年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

モンド

2012年02月14日 | 福神漬
ここ最近モンドコレクション?で賞をとったという食品がある。何か多すぎて賞を乱発している気がしている。ところで最近モンドという人を知った。『町野主水』
 町野は幕末明治の会津の人である。会津人しか知っている人が少ないと思われるが自由民権運動福島事件の時、町野は福島県令だった三島通庸の働きもあって、御用政党の会津帝政党を創った。これには維新時会津を裏切った三春藩の自由党河野広中に対抗することもあったと思われる。河野等が投獄されて、明治17年三方道路が開通すると会津帝政党は解散したという。三島通庸も土木県政を評価すれば東北の交通を進歩させたと思う。
 いまでも福島県民の心の中に戊辰戦争の恨みが残っていて、何か問題が生じた時(福島県内の地域対立)、表面に出るように思える。
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築地市場開業77年記念日

2012年02月13日 | 築地市場にて
昭和10年の建国記念日明けの日に築地市場が開業した。大根河岸の青果商三周藤浦富太郎氏さんの本(明治の宵)によると京橋大根河岸からバント(音楽隊)を先頭として歩いて築地市場に乗り込んだという。昭和10年といえばすでに中国との戦争で泥沼化していて前途に不安を持っていて、誰一人自身を持って将来を語ることはなかったと思われる。魚河岸の歴史の本を読んでいてもすぐに軍事色の強い規制の羅列で品不足の時代に商いをしてゆく困難があったと思われる。築地市場は今日で開業77年となる。豊洲へ移転して開業日の本命はやはり今頃だろう。
 漬物業界も軍隊用の食ということで砂糖。醤油・塩等が優先的に配給されていたが配給の横流しの疑いから憲兵隊によって拷問されたという。この拷問経験が戦後のJAS規格制定時に残っていて漬物規格に影響を与えた。
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シャワールーム

2012年02月12日 | 築地市場にて
殆んど築地通の人も知らないが今でも築地市場の中に銭湯もどきの施設がある。ただ銭湯的な部分は午前9時より午後4時までしか使用できない。(男性のみ・210円)つまり後の時間は築地市場外の銭湯を利用するようにすみ分けている。午後4時からは宿泊者のための施設となる。泊まった人の話だと早朝から活動する築地ではうるさくてよく寝られないという。それに夜間の風呂が9時で閉まってしまうので場外で飲み過ぎて風呂に入れないこともあるという。一般人も利用できるが話の種なら良いかもしれない。なおこの厚生会館は今のところに建ったまま隅田川よりに何年か前に数メートル動いた。
 新しい豊洲市場にはいまシャワールームを作る話が進行している。100円なら利用する人も多いだろう。豊洲市場のヒアリングが着々と進んでいて、付帯施設の業者まで設備の状況を聞いているようだ。何しろ3万人以上の人が働いている施設を動かすことは大変である。とても全員の円満な移転合意などあり得ない。
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南茅場町を調べる

2012年02月11日 | 福神漬
南茅場町を調べる
明治6年の南茅場町の沽券図(土地の所有者=税金を払っている人)を中央区京橋図書館でコピーする。また顔なじみの人に明治9年の南茅場町の沽券リストを見せてもらう。
 三菱(初期の会社名は異なる)の岩崎弥太郎は明治3年11月貴川田儀八所有の南茅場町18の土地を購入した。500両だった。またほぼ同時期に小西惣兵衛より南茅場町の土地を215両で購入した。(三菱社誌第一巻)しかし京橋図書館の地図では16番地の名義人は河村太郎兵衛である。三菱社誌によると名義を変更したのは明治10年2月となっている。明治7年1月9日戸村善兵衛から南茅場町24の土地を購入している。南茅場町23の土地は東京海上火災保険が発足した時の本社所在地となっている。三菱が南茅場町の土地を集中的に明治3年から明治10年ころまでに購入していたことが解る。この地は第一国立銀行ができてから金融街となりつつあった。と同時に税収の足りない明治政府が酒業界に課税を強化していたし、明治初期の東京の人口減少で不況であった。従って江戸時代から新川付近にあった酒業界の不動産が流動化したと思われる。
 南茅場町のどこかの商店で花香恭次郎が慣れない仕事を三菱が発足した頃働いていた。また福島事件を批判した浮世絵を出版した原胤昭は南茅場町49に居住していた。
 
