年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

小平のガスミュージアム

2022年05月22日 | 福神漬
40年ほど前に花小金井駅付近に得意先があって、途中にレンガつくりの古い建物があって気になっていたが仕事中は訪問することもなく、記憶に残っていた。福神漬の関連で横浜の豪商高島嘉右衛門を調べていた時、横浜のガス関係の仕事をしていて、そこでガスミュージアム を訪問した。展示物の最後の方に西洋風の建物の前に西洋人が立っている絵の記憶があった。この絵は長い間作者が不明で、下絵が河鍋暁斎美術館に残っていて、作者が判明した。
河鍋暁斎 「河竹黙阿弥 作『漂流奇譚西洋劇』パリス劇場 表掛りの場」

河竹黙阿弥 作『漂流奇譚西洋劇』パリス劇場 表掛りの場
明治12年(1879)9月に新富座で上演された。劇場前の茶屋にて掲げられたものです。今の感覚だと映画館前のポスタ-というのでしょうか。  この絵は鹿鳴館の絵とよく見なされるが鹿鳴館が出来たのは明治18年であって暁斎が想像で描いたものである。暁斎の絵で、新橋横浜間の鉄道開業前に、霊界行きの鉄道を描いている。
 河鍋暁斎の弟子に、鹿鳴館を設計した英国人コンドルがいたため混同されたと思われる。戦後の長い間鹿鳴館の記憶があったが写真は見つからなかった。明治の欧化主義の象徴が鹿鳴館で、この行き過ぎの反動が明治23年の憲法発布から日清戦争に向かい、不平等条約改正が進んだ。その後にロシアとの戦争でもう日本は極東の辺地ということから世界に出ることになり破綻した。
 この間のわかりやすい解説と感じた本がある。
鹿鳴館 飛鳥井 雅道著岩波書店 1992年2月

 本の名前は鹿鳴館となっているが、内容は明治欧化主義の変遷史と見た。
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