親族が船橋のアンデルセン公園に行った。山梨県道志村の美咲ちゃん行方不明事件で、子供の小学校1年生~2年生時期が一番事件事故に巻きまれるという情報で、アップルの持ち物を探すエアータグを妻につけて送り出した。
スマホでタグの情報を出してみると、行動の情報が入る。これは完全にスト-カ-行為と同じだなと思った。地図が小さいので船橋アンデルセン公園の周囲を拡大すると近所に八木が谷町の地名が出てきた。ここは福神漬の伝承を記述した、元毎日新聞記者の鶯亭金升(本名長井総太郎)が明治元年にこの地の湯浅家で生まれた。福神漬の歴史を調べ始めて十数年経って、この地でなぜなぜ出生した事情がおぼろげに分かってきた。戊辰戦争で賊軍となった旧幕臣は官軍によって処罰される恐れがあって、婦子女を隠した様だ。長井筑前守昌言は小栗上野介と共に一時幕府の武力で京都でク-デタ-計画があって、事前に計画が洩れ、とん挫した様だ。文久3年5月頃(出典石井孝著明治維新国際的環境191頁)この京都ク゚-デタ-計画の漏洩は徳川慶喜だったといわれる。金升の父長井筑前守昌言は大政奉還後の慶應3年末には幕府の目付となっていた。木村 芥舟 日記(慶応3年12月30日)には福沢諭吉の没収された洋書を解除する要請を長井筑前守は受けていたようだ。明治元年妊婦だった妻を旗本長井家の知行地の船橋八木ケ谷に疎開して出産した。父の昌言は子供に総州を忘れるなという意味で総太郎という名前にしたという。総州とは上総国(千葉県中部)、下総国(千葉県北部と茨城県南部)の総称。今の千葉県旭市飯岡町の上永井と下永井は旗本長井家の知行地。二足の草鞋と言われた飯岡の助五郎の住んでいた町だった。八木が谷町も幕臣長井家の知行地。船橋市史・鶯亭金升日記。
この八木ケ谷にある長福寺の境内に鶯亭金升の碑があるという。(未確認)アンデルセン公園に駐車し、歩いて行けるところである。一度確認のため訪問したいと思う。