関東大震災は大正12年9月1日のことで築地市場はこの震災で日本橋から移転したと言われている。しかし実際は築地市場の開場日は昭和10年である。この間築地に決まるまで紆余曲折の記録がある。そもそも震災が日本橋からの移転に決定的な印象があるのは隠れた事実があるためである。
明治の10年代後半から不平等条約改正のため、首都中心部の繁華街に隣接する土地に不衛生な施設があるといけないということから、東京の都市計画から日本橋魚河岸は最初から移転させることとなっていた。井上の欧風化政策が失敗に終わると、魚河岸移転計画も一時的に消えた。何回という移転計画も諸事情により頓挫した。魚河岸内部の反対派もあったが不衛生な施設に対する嫌悪感や働く人たちへの偏見もあり、移転予定地とされた所の住民反対運動もあった。結局築地の海軍施設の跡地に市場が決まったのは住民がいなく、迷惑度が少なかったためと思われる。