年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ゲイシャの缶詰

2013年09月16日 | 福神漬

ゲイシャの缶詰
ゲイシャブランドの缶詰がある。元は野崎産業の缶詰だったが今は川商フーズ傘下に入ってブランドが残っている。日本では馴染みがないが世界ではそこそこの歴史のあるブランドとなっているようだ。
 ゲイシャのことは知らない。知らない上にさらに明治18年頃の下谷のゲイシャがどうなっていたかさらに解らない。しかし結果として当時の彼女らの支援というもので福神漬という漬物缶詰が広まっていった。

[逆欠如の日本生活文化-日本にあるものは世界にあるか]園田英弘編著 (芸者とホステスと日本と 井上章一著)
 明治のゲイシャは娼婦ではない。しかし娼婦的行為がなかったということもない。18世紀の江戸と上方に芸者が登場した。江戸の遊郭はただ売買春が行われるだけの場所ではなかった。そこには歌や踊りの出し物があり、廓芸者は其の出し物のために養成されていた。初期の遊女の売春と芸能を分離したのがゲイシャの始まりであったという。
 一方廓芸者と対極にある町芸者は江戸や上方の茶屋や船宿の宴席に招かれ、さらに武家や商家の屋敷にも出えかけていた。江戸の留守居役の宴席に女性が列席していたのは芸者と推測される。幕末から明治・大正にかけて非合法な町芸者の売春が今日のゲイシャ買春との印象を引きずっている。明治の初期の遊郭等の売買春は条約改正を求める中で問題となっていた。女性が自立できない状態で遊郭から解放されても元の状態に戻るしかなかった例が多かったといえる。明治中期の下谷芸者はどんな状態だったのだろうか。

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