ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

広島・長崎の被爆体験

2007-08-09 17:20:48 | Weblog
広島に続いて長崎も被爆から62年目の熱い夏を迎えた。
アメリカは広島と長崎の2発の原子爆弾が日本の戦争終結への決断を促し、降伏が早まって日米合わせて何百万の人が死なずにすんだ、と結論付けている。
原爆投下が無くても日本の降伏は時間の問題だった。
アメリカの主張は原爆投下で起きた被害の大きさをカモフラージュする為の方便だ。
物凄い資金と頭脳と労力をかけて死にものぐるいで完成させた原子爆弾を戦場で実際に使用してその威力を実証する必要があった。更に戦後に向けてソビエトを牽制する必要もあったのでは無いだろうか。

原爆の開発は、アインシュタイン博士などのナチスから逃避して来た学者達がドイツが原子爆弾の開発をしている、といった情報をもとに、ドイツより先に原子爆弾を作らなければ大変なことになる、とアメリカ政府に働きかけてマンハッタン計画が動きだした。
ドイツと対抗する目的で始まったものをドイツ降伏後に日本で実験したのだ。
ドイツには物理の天才がいてアメリカよりも先に原子爆弾を開発してしまう、とアメリカに亡命した学者達は考えていたけれど、当のドイツの学者はそういったことはしていなかった、と読んだことがある。
ナチへの恐怖は、原子爆弾を製造し、ナチのガス室以上の非情な原子爆弾投下を正義の名のもとに行なった。
長崎では一瞬にして7万人余の人が焼き殺され、そして被爆による後遺症などで亡くなった人の数は62年経った現在143,000人にも達している。
本当に恐ろしいことだ。
戦争だから仕方が無いではすまされない。
小学生が自分達の学校の先輩や先生1300人余名がたった一つの”ひらめき”で跡形もなくなってしまった悲惨さと無念さを歌っていた。
これは戦争ではなく虐殺だと思った。

間もなく9.11の季節が巡って来る。
あの時のアメリカのショックを見て、これが原爆だったら、一体アメリカはどのような行動をとるのだろう、と思ったことがある。
恐らく直ぐに報復措置の原爆投下を実行するだろう。

力が正義なのは非常に恐い。

原爆の引き起こす悲惨さを世界中に知らしめる義務が日本政府にはある。
世界中で原爆展を開催し、実際に顔を背けずにいられないような悲惨な写真などを展示して実情を訴えるべきだ。
それが原子爆弾の被爆体験国の勤めだ。