天気が良いので、再び蕨市図書館郷土資料室へ行き、河鍋暁斎の研究誌(暁斎)を読む、うっかり見落とした暁斎が梅亭金駕と相談し、暁斎画談の打ち合わせをいつ頃からしていたかの記述をメモするのを忘れた。今図書館には研究誌が120冊ほどあって、途中でそれる読み方をしているのでまだ見つからない。暁斎の美術館へ行って聞くことにして、歩いてゆく。
昼過ぎの平日の美術館は個人美術館であるので中の館員に要件を話して対応してもらったが、研究誌暁斎のデ―タでは瓜生政和では出ず、梅亭金駕で2件ほど出る。結局判らずもう一度蕨市図書館行きとすることになった。
帰途に西川口駅の方が近そうなので聞くと、やはり西川口の方が近かった。最初に暁斎記念美術館へ行ったとき、駅前交番で地図をもらい駅付近を徘徊してたどり着いた。あとで西川口はガールズバ-とかの風俗街の先端を行っている地域だった。それが中国人街へ変化し、本場の中国の味の店が増えた。コロナで地域がどうなったかを知りたくて、また阿弥陀くじ歩きをしたら閉店状況の店舗が多く、ここは今でも夕方から夜の世界の地域と見た。駅前に署名を集める人がいて核兵器廃絶だった。
ウクライナのロシアの攻撃で、原発事故の報道が事故当時ロシアで報道制限されていて、軍人たちが危険性を知らず、土を掘り塹壕として使用し撤退した。報道管制の怖さだろう。逆に福島の汚染水について、中国・韓国・台湾・北朝鮮の危険報道の過剰さを知るともし戦争になっても日本の原子力発電所は変な意味で核攻撃の抑止施設となると思った。制御できなくなった原子力発電所は軍人の力では無理で結局ウクライナでは今でも周辺施設しか攻撃を受けていない。ロシアが勝ってもウクライナが原発を破壊したと宣伝しても、誰も住めない地域となる。歴史を捏造しても放射能は消えない。ソ連の農業振興で水資源を取り尽くし、アラル海は小さくなって、干上がった土地が塩で覆われ不毛の地となったようだ。社会主義は一度政策が決まると明らかな失敗が出るまで止まらない。
今度のウクライナ問題で一番最初の破綻国はスリランカかアフリカのロシア支援国だろう。中国も支援していたアフリカ・アジアの穀物・原油価格の上昇で忙しい。貸し付けた金も今までは欧米が中国への対抗から支援し、二股外交できたがこれからは内向きの戦前のように囲い込み外交となり金のない国は見放される。貧困国は戦闘員とし、戦乱を長期化させる。生きるために人を殺す仕事が残る。
ロシアではバナナと紙が不足し始めたようだ。彼らはまだ昔のソ連を知っているので耐えることが出来る。日本は77年間の平和と自由貿易で毎日新鮮な食料を得ている。食料不足の混乱に耐えることが出来るのだろうか。不足した食の時代は安売りのところから欠品する。オイルショックの時築地場外市場では飲食店が砂糖等を確保するため並んだ。量販店でも品不足となれば真っ先に消える。