『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

芸術やアートの解らない、スポーツを知らない人間にはなりたくない・・・

2016年06月02日 | Weblog

一昨日書いた、『設計』のプロセスに通じる話。

僕の卒業した私立高専の校長がフランス人の先生で、
デザイン学科の学科長を兼任して、言っていたことを今でも覚えている。
故人となってしまったフランス・ヘンドリックス学長が
『芸術やアートの解らない人間、スポーツを知らない人間には設計(デザイン)など出来ない』
と、学生に遊び心を奨励していた。

だから僕等の時代母校は、音楽も吹奏楽部ではなくジャズバンドだったし、
文化祭の後夜祭は、ロックバンドが大音響で演奏したりと、結構自由な校風だった。
スポーツも大会に出て成績を残すことは二の次で、楽しむことが第一だった。

イタリアに本校を持つ学校だったから、その当時は30代の外国人宣教師が教壇に立ち、
その国籍も多彩だった。
僕が教わった英語の先生はイギリス人のスミス先生。
機械工学はイタリア人のフラガ先生、その他にもスペイン人やフランス人も居て、
外国語を覚える環境も、今から思えば整っていた気がする。

そんな欧州系の空気が漂う学校だから、体育の授業は殆どがサッカー。
クラス毎にチームが出来て、学科内のリーグ戦や、学科対抗の大会もあった。
僕の居た電気工学科は、1年から5年まで10クラス。
電気工学科主事杯と称した、学年の差を抜きにしたリーグ戦をやったり、
校内の球技大会は、学科別にトーナメント大会になっていて、
1週間ぐらい球技大会をやっていた記憶がある。

挙句の果てには、その宣教師たちは講義の無い時間があると、
体育の授業に乱入して、母国のサッカーを強いるという暴挙。
僕は、それが楽しくてサッカーがますます好きになったのですよ。

そんな自由な校風のお蔭で、僕のような『変人』が沢山生まれた。
同学年で去年まで母校のデザイン学科長をやっていた竹内明氏も、
元は日産自動車で『シルビア』などの設計を担当していた御仁だし、
古くは『ムーンクラフト』でレース界で一世を風靡し、その後『「マツダ717-C」』で
ルマン優勝を成しえた由良卓也氏も、僕らの大先輩にあたる御仁です。

そんな先輩や友人の足元にも及ばないけれど、『遊び心』に関しては
同じくらい自分の中にあると自負している。
有名ではないし、決して偏差値の高い学校ではない。
でも、僕を含めた『変わり者』を作ってきた学校は、他にないんじゃないかなぁ?

学歴という点では引けを取るけれど、人生を楽しむ術を身に着ける・・・・
という点では、他に類を見ない変わった学校だった気がします。

だからね・・・・

楽しくない設計なんてやらない方が良い・・・・そう思うのですよ。
結果を出して褒めて貰う事が好きな人が多いけれど、
僕は自分の思い通りに物を作る楽しみのほうが大きかった。

嬉しいことに、前の会社の女性従業員の息子さんが僕の後輩になった。
そして、偶然にも今の仕事の若い人の息子も僕の後輩になった。
偶然なのだろうけれど、身近にそういう若者が居るのは嬉しいですね。

芸術やアートの解らない人間、スポーツを知らない人間にはなりたくない・・・
そう思って、いろいろな事をやりながら楽しく生きてきた気がします。

コメント
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