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ならず者国家 Rogue States

2012年02月10日 | 福神漬
アメリカがブッシュ大統領の時、ならず者国家という言葉があった。ペリー来航時にアメリカの国内では鎖国している日本をならず者国家とし、開国を要求する軍隊を派遣する理由とした。太平洋で貿易や漁業を行うアメリカ船員の補給地を求める目的もあったが、そもそも軍隊を派遣することがアメリカ議会で認められたのは日本に漂流したアメリカ船員が日本の残虐な(西洋の感覚で)刑罰を受けてはならないという聖戦という考えがあった。  関門海峡で砲撃を受け、欧米の諸国が連合して、国際規範に従わすため下関を攻撃し、占領した。この後始末を幕府が請負って、不平等が増えた条約を結ぶことになった。明治10年代からこの不平等条約の改正の動きが日本の政治経済の中心となっていった。 一般に不平等条約の内容は関税自主権、領事裁判権,検疫権等の治外法権とされている。日本の刑罰制度が文明国の制度から見ると残虐であると考えられていた。元南町奉行与力の原胤昭が石川島監獄に投獄され、あまりにも西洋と違うことを知り犯罪者更生に向かった。 福神漬の様々なエピソードが明治歴史に影に隠れて見えるのは驚くことである。
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パンの塩分

2012年02月09日 | 築地市場にて
今朝のニュースでアメリカ人の塩分摂取量の話題があった。漬物のないアメリカでは何が一番塩分が多いのかと見ていたら、パンだった。2位は加工肉・3位はピザ、スナック菓子は10番目だった。
 漬物には塩分がある事はよく知られているが最近は浅漬けが増えてきて塩分量が減っていて、その上和食離れで漬物の販売量も減っているので、漬物由来の塩分量も減っている。古いデータから最近の減塩運動もあまり効果が無いように思える。また減らしすぎた塩分は気力を失い、食事がまずくなる。
パン自体の塩分量は少ないとみられるが食事回数、一回の食べる量が多ければ塩分の量も増える事となる。
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選択肢が増えたことで

2012年02月08日 | 築地市場にて
7日朝日新聞の朝刊報道で中央区と東京都が築地市場の豊洲移転後の跡地利用の合意ができたとあった。築地市場内外の業者にとってまた悩みが増えた。行くか残るか、または廃業するか、さらに両方出店するか考える事が増えた。3年後とはいえ世界経済が混とんとしていて、不景気状況脱出も見えず判断することは大変である。その上消費税等の増税も必死の状況、ついでに電力料金の上昇が小幅で済めば良いのだが原発処理代が加算するとなる。高齢者の人達は年金が減る上、物価上昇に耐えられず、消費を縮小するに違いない。また人口が減っているからインフレにならず、長期にわたる食品デフレの継続だってありうるのである。
 こんな時に豊洲移転があるから悩みは深い。
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築地市場外ガソリンスタンドの廃業

2012年02月07日 | 築地市場にて
築地市場内を走行しているターレーの殆どのガソリンを供給しているガソリンスタンドが3月末で廃業するという案内書が請求書の中に同封されていた。ターレーの吐きだす汚れた空気を減らすため、東京都は電動ターレーを普及させた影響と思われる。一時は1400軒を超えた水産仲卸も今では700軒ほどとなり、電動化も進んで給油渋滞も少なくなって心配していた。築地市場外のガソリンスタンドの需要は1軒分しかなくなったのだろうか。地下タンク交換の問題も残っているスタンドにもあるはずである。
長い不景気で見切りをつけるところが増えそうである。ようやく戻ってきた観光客数も以前のような雰囲気にはまだ戻っていない。築地市場のバトルロイヤルは今後も続くのだろうか。残存者が利益を得るのだろうか。ターレーのガソリン容量は小さく、場内走行でも一日おきの給油となる。遠くのスタンドまで給油にゆくことはできない。これでまた電動ターレーが普及する。

消防法改正で、スタンドの地下に埋められているガソリンや灯油などを保管するタンクの規制が大幅に強化されました。埋没後40~50年を超えたタンクは油漏れを防ぐために内面を繊維強化プラスチック(FRP)で加工するか、地下に電極を埋め込み電流を流すことで腐食を防止する対策が義務付けられます。廃業するにしても土地を売るため地下タンクを撤去しなければならないし、万一地下タンクから油漏れがあったら、汚染除去工事をしてからでないと土地を売ることができないという。
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長時間の築地市場の電気点検

2012年02月06日 | 築地市場にて
5日夕方4時45分に停電が終わる。豊洲へ移転するまであと2回の停電点検となるだろう。さすがに引越し間際の停電点検はないだろうから。東京都新市場移転準備室の職員の顔色が良く、余程の自信を持っているのだろう。
 UPS電池が劣化で予定の時間まで持つことができなく、印刷に手間取った。APC社のホームページは昨年と違ってUPSの安全な使用方法が告知されていた。震災後、通常と異なる使用をする人が増えたと思われる。電池の寿命は平均で4年ほどしか持たない。気温の下がる冬場は築地市場では部屋があたたまるまで異常動作をする。すぐ電源が落ちる。
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築地市場停電2回目

