年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

江戸時代の暦の改変の基礎知識

2023年04月26日 | 宅老のグチ
20年ほど前に日本橋のべったら市が毎年10月19日20日に開催されていて、江戸時代と一月ほどずれていて、その影響を調べていた。
  明治の初めに改暦があって、太陰暦から太陽暦に変わった。「明治5年12月2日の翌日は、明治6年1月1日」――明治6年、新政府は太陰暦から太陽暦への改暦を断行した。 普通はこんな知識だろうが当時の混乱は多くの書籍から知ることが出来る。この強行ともいえる改暦は政治権力の暦ということの意思の強さでもあった。暦は日本では中国からの知識で長い間中国の暦をそのまま使っていた。江戸時代になって天体運動との差が出てきて、中国の暦では不都合なことがあって日本の暦を作るという動きがあった。それでも太陰暦の中での改良だった。吉宗の時代から西洋の学問が医学、植物学などから入ってきてそのうち理系の学問も知るようになった。問題はキリスト教の支配下にある西欧の学問をどのように日本化することだった。


天文方と陰陽道 林 淳著 2006年8月
 江戸時代、江戸城で1日は将軍が大名旗本などのと接見する日で日食がおこると予想されると時間調節して日食の時間は接見に充てないように工夫していた。幕府朝廷にとってあってはならないことだった。
 1763(宝暦13年)9月1日に暦には記載されていないのに日食がおこってしまい幕府の権威が落ちてしまった。この日食は市井の学者が以前からこの日に日食がおこると進言していたのに、幕府は無視していた。翌年から幕府が暦法の修正に取り掛かった。72頁

 べったら市が新暦の10月に移行したため、市で使うベッタラ漬大根の品種改良が促進された。板橋の百姓みの吉のダイコンが一番適していて、それから品種改良競争が始まる。昨年練馬ふるさと文化館で開催されたダイコンの展示では種屋の展示が多いと感じた。今でも巣鴨にある市場付近に種屋がある。桜の染井もこの付近で、江戸時代は種子が江戸の土産だったことを知る。
 夏ダイコンは辛みが強く、ひと月繰り上がったべったら市のため品種改良とか人工甘味料のサッカリン使用という方法もあった。その当時はサッカリンの毒性は知られていなく、初めのサッカリン規制は栄養分が無いということで規制され、例外で糖尿病患者用に使用許可されていた。この例外措置から違法使用される食品が多数検挙された。この印象が戦後に継続され、今でもサッカリンは嫌われている。しかしサッカリンほど素人でも見分けがつく人工甘味料はない。それは後味が悪く、食物が口から胃に行っても、舌に甘味が残るので今は安物の漬物以外使われない。

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