『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

懐かしい映像

2008年05月29日 | Weblog
最近、11年前の1997年の東京リーグの試合で録ったビデオが出てきて
DVDにダビングされて配られた。
2試合分録画されているのだけれど、それには僕が出場している。
僕が41歳の時のものです。

当時、僕は一旦引退してシニアチームで地域リーグに参加していた。
4部から始まって3年で1部まで駆け上がった。
ところが1部に上がると若いチームが多くなって、
平均年齢45歳のチームでは流石に簡単には勝てなくなった。

親父たちの集まりも悪くなる。
若手に応援を依頼してやっと試合が成立したほどだった。
そんな状況なのに、オヤジチームの幹事は若手を審判などにこき使う。
僕が「助っ人なんだから駄目」って言うと
「俺達だって部費は払ってる」って言い出す。
それで、
「親父たちが勝手にやってるんだから部費は若手に寄付、我々は別会計で自主運営」
と言って、幹事とやりあった。
他のメンバーは全員、僕の意見を支持。
ところがそれ以降、僕には試合の連絡が来なくなった。

折りしもその頃、僕らが勝手に抜けたために若手チームの方も
勝てなくなって、徐々に人数が揃わなくなっていた。
そして、今の仕事の状況と同じ。
若手が干されている僕に現役復帰を要請してきた。
丁度その頃のビデオです。

元々、センターバックだった僕ですが現役チームではサボれるFW。
僕が復帰してから、何故か破竹の連勝を重ね4部で優勝。
僕はその年、8試合で7得点5アシストと絶好調だった。

その頃の映像を見ると、とにかく若い。
そして良く走っている。
2試合のビデオの1試合は1アシスト1ゴール。
試合は2:1で勝利。
ビデオを録っている奴と一緒に来ていた嫁さんの声が入っていて
それがまた、おかしい。
このビデオ、撮影していたのは僕が復帰するきっかけになった元エースストライカー。
膝の故障で手術して、2年間試合に出られなかったのです。
僕は彼に「お前が帰ってくるまでのつなぎ」と言っていたから
彼が来ると、僕はいつも以上に張り切ってプレーしていたのです。

最初のアシストは左サイドをドリブルで切り込んでのもの。
その時は嫁さんの声
「ねぇ、アシストしちゃったよ」
次の得点シーンではビデオを録っていた奴が
「あぁ、入れちゃったよぉ・・・」

そして映像でもそのたびにビデオに向かってポーズを取っている僕。
得点はヘディングならぬ顔面でシュート、それをキーパーが弾いたところを足で蹴りこんでいる。
ヘラヘラ笑いながら、鼻からは血が流れている。
笑えます。

もう一つの試合は後半から出場。
前半はビデオに、若手に偉そうに解説する僕の声が入っている。
「今のは、俺ならヘディングで1点だなぁ」
実際、僕の得点はヘディングで取ったものが殆ど。
高さがあるわけじゃないけど、ディフェンスをやっていた頃の経験で
相手の嫌がるプレーが解かっていて、とにかく競り合いに強かった。

そして後半から出場して、絶好のチャンスが訪れる。
いつもなら簡単に得意のヘディングで入れているのに
その日に限って、何を思ったのか?ボレーシュートに行って外しちゃった。
その時の若手の声
「あれ?へっヘディング・・・」
その声が消え入るような口調で、笑えます。
その試合は後半に僕が右足で打ったシュートをキーパが弾いて
それを拾った味方が流し込んで得点。3:0で勝利。

11年前、僕以外のメンバーは殆どが20代後半。
顔つきも精かんで若々しい。
今は僕が52歳。若手もそろそろ40歳に手が届く。
そいつらに最近は
「この年齢になってゆうさんの偉大さに気がつきました」
と言われるようになった。

そのメンバーの半分はいまだにサッカーを一緒にやっている。
僕を筆頭に「おばかさん」と呼ばれて、むしろ誇らしげにしている連中。
今度、このビデオを見ながら酒を飲もうって話になった。
楽しみです。

でも、考えてみればサッカーでも仕事でも干される。
それも正論を言って、みんなに支持されているにも関わらず
運営をしている奴らの独断で干されちゃう。
元来、嫌われ者キャラなんでしょうねぇ?
そんな気がしてきました。

写真はその当時のもの。後ろの右から2番目が僕です。
コメント
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