定年退職前の休暇に入って、早くも2週間が過ぎました。
この2週間は意識して、怠け者の生活をしてきた。
2年半もの間、精神的なストレスと戦いながら過ごして来たから
自分で自分を慰労する意味でもあったのです。
でも、この2週間で今まで居た会社の素晴らしさにも気がつきました。
30年近く、何とか定年まで漕ぎ着けたのは、会社が好きだったから。
この2年半は、そういう気持ちも何処かへ行ってしまうほど、
辛かったのだなぁ・・・とも思うのですよ。
でも、改めて僕の会社は素晴らしい会社だと思って、
定年の日を迎えられることは、本当に良かったと思っています。
僕の会社は労使の関係が、雇う側と雇われる側と言う感じではない。
強いて言えば、『働いてもらう側と働かせてもらう側』
その関係の間に、『労働組合』という組織があって動いている。
見ようによっては『御用組合』に見えるかも知れないけれど、
全くそんなものではない。
『労働協約』という労使間で締結したと契約文書がしっかりとあって、
それを労使がきちんと遵守しようと努力している。
例えば、休暇の取得に関しても、基本的に自由。
それを当たり前に行使できるところが素晴らしい。
その『労働協約』だって、時代に合わせて見直し、改定や改正、
廃止や追加を繰り返して、今の形になっている。
それに至るまでの、先輩たちの苦労が実を結んでいるのです。
そして、組合の運営を専従役員が『会社で一番悪い労働環境』と
言われながらも、頑張って職務を全うしてくれている。
元々、僕はアンチ組合の台頭だった。
それが役員をやることで、自分の見ていた組合とは全く違うことに気がついた。
会社に関しても、良い仲間に囲まれ、遣り甲斐のある仕事に巡りあい、
いつの間にか『日本で一番好きな会社』になっていた。
今回、定年を迎えてその会社を離れることになったけれど、
この経験は、次の人生にプラスになると信じている。
残念だったのは、心無い人間にも巡りあってしまった事。
最初の部署の上司、飛び出た部署の上司、そして最後の部署。
この休暇中に心も体もゆっくりと休めたお陰で、そういうネガティブな事は
どうでも良くなって、再び『日本で一番好きな会社』に戻っていた。
自分の娘をこの会社に入れてやりたかったなぁ・・・・・。
いつか、この会社に恩返しする時が来るかも知れない。
この2週間で、そんなことを感じたのでした。