年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

山下埠頭のF1の方がカジノより良い

2019年09月14日 | 宅老のグチ

20年以上前、週1回ほど山下ふ頭・大黒ふ頭などへ漬物を納品しつつ、商談をしていた。関東の日本食輸出は横浜と東京で行われるが多いのは横浜である。山下ふ頭は当時でも歩いている人は無く、初めて行ったときは誰に目的地を聞いたら良いか不安だった。慣れたら広い横浜港の風が心地よい。昔はここからアメリカやヨ-ロッパに向けて出たと思うと歴史を感じていた。

 カジノの案から山下ふ頭の関係者からF1の開催案が出たようだ。臨時の大型客船とかを停泊させればカジノ以上の経済効果がある。やはり横浜は知恵者が揃っている。横浜港はベイブリッジの高さが今では低すぎて不都合になってしまった。外に大型客船を止めるところを造り、中華街で止まっている以下鉄を少し延長し、客船タ-ミナルまで延長すればよい。将来も夢のあるF1の方が良いと思う。

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藤岡屋日記嘉永3年10月頃2

2019年09月13日 | 福神漬

藤沢市の湘南台の図書館で二宮尊徳の会の本を読む。かなり熱心に活動しているようだ。この会を知ったのは都立中央図書館で鈴木藤三郎を扱っていることから。二宮尊徳が印旛沼開削工事に参加したことを知っていたが、尊徳は工事完了の見込みが立たないので退いたようだ。もう一度文献確認の必要あり。

 

 浦賀書類 (上)(九州大学蔵 近世浦賀問屋史料(2))を眺めていたら、嘉永三年10月・11月・12月の浦賀奉行あての書類が浅野 長祚(あさの ながよし・弘化4年5月より嘉永5年まで)だった。浦賀奉行は二名任命されているので、この時期江戸にいたのが戸田伊豆守氏栄となる。

 花香恭次郎の養子縁組の経緯の直接の文献はないが高野長英の死去時期の内田弥太郎の処分が見送られたことから始まると思われる。後は二番町筒井政憲が斡旋した二番町旗本長井家娘と戸田氏栄3男の結婚時期はどうなのだろうか。(出典鶯亭金升日記)

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タクワン漬の糠問題

2019年09月12日 | タクワン

品川区の歴史資料館での話で以前訪問した時、学芸員から東海寺開創の沢庵禅師が沢庵漬を創ったのではないと話していた。ではなぜタクワンというのかは説明がなかった。東海寺では貯え漬けと言っているそうだ。

 文献から沢庵の名前が良く出てくるのは元禄のころからでまだこのような研究はなされていない。沢庵漬の成立には4種のものが揃わないとできない。1 塩 2干し大根 3 米ぬか 4 樽となる。

特に問題となるのは米糠でまだうるち米とモチ米との分離された時期が文献では不明である。モチ米はヌカ床に使用には不適切である程度の混入でタクワン漬ができると思うが誰も実験してはいないようだ。ネットで検索すると日本酒作りでモチ米を使用して酒作りをしているところがあるようだ。従って米の分離がない時代でも酒は造れていたかもしれない。ただ漬物となるとモチ米糠ではうまく作れた例が見当たらない。いまはモチ米糠は肥料とか飼料用になっているのだろう。漬物用では業者は口に残る糠を嫌っているので使われることが少なくなった。今は浅漬け用が目立つ。

 このようなコメの変遷はあまり生活に役立たず、誰も調べないようだ。

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シルバ-パス更新

2019年09月11日 | 宅老のグチ

9月で更新となる東京都の70歳以上のパス更新をすました。都内のバスと都営の電車は無料となる。収入があるので20510円支払う。月に1710円以上利用すると元が取れる。週一回外出すれば良いのだ。後は時間が余っているのでどのようなコ-スをとるかは経験値で補う。今までの最長のバス移動は池袋から浅草までのバス移動。結構鉄道とつながっているので乗客の出入りが激しい。昔の都電で今のさくらトラムとか言うみたい。