2012年02月05日 | 築地市場にて
例年停電2回目と要領も得ていて、緊張感がない。前回蛇足的行動でプリンターが故障した。ある程度自力で故障を直して対応したが結果的に木曜日にどうにもならなくなり修理を依頼する羽目となった。5日の水産部は停電がないようである。
 復旧の時間の予想が前回は外れた。4時過ぎには通電していたのだろうか。今回はまた京橋図書館で時間を潰す事になるだろう。電気点検が終わると築地市場の冬が終わる。春の卒業、就職、決算の時期となる。今年の寒さと雪の多さは地球温暖化を忘れさせる。
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おばさん系が減ってきて

2012年02月04日 | 築地市場にて
築地市場の荷受の幹部の人達と話す機会があった。「ここ数年女性が競り場に出ている人が増えましたね?」と尋ねると「男化して困っているという」答えが帰ってきた。リーマン前の人手不足の時に採った人が事務職に戻らないで現場に残っていて後輩の男性をこき使っているようである。
 昔に比べたら築地市場に女性が増えてきて、特に女性観光客が場内に侵入しているので危険がいっぱいである。まだまだ高齢者の築地人が多く、救急車が場内に入ってくることも度々である。サイレンを鳴らして消防自動車が築地市場に入ってくるとまた火事かと思う。最近は救急車の代わりに消防車が築地市場内に入ってくる。口の悪い築地人は出動手当目当てという。午後の場内には野次馬はいなく見物人がいる。
 豊洲へ移ったら、荷物は男性で、事務処理は女性となり世間一般の職場と同じようになるだろう。まだまだOAの機械が入っていない市場は不景気な世間から見ると活気がある。節電で早朝勤務の価値が認められてきて通勤混雑と無縁の築地市場。人生で金より時間と考えれば良い職場かもしれない。人口の口の半分は女性である。
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節分

2012年02月03日 | 築地市場にて
暦だけは進むが今年の寒気は強く、まだ春になったという気分は無い。しかし日の出の時刻は確実に早くなっていて春に向かっている事が解る。
 ビックサイトでイベントがあって地方からの来客が多い。豊洲へ移ったら、ゆりかもめ一本で来ることができるので見学が増えるだろう。
 社内の移転準備の分担がようやく割り振りができ、細かい仕様の検討に入る。東京都の仕様が各社の会議でどんどん変化しているので、社内の説明もコロコロ変わる。この時期はスーパーのレイアウト変更の商談の盛りである。
 中国春節明けの労働情報はまだない。どの様な賃金で決着がついたのだろうか。この先円安となったら急激な食品価格の上昇が予想される。いま急ピッチで中国から食品関連の企業が移転しようとしている。
 江戸時代沢庵は練馬で作っていて、高度成長期に人手の問題で群馬に移り、青森・九州と移転し,今は中国山東省に移転した。ある業者はチベットまで産地を造ったが民族問題の騒乱で今は中断しているという。ヒマラヤの雪解け水で造った大根を砂漠の乾燥した空気にさらすと上質な干し大根ができると言う。

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入谷 七福神

2012年02月02日 | 築地市場にて
明治10年代に創製された福神漬はその容器が缶詰であったため、高価となり当初から売れ行きは良くなかった。明治20年代に入ると携帯できる酒のつまみとして文化人の中から普及してゆくようになった。
 上野寛永寺の東隣の根岸の里は江戸時代から音無川の清流の恵みを受け、呉竹の里とも呼ばれる閑静な地でした。また文化人の住まいや妾宅の多い地でありました。その根岸の地に明治7年前後、工部省鉄道局役人だった父(長井昌言)の急死によって未亡人と子供が転居して来ました。(今の鴬谷駅付近)この子が福神漬の語り部・鶯亭金升(長井金升、長井総太郎)でした。
明治26年11月12日入谷の鬼子母神(真源寺)本堂で根岸党の『酒落ル会』があった。あらかじめ出されていた題材を基にして洒落の審査をする会があった。出典『明治文芸と薔薇』中込重明著 

幸田露伴全集に根岸党の人たちが明治24年に福神漬を酒の友として食べていたことが書かれている。

先日鴬谷駅から歩いて台東区台東図書館(西浅草)まで行きました。途中に入谷七福神の真源寺があり、福禄寿を祀ってありました。
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カブキツリー

2012年02月01日 | 築地市場にて
新しい歌舞伎座の建築工事が築地4丁目から七十七銀行銀座支店のビル越に見えるようになった。かなり前に基礎工事が終わっていて劇場の部分が複雑なせいだろうか中々上に伸びてこないで気になっていた。かってにカブキツリーと命名していたがこれからはオフィスの部分の建築になるから進捗は早いだろう。
 暗い話が多い中、ぐんぐん伸びてゆく工事は気分を明るくする。こけら落としのチケット代が二万円という記事があった。ここには不景気はなさそうであう。
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