンダレーに着陸しヤンゴンへ戻る。すごい渋滞。
日本に帰ってミャンマー地震の概要を知る。結構大きな地震で現地に半日前にいたことは今でも信じられない。地震多発地域とは思えない建設中のビルの柱の細さを感じる。
コメント
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