 台風の後の猛暑。長い梅雨の帳尻合わせの夏。これで梅干し在庫がはける気がする。

予期せぬ停電が続いている。何があるかはわからない災害日本。

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色川三中の家事誌を読む

2019年09月10日 | 宅老のグチ

過日暑い日、都立中央図書館で土浦の色川三中の家事誌を読む。豊洲移転が順調に準備されていた時、家事誌が嘉永年間の本だけが離れたところにあったことに気が付かないで土浦市の図書館へ行った。そこで土浦の歴史博物館で家事誌の残りを読んだ。当時は今と違って花香恭次郎関係の文献を探っていたので、学芸員に聞いても何も得られなかった。ただ1時間ほど話しているうちに学芸員の言葉で土浦市内に高野長英の墓があるという。理由などはわからないという。

 最近再び、鶴見俊輔著の高野長英の評伝本を読んでいたところ、色川三中が高野長英の最後の状況の文献を持っていることを知った。土浦は江戸時代関東では銚子・野田に次いで醤油醸造業の盛んな町だった。

 明治の文献で新治県(今の土浦市付近)の裁判官に江藤新平が花香恭法(恭次郎の養父)を任命さしている。土浦は物流が水運で人の移動が水戸街道のようだった。当然水戸藩の影響が強い。水戸と浦賀は開国の方法が異なっていた。今は文献が整頓されつつあるのだが水戸藩の攘夷鎖国が強調されているドラマが多い。実際は小栗上野介のような人物が存在していたことを忘れている。明治になって開国派の資産で速やかに欧米に追い付けた。ただ薩長史観でこのことはあまり知られていない。日露戦争が終わって東郷平八郎が小栗上野介の遺児に横須賀の工場を作ってくれたことを感謝した。バルチック艦隊の長旅で船を補修することもなく日本海に入った。船隊のスピードは遅く、ほぼ全滅となった。

 築地の豊洲移転であまりにも水産仲卸が築地残留を強調しすぎ、豊洲の設計に参加することもなく時間が過ぎた。結局オリンピックということで移転したが使いずらい施設となり不満が残っている。青果部は移転の前提で行動しているので、賃料以外は不満がないようだ。

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自由民権の想い出

2019年09月09日 | 福神漬

内田魯庵全集3巻

自由民権の想い出

明治の14年から15年頃が自由民権の叫びが最も盛んだった。その頃の自由民権は幕末の尊王攘夷の浪士気分に佐倉宗五郎的な百姓一揆、直訴気分を加味した反政府活動であって、自由民権を馬印としていても、その言葉の内容は本当に理解していなかったし、又どうでも良かった。ただ権威に反抗して悲憤慷慨し大言壮語し反政府の規制を煽るを快とする政治運動だった。その頃の暴君県知事の代表は福島県知事三島通庸でその暴政に反抗したのが県議会議長の河野広中であった。三島が強権で威嚇し、警察力を使い土木工事を行った。福島事件はこの暴力に対抗して発生した陰謀計画とされた。当時内乱罪に対する臨時法廷たる高等法院が初めて創られ開かれ、玉乃世履が裁判官となって内乱罪6名を審問した公判は新聞に公判記録が掲載され(高等法院公判傍聴筆記)という冊子も公刊された。首魁河野広中が義人と祭り上げられ、三島の暴政を糾弾した法廷の雄弁は全国の青年の血を騒がした。中でも被告中最年少で美男の雄弁家であった花香恭次郎は東都の人気を沸かしてその雄弁や動静が当時の話題の中心となって、相撲や役者より以上騒がれた。人知れず思いを焦がす若い女もあったという噂があった。判決後、被告人は小林清親によって浮世絵(原胤昭・文)となった。

 花香は福島事件の6人の被告人で唯一東京士族であった。反明治政府という江戸の気分が残る東京で支持されたかもしれない。教科書で自由民権運動福島事件が取り上げているが高等法院の裁判で全員福島県人が被告人ならば東京市民が公判のやり取りが方言で理解できなかった思われる。花香が最初の被告人で論戦が始まった。東京士族なので盛り上がった。このことが明治政府を動かし、以後の加波山事件などの民権激化事件を強盗ののような犯罪で起訴し、一般犯罪扱いし、世間の目を欺いた。いま事件の関係子孫は犯罪者の縁者ということで記録もなく・語ることもなく消えつつある。

