「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「いよいよか…」

2009年12月07日 | 季節の移ろい・出来事
           

目覚めると、朝日を吸い込む窓ガラスには結露が滴る。
畑を覗くと一面ウッスラ白いベールをかぶっている。
歌舞伎役者の如き白塗りではない。華やぐうら若き女性のお化粧とも違う。雪が積もった様子とも異なる。
言うなれば、やや恥じらいを帯びたたおやかな中年女性の薄化粧か…。

初霜である。
暦は大雪、本格的に雪がやってくる季節を告げる。
南北に延びる日本列島、もうとっくに雪に見舞われた地方もあるのだろうが、ここ瀬戸内は “いよいよ来るか…冬将軍!!” そんな感じの師走初旬。

       心あてに 折らばや折らん 初霜の
                
                    置きまどわせる 白菊の花

   初霜が一面まっ白におりて、どれが花か霜か、見わけをつかなくして
   いる白菊の花を・・・。
    もし折るとしたら、あてずっぽうに折ってもちゃんと、折れるのだろうか。

このウッスラ白いお化粧も、陽差しの前にはひとたまりもない。
時にキラッキラッと輝きを見せるものの、一瞬にして露と化し、土に草の根に吸い込まれて行く。
人の一生、また草の葉の露の如し……なーんかどこかで聞いたような…。

先日植えた豆のタネが、この初霜の冷たさに耐え、露のしずくを養分にして芽を出すのだろう。
寒い寒いと縮こまってもいられない。この寒さと共に、忘年会が盛り上がるのだ……。

      ( 写真: 恥じらいの薄化粧を思わせる、畑に降りた初霜 )
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「イルミネーション」

2009年12月05日 | 季節の移ろい・出来事
12月に入ったとたんに、暗かった道路が明るくなった。
あっちこっちの家で、クリスマス用イルミネーションが輝いている。

実際に宗教的な感覚があるのかどうかは定かではないが、聞くところによると、かなりの設備投資が要るらしい。その上、一冬の電気代もばかにならないと言う。

節電。経費削減・地球温暖化防止…色々取り沙汰されてはいるが、やはり、暗い夜の闇を明るく華やかに照らすイルミネーションには、人々の心にある種の勇気とやる気を植え付ける効果は秘められているようだ。
その典型が神戸のルミナリエ。
まだ見たことがない分、一度はこの目で…という希望を持たせてくれる。

この際野暮なことは言わず、他人の家の電飾を楽しむの一興か。
孫の家でも、ささやかながら小さい子どもが喜ぶ程度のコード電球を引っ張っている。

小さい子どもに夢を与えようとする親心に、経費節減だのという言葉を投げかけるのは如何なモノか…?などと安易に妥協する大人が多いのも如何なモノか…?

まあいいか、早くもこの時期から人工雪で滑れるスキー場に連れて行ってもらって、今シーズンの特訓を始めた孫達。
暮れには兄弟二人でスキー合宿に入るとか。
ジジなどには考えられない投資である。が、子どもがそれを喜ぶなら、親はその子どもの喜びが、経費などにはかえられない満足感を得るのだろうから。

ひたすら口を結んで一文字。静かな応援団長に徹しよう。時々援助団長??

     ( 写真: すぐ近くの民家のイルミネーション )
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「小鳥が待つ季節」

2009年12月04日 | 季節の移ろい・出来事
                     
                南天の実         クロガネモチの実

12月、寒さに向かって咲く花が・熟れる木の実が、時節到来とばかりにその色濃さを増してきた。真っ赤に熟れ行く木の実を、小鳥たちは、今や遅しと待ちわびているのだろう。

どこの家にも敷地にも鬼門というのがあるそうな。鬼門(きもん)とは、北東の方位をさす。陰陽道では、鬼が出入りするとして、万事に忌むべき方角としている。その方角に、厄除けとして南天の木が植えられることが多い。

何故南天の木なのか…? 南・・難を、天・・転じる…という単なる語呂合わせにも見える。
そこへ福寿草などを持ってきて「南(難)を天(転)じて福となす」という縁起物として古くから重宝されている。

