千代田線小川町駅にはまだ降りたことはないが、千代田区立図書館で神田区雉子町32にあった団団珍聞と新聞日本(正岡子規の関係する)の位置を調べた。大正元年の地籍台帳と地図を眺める。どうやら今の小川町駅付近の様だ。神田まちなみ沿革図集(1996年出版)戸田伯爵邸(神田駿河台南甲賀町6)
の写真があって、後に今の中央大学に売却され、大学が郊外に移転した時、三井海上保険へ売られたようで、最寄りの駅は小川町駅となる。
戸田伯爵夫人が伊藤博文にレイプ未遂事件があった時。団団珍聞が報道や揶揄をしていないのは不思議だった。小林清親も銅版画で首相官邸の仮装舞踏会を残しているのに、小林が挿絵を描いていた団団珍聞には何もないし関連記事もないのが不思議だった。しかし戸田邸と神田雉子町の団団珍聞は近所で執事が珍聞に勤めている鶯亭金升に事実を伝えていれば、当時の東京警視総監の三島通庸の言論弾圧を避けたと思われる。団団珍聞は伊藤博文はいつも揶揄の対象で、当時から女好きで名声だった博文を戯画で批判しないのは不思議だった。
また明治期の地図では今は消えた神田区多町1丁目の地籍台帳があって,多町1丁目1番地に三野村家の名前がある。多町は今の日本最大の青果市場大田市場が神田秋葉原駅前に移る前、つまり昭和の初めの中央卸売市場が出来る前の江戸時代からの青果市場だった。地図から見ると水運と陸運(主として大八車)の便だろう。秋葉原は鉄道の便を考えて選ばれた気がする。
福神漬の顕彰碑の裏面に山田箕之助の名前があって、缶詰業界の本に神田多町2丁目7番地にある住所が広告に載っていた。そのあと関東大震災があって正確な記録等が消えているが噂の記録では江東方面に移ったという記述がある。福神漬を調べると東京関係のマイナ-な歴史は関東大震災と昭和20年3月の大空襲で歴史が消されている。
鶯亭金升 本名 長井総太郎 昭和29年10月大田区千鳥町で死去。最後は毎日新聞の文芸部記者だった。ペり―来航時に浦賀奉行として米国国書を受け取った戸田伊豆守氏栄の孫で、大垣戸田家とは親戚となる。自由民権運動福島事件被告人の花香恭次郎とは叔父甥の関係となる。