 政治に関係ないと思われる福神漬の中身にナタマメがあるということで記憶を取り戻す。

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天気が悪いと歩かない

2019年09月08日 | 宅老のグチ

暑いと外に出る気がしないし。雨模様だとまた出る気がしない。歩かないと食事がおいしくない。犬につられて歩くが雨嫌いのため引きこもり。

 台風予報の日曜日。規模は小さいが台風は台風。最近事前準備とかで交通機関が早めに止まる。無理をしないほうが良いのだが結局自己責任ということで終わる。今日は引きこもりか。

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苦悩する官僚エリ-ト・長崎奉行戸田氏猛の死

2019年09月07日 | 福神漬

木村直樹著長崎奉行の歴史を読む。

 福神漬の歴史を調べていると子孫が不可解な行動をとっているのに気が付く。ただ直接の史料があることは少なく間接的な史料しかないことが多い。黒船が浦賀にやってきたとき町の噂で下曽根金三郎の指示で浦賀の寺院を清掃したという。これは切腹を意味するとうわさされていた。結局米国国書を久里浜で受け取り鎖国が消え、開国となり切腹の話が消えた。今では歴史学者も話題にすることもなく今に至る。ところが子孫の行動を見ていると切腹の用意は必然だった。国書の受け取りを一任された戸田伊豆守はかねてからの主張であった開国の方向で事を処理した。

 戸田伊豆守氏栄のおじは長崎奉行を務め、在任中に死去した戸田氏猛である。最近の長崎奉行の本ではたびたび出てくる人物である。長崎市民に対する厳正な行政が不評を招き、死後も埋葬された墓地の墓に小便禁止というお触れまで出ているほど嫌われていた。さらに長崎に侵入したイギリス船フェ-トン号事件は警備の不備ということで長崎奉行が切腹している。

 明治以降の歴史では黒船が突然日本に来たことになっているが文献から結構準備していたが幕府上層部の危機意識がなく、大砲を用意する金もなく、さらに異国の大砲の威力も知らず黒船が来てしまった。日本の大砲では2KMほどしか飛ばず、浦賀水道のをやすやすと通過できる。さらに浦賀水道を占拠されると海運で支えられていた江戸の物資不足が目立つようになる。これはぺリ-以前の異国船が浦賀に来た時問題を生じていた。

 この問題を解決するため浦賀与力の中島三郎助が東浦賀の塩仲間の要請で水戸藩と交渉し、便宜を図らってもらった。(中島三郎助文書・附冊より)ここで行徳の塩仲間と浦賀の関係がはっきりしてくる。市川の郷土の歴史を集めている資料館での年報で浦賀の臼井儀兵衛の名前がたびたび出てくる。維新後浦賀ドックの設立でも出てくる人物である。

 明治の終わりころ日露戦争の戦費を賄うため塩が専売となり多くの塩業者が消えた。

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図書館訪問帳があったら

2019年09月06日 | 宅老のグチ

日本各地の地場の漬物をめぐるのに道の駅等が便利だが過去の記録を探るには図書館の郷土資料が役に立つ。使われている言葉を司書の人に聞いて、他の地域の漬物と同定する。信州では野沢菜が北信州の野沢温泉近くの漬物で昔は南信州では(お葉漬け)と言っていた。地域によって同じものが別の呼び方となる。その由来を探ると交流の歴史となる。

 どの図書館でも郷土資料のところは空いていて調べる地元の人は少ないようだ。図書館訪問帳があったら、もう50か所は超えているだろう。

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千葉市のモノレ-ル

2019年09月05日 | 宅老のグチ

千葉県立図書館へ(ひかたの歴史と民俗・大原幽学記念館)の本があるので行く。今日のニュ-スでモノレ-ルが延長工事計画が中止となったようだ。千葉の渋滞も昔と違って全体の混雑でなく部分的な混雑となったようだ。県庁前が終点でそこから図書館まで歩くが閑散としていた。デジタル化の進展で紙が支配する行政の衰えを感じる。