一応我が家も、引っ越し直後にちっちゃな苗木を植えた。今では私より遙かに背が伸び、枝葉を広げ、魔除け厄除けとしての効果がありそうなほど逞しく成長している。その赤い実も見事に熟れて、冬の朝日に光彩を放つ。

南天の赤い実は咳止めの効能があり、木や葉っぱは毒消しの効能があるという。
そう言えば子どもの頃、隣から頂いた食べ物の器を返すとき、「何にもありませんが…」と言いながら、南天の葉っぱをつけていたのを思い出した。
毒消しの効能を信じて「お箸」の材料にすることはよく耳にする。

京都、金閣寺の床柱は南天の木なのだそうな。もしも京都詣での機会に恵まれたら、そんな目で金閣寺を眺めてみたい。

鬼門というのはどこにもある。このブログにも、方角に合わせて南天の木を植え、魔除け・厄除けにしたいこともある。
その前に、「あいつは、俺にとっての鬼門じゃ…」などと言われないように気をつけようっと。
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「夕月」

2009年12月02日 | 季節の移ろい・出来事
見事な夕月が、まだ明るさの残る瀬戸の海を見下ろすように、東の空に浮いていた。
思わず二階に駆け上がりシャッター押す。
師走一日(ついたち)、我ながら納得の月影が撮れた。

    旅寝よし  宿は師走の  夕月夜     …松尾芭蕉

勝手な思いの我が頭の中では、夕月・・夕月夜 などは秋の専売特許と思っていた。
が、松尾芭蕉がこのように詠んでいるところをみると、12月に入った昨夜でも、夕月を愛でて差し支えないことに安堵した。

それにしても見応えのある、まん丸夕月であった。
ちなみに「月が出ている夕暮れ。また、夕暮れに出ている月。夕月、宵月、とも呼ばれる」と書かれている。

夕方の空では、周りの明るさに遠慮がちに見えた月明かりも、夜の9時ともなれば、誰憚ることなく、中天高く煌々と冴えわたり地上を照らす。
               
               

思わず襟を合わせる冷気に、吐く息白く月冴える!!
思いもかけぬ師走の風流を見た。 一つ得をした気分。

自らに課した文筆活動の仕上げに追われる愛しの友も、しばし筆を休めてこの見事なお月様を見上げているのだろうか。

単身赴任で少しお疲れ気味の友も、仕事帰りにひと息ついて、見事な月を眺めているだろうか。
月明かりは、まんべんなく地上に降り注がれているのだから……。

                 
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「やらなぐせ」

2009年12月01日 | つれづれ噺
何かと忙しかった11月が終わった。
と思ったら今度は世の中全体が慌ただしく動き回る師走、12月を迎えることとなった。

「忙しいとは、心を亡くす」ということだから気をつけて行動しなければいけない…とのご忠告を頂いてまだ耳に残っている。

確かに、あれもこれも抱え込んで時間に追われる日々でもあったが、心ここにあらず…というところまでいったのかどうか。どこかに最後のわずかな余裕を残していたのかな。

その忙しさのしわ寄せが、はっきり表れたのが畑仕事である。
タマネギこそ予定通り植えたが、他は草もろくろく取らずほったらかし。時期遅れを感じてようやく畑作り、スナック豆・グリンピースを植える段取りをした。実際にはとうに植え終わっていなければならない時期なのである。

何かの理由をつけて、普段やっていることをサボる、かったるくなってやらなくなる。人間ちょっと楽な目を見るとすぐそちらに走る。これを「やらなぐせ」というのだそうな。

骨折などで長期間ギブスをつけているとその周辺が退化して行く。
頭を使うのをサボっていると思考力が衰える…これらを「廃用性萎縮」と言うらしい。若いときから鍛え上げた身体でも、使わなければ間違いなく廃用性萎縮に見舞われるという。

気持ちや心を豊かに生きるには“ときめき”や“淡い恋心”などは鍛え続けていかなければ、この「やらなぐせ」や「廃用性萎縮」におかされて、コチンコチンになってしまうのだろうか。
ならば、もうしばらく柔らかく生きるためには……がんばらなくっちゃ…ご同輩。
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