年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

昭和18年7.8.9月の戦時中の朝日新聞を読んでいて

2022年04月17日 | 宅老のグチ
 叔父がなぜ昭和18年7月に制度が出来たばかりの陸軍特別操縦見習士官制度の一期生に応募したか調べていた時、参考になったのは多くの図書館に所蔵されている朝日新聞縮刷版だった。特に昭和18年から4月の山本五十六の戦死、アッツ島玉砕から戦局が勝った勝った報道から苦し紛れの報道に微妙に変わっているが読み取れる。今の中国でも上海の封鎖報道が日々の感染者増大が医療関係者の疲労感が見え、逆に無症状の患者の方が元気である虚しさが見える。そこで政府は患者状況報道より、周囲の住民の美談を取り上げる報道が増えている。そこにも落とし穴があってSNS世界で誤って解釈する人もあって、混乱を増やしているようだ。日本でも地位とかの喪失を恐れない人・特に高齢者・おばちゃんの行動には社会の規制に不満が見える。失うものがない人が上海市の幹部の強権に抵抗し、対応のまずい行動はスマホに激写され、世界中に知れ渡る。慌てて動画が削除されても、規制のかからない異国に残る。

 昭和18年7月ころの記事で、醤油メ-カ-最大手のキッコ-マンが国内の大豆不足からコプラ粕からアミノ酸を抽出することに成功した新聞記事があった。日本の醤油は国産大豆から中国大陸の大豆使用で、戦時中でも不足はなかったと思っていたが、戦局が苦しくなるとやはり不足となって代用品とかの研究が進んだ。
 この研究が戦後に生かされ、大豆不足で醤油・みそ用に出なく、食料となったため、アミノ酸醤油が加工用食品に醤油の代用醤油となった。今の漬物分類・醤油漬に材料表示でアミノ酸とあるのは、先の戦争の名残である。今度のウクライナの戦争から始まる食料危機は工夫・節約の日本が新しい知恵を生むと思われる。

 必要は発明・工夫の母である。

 物価が上がりつつあるが抑え込むのでなく節約で対応し、値上げを容認しないと給与が上がらくなる。ただ年金世代が対応できないのでひと工夫必要となる。

 
コプラ(英語では copra)は、ココヤシの果実の胚乳を乾燥させたもの。漢字で椰子実とも当てて書かれた。主に東南アジア諸国や太平洋諸島で生産されていた。油を取った後の粕をコプラ粕という。廃棄物・粕利用は日本人の発想法。

 今から思うと昭和18年頃は南洋からの船が通航の途絶寸前だった。コプラ粕の報道は絵に描いた醤油かもしれない。今ロシアとの交易途絶で丸亀製麺の醤油はどうなるのだろうか。醤油・みそ・漬物はあまり異国では作られていなくて、戦前の海外移住した日本人はいろいろ工夫していた。パリに住んでいたの記録ではパンでぬか床を作って糠味噌漬を造っていた記録があったが出来るのだろうか。
コメント
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