『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、楽しく生きる事
周りにも笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

書初め

2007年01月04日 | Weblog
三が日も終わって、今日から会社の方も多いかと・・・・
我家は嫁さんが今日から仕事。
従って、僕は子供たちと留守番と相成りました。

子供達は、冬休みの課題で「書初め」だけが残っている。
週末は、泊りがけで嫁さんの実家に行くので
今日、明日のうちに終わらせておかないと出かけられない。

午前中、子供たちに「書初めをやろう!」って誘ったら
意外にも二つ返事でやる事になった。
我家の子供は、すぐに飽きてしまうのでチャンスは有効に
使わないと、またいつになることやら・・・・・

次女は習字の塾へ通っているので、準備も手際よく
床に新聞紙を敷いて、早速課題の「希望の朝」を書き始める。
さすがに習っているだけあって、上手に書く。
字がきれいだと、それだけでインテリジェンスを感じるのは
僕だけだろうか?
ところが、慣れているだけあってある程度練習したら
さっさと書いて終わらせてしまった。
もう少し頑張ればもっと良い字が書けたのに・・・・・

一方の長女は、宿題嫌い。
その気になったときにやらせないと終わらない。
長女の課題は行書で「実践する力」
行書なので、まず練習用に買ってやった半紙に一文字ずつ
練習させる。
最初に書いた字は、まるでポップ体みたいな太い丸文字。
そこで、僕が見本を書いてやる。
こう見えても、習字塾を退学になったとは言え毛筆は得意。
と云うより、毛筆は一種のアートなので好きなのだ。

娘に文字のリズムや強弱を教える。
止めや跳ね、払い、ひっかっけなどそれぞれ、筆の使い方を
腕を添えて教えてやる。
暫く書いたら、一人で半紙を大量に使って練習を始めた。

最初は全く駄目だった文字に、だんだんリズム感が出てきて
文字にメリハリや躍動感が出てくる。
手本どおりに写して、綺麗に書く必要など無いのだ。
文字は個性がある。人によって筆圧が違い、筆使いも違う。
墨の濃さや、筆に含ませる墨の量も違う。
僕が「毛筆はアート」と云う理由がそこにある。

集中力が無い長女なのだが、一旦集中すると物凄い集中力を
見せるのも、長女の不思議なところ。
3時間、黙々と字を書き続け課題用の半紙に清書した時には
書き始めた時とは全く違う字を書いていた。
決して達筆と云う文字ではないが、一文字ごとに気持ちが
入っていて、字に表情や躍動感が感じられるものが書けた。

書の道は奥深い。
筆で書く文字は、アートであり書いた人の人柄まで出る。
書き手の心まで、文字の中に現れる気がする。
書道家には、そういうものが見えるのでしょう。
今年は少し、こういった事もやってみようかな?
コメント
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