年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

大臣の高校中退の学歴

2024年11月12日 | 宅老のグチ
第二次石破政権の大臣の学歴を見ていて、ある大臣が高校中退という学歴だった。中退の事実でその学校は証明を出せるのだろうか。
 福神漬の絡みで千葉県野田市の昭和初期の労働争議の文献を読んでいて、野田市の小学生が親の意向で同盟休校という、出席ストライキを行った。小学校で子供同士が揉め、ヘンな雰囲気になり、そこから年度末の3月に卒業資格の問題となった。このことは未就学という学歴になってしまい、一生生活困窮者と同等に見なされる恐れがあった。この当時の様子が野田市市史研究15号に詳しく書かれていて、今の学歴偏重問題より小学校を出ていないことがいかに当時の社会問題となっていたことを知った。その野田小学校は児童の増加で争議期間中に新校舎が完成したが、祝賀の行事が出来なかった歴史がある。今は野田中央小学校という校名に変わり、3000名を超す小学生が少子となり、多くの余剰教室があって、奉安殿等が戦前のままに残っている。そも校舎も間も無く完成百年となり、都市遺産の学校になると思う。
 学歴でも大卒の学歴が欲しいのは日本の親で、この圧力で多くの学生が卒業でおとなしくなる。戦前の同志社大学で軍事教官の問題で忌避していたら、軍事教練の科目を履修しないと卒業資格がなくなった時があった。すると同志社への志望者・入学者が減ったという文献を読んだ。結局親は大学での勉強より卒業証書が欲しいのである。昭和の30年代から40年代にかけて大学紛争があったが、学内の仲間同士の闘争で多くの学生が死去した。この死によって学生運動が弱くなった。親は死なせるために大学に行かせたのではない。
 学歴の次が就職であるが日本で旅行してる外国人の人のインタビュ-を見ていて、結構将来のために旅で知見を披露め、再度大学院で職に繋がる勉強をする様だ。日本は就職というより、就社というように見える。一斉入社でそこから職業訓練となる。添いの制度から外れるとうだつの上がらない人生となる。ところが長い不景気で、一生安泰だったと思われた大会社も消える時代となった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 中国では光棍節と言うけれど | トップ | ちらほら見る七五三参り »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。