 県立図書館は数年前に訪問した時、一部耐震不備ということで使用されていなかったが今回行った時も工事は完了していなかった。多分工事はないだろう。どこか便利なところに再建するしかない。

目的の本は十冊ほどあって幕臣がどうして明治以後に幽学の思想に入ったかを調べた。明治政府が明治の6年頃急増した幽学の信奉者を反政府活動の団体として数か月拘束したようだ。

 今のところ鶯谷の子規庵前の八石教会(大原幽学の施設)と福神漬の関係は見つからない。

 ついでに野田市史を眺める。明治期の醤油業界は好況不況の波が激しく、さらに戦争経費を賄う税で大変だったようだ。結局生き残ったのが技術革新でができたところが生き残った。

 また土浦が醤油の醸造で大きな勢力だったことを知る。

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耐震基準とHCCP・人手不足が招く平成と令和の断絶

2019年09月03日 | 宅老のグチ

もしあと十年以上経って平成と令和の違いと聞かれたら、耐震基準とHCCP・人手不足が招く平成と令和の断絶と答えたい。築地では東京都がしきりに耐震基準とHCCP・食の安全安心を唱えていた。

 この頃届く同業者の廃業案内は耐震基準で建物劣化による工事を考えると利益が少なく、返済する見込みが立たないようだ。さらにたびたび変わる食品表示でラベルが償却できないうちに新表示のラベルを作成するようになる。さらに温度管理のマニュアルや書類の保管などの事務が増え、量販店取引ができなくなっている。規模の小さい業者はネットに向かうしかないがそこも浮き沈みの激しい業界であれほど騒いだ麹も今は静かである。和歌山県が行政のサポ-トで定期的に梅産業を支援しているのは例外かもしれない。

 小さな製造量では表示の数年おきの変更に耐える企業が少なくなった。安心かもしれないが平均という味が個性を消す時代となった。

 

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品川区の歴史資料館

2019年09月02日 | 宅老のグチ

大田区大森貝塚は大田区と品川区との境にある。品川歴史館は、郷土資料の保存と活用、区民文化の向上を目的に1985年(昭和60)に開館しました。大森貝塚というのは大森駅のほうが近い。

 漬物の沢庵漬に関係ある東海寺は品川区にある。今は寺の面積は少ないが幕末まで軍事拠点にしてもよいほど広かった。明治に人って鉄道の工事のため東海寺のところの土砂で薩摩藩の嫌がらせに対抗するため海の中に鉄道を引くための土砂で埋め立てた。今その名残で東海寺と墓地の間に東海道線・京浜東北線が通り、山の手線の外回りの電車内から沢庵和尚の墓石が見下ろすことができる。

 品川歴史館には3台駐車できる。施設の人に確認して図書室を利用する。ここには3回目となるは図書室を利用する人はいないので真っ暗。雑多な本は他にない本を発見する。五反田本立寺の自費本があった。それに鉄道関係の本も目立つ。

学芸員に沢庵和尚が沢庵漬を創ってはいないことを確認する。それでは沢庵漬は誰が創ったかはいまだ不明。大阪府堺市辺りのところで出来たのだろう。その理由として清酒作りの用途で精米し、出てきたコメ糠で沢庵漬を創った。ウルチ米とモチ米が明確に分離されていないので普及は遅いと想像できる。

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ボチボチ消費税の関連広告が

2019年09月01日 | 宅老のグチ

 

月替わり、10月1日の消費税変更で、早めの購入を煽っているがカ-ドで買い物すれば2%の値引きという。年寄りは現金が多いのでどうなるやら。

 なにか落ち込みもありそうで前回のような動きにはなりそうにもない。香港の騒動も収まる気配がなく、中国が介入すれば香港はその価値・と地位を失う。さらにイギリスのEUからの強制離脱とかがあって日本も韓国との関係が戻る気配もなく。

気分は晴れない9月入り。

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