年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

文献の時差

2019年09月22日 | 宅老のグチ

明治の15年頃から23年頃までの下谷根岸の様子を調べているが、記録に残る時と実際の差がどう解釈するか悩むときがある。・正岡子規の俳句に八石教会のことが出るのは子規の人生の終わりとも言える明治34年であるが八石教会は明治の14年頃には根岸で活動をしていた。八石教会は明治40年代に衰退し消えてしまった。今は子規の句でその存在を知られている。

 子規の俳句の師ともいえる天田愚庵は福神漬の資料を調べていると、直接出ないのだが周囲の人たちの行動から、文献を支える。

今のところ、八石教会と旧幕臣との関係が鶯亭金升にはなさそうだ。明治という急速に変化した時に、真面目な習慣に馴染んだ人が時代に遅れて消えてゆく風景を見た。明治の20年代ともなれば鉄道が馴染む時期に人力車も乗らず駕籠や歩きで移動し、ちょんまげでは若い人が付いてゆけない。

 現金が今度の消費税で少なくなるのだろうか。高速のETCが普及し、料金所の混雑が消えた。何が起こるか時代は進む。

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