ブログ雑記

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62回目の広島原爆忌

2007-08-06 16:05:11 | Weblog
広島に原爆が投下されて六十二年が経った。
半世紀以上経た昨年も五千名余りの人の名前が原爆死没者名簿に書き加えられた。
何と云う凄惨な現実だろう。
にも拘らず原爆症認定基準をめぐって裁判が行なわれているとは信じ難い。
どうして国は頑張るのだろう。
もう少しすれば被爆者がいなくなるから時間稼ぎをしているのだろうか。
早く解決をして残り少ない人生を有意義に過ごしてもらいたい。
確かに法律は全ての国民に対して同じ基準で扱われるものだから、沖縄戦や各地の無差別爆撃で負傷したり、死亡した人々を勘案すれば、問題は色々あるかも知れないけれど、六十年以上の間苦しみを背負って来た人々に、国が手を差し伸べることに誰が反対をしようか。
1日も早く解決をして欲しい。

アメリカが核の脅威を取り除く為に北朝鮮やイランを非難し圧力をかけ続けているけれど、反対の立場の人はアメリカの核の脅威を防ぐ為だ、と主張している。
当然のことだと思う。
ソビエトとアメリカが互いに核を持ち合って、二極で対立していた冷戦時代は確かに抑止力として核が働いていた、と思えるけれど、現在のようにアメリカ一国が強力な武力を持つ時代になっては、抑止の掛からない脅威になってしまった。
アメリカの作戦計画には”核の先制攻撃”があって、あのキッシンジャー氏も懸念を持っていた。
それは核の先制攻撃には対抗措置として核の先制攻撃がありうるからだ。

NHKの番組で広大の先生達が広島型の原爆が地上で爆発した場合のシュミレーションを、原爆投下時の残骸から放射線量を割出し計算していた。
一瞬にして24万人の人が亡くなり、爆心地から3キロ以内では致死量の何十倍も何百倍もの残留放射線があって、半年余りは立入ることも出来ない、といっていた。

結論は「いかなる防御策も原爆の威力には無力で、核を放棄する以外に原爆から助かる術はない」ということだった。

非核三原則を堅持していくのであれば日本も思い切って、アメリカの核の傘から外へ出てみるのもいいかも知れない。