年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

何か気になる宮古島での自衛隊の事故

2023年04月24日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
ニュ-スで宮古島周辺での自衛隊の事故で陸上自衛隊第八師団長が交代するという。昭和20年5月20日に沖縄嘉手納沖で米軍に特攻した叔父は今の伊江島付近で命がきえたと思っている。叔父たちの台湾の飛行隊はやはり陸軍第八航空師団で発足時は満州で次第に激戦地に転進していった。この航跡はきむらけんさんの著書ではっきり分かった。台湾の八塊基地から陸軍第204飛行隊が出撃した。今の航空自衛隊にも204という飛行隊がある。そしてその所属基地が沖縄嘉手納基地である。いつか基地見学に行って、隊員食堂でカレ―ライスに福神漬をたっぷり付けて、叔父の想いと語ってみたい。
 戦時でない日本で今でも自衛隊員は亡くなっている。組織が強大で事故も多い。これからは無人化だろう。ウクライナの戦争は機械と機械の戦いに旧来の戦争が混じる。
 最近借り出した本から
予科練」戦友会の社会学  -戦争の記憶のかたち-清水 亮著 

 今まで気になっていた、陸軍の特攻に関して知覧のように平和教育で人気の施設があるが類似の施設で海軍の特攻では茨城県の施設が有名だが特攻という取り上げ方でなく、見学後不思議な感情が出ていた。その理由がこの本で理解できた。多くの海軍飛行兵士は先の戦争の中期までに戦死していて、特攻飛行兵士養成学校の予科練の戦死者は相対的に少ない。人数は陸軍より多いのだが戦争の最後は飛行機等の不足で比較的に生存率が高い。叔父の陸軍特別操縦1期生の合格名簿、埼玉師範学校卒業者名簿(昭和25年埼玉文書館所蔵による)10名の合格者で戦後に行き残った人は8名いて、海軍の飛行士官へは22名合格し、死亡したもの5名の内、記録で特攻で死去したものは1名だった。もう海軍には陸地から出撃するしかなかった時代だった。学徒出陣で兵士となった人の生存率も高いと思われる。
 従ってミッドウェー海戦が和平の分かれ目であって、その後は負け戦の道しかなく、米軍は日本の軍国主義と妥協する選択はない。

 今ウクライナが日本のミッドウェー海戦のような分岐戦闘があるか気になる。多くの西欧の近代戦争は4年ほど続く。まだ1年。あと3年は想定したほうが良い。戦火はアフリカに向かうが、ウクライナが勝っても、戦闘経験の豊富な国が黙って戦後を耐えるか疑問で今はまだ誰も想定していない。
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