日曜日の夜は恒例の”おんまく夢花火大会”だった。
港の200メートル程の突堤に仕掛けられた花火が大音響と共に炸裂して夜空に乱舞し光の滝となって頭上に降って来る。
発射地点の突堤は、船の往来の少なかった子供の頃、泳ぎに自信のあるものは岸から突堤まで泳いで渡っていた100メート前後の距離で、私は岸壁から更に100m程離れた植込みの中で見ていた。
離れたところから見るのと違って、首を曲げて見上げながら見るのは迫力というか臨場感が全く違う。
昨年は高台にある家の前の道に腰かけを出して見た。
花火の全体は綺麗に見えるのだが、音が何秒か遅れて届くのでしっくりしなかった。
花火の観客の多さに驚いた。
街中の人が全部出て来ているのでは、と思う程だった。
そして、私が一番奇異に感じたのは若者の浴衣姿の多さだった。
半数の人が浴衣を着ているような気がした。
幼い子供を連れた若夫婦も沢山いた。
洋服を着るように一つのファッションととらえているのかも知れないけれど、とにかく夏の浴衣姿はいい。
男も女もズボンスタイルになってしまったのは残念でたまらない。
ゆとりのある生活を取り戻したいものだ。
港の200メートル程の突堤に仕掛けられた花火が大音響と共に炸裂して夜空に乱舞し光の滝となって頭上に降って来る。
発射地点の突堤は、船の往来の少なかった子供の頃、泳ぎに自信のあるものは岸から突堤まで泳いで渡っていた100メート前後の距離で、私は岸壁から更に100m程離れた植込みの中で見ていた。
離れたところから見るのと違って、首を曲げて見上げながら見るのは迫力というか臨場感が全く違う。
昨年は高台にある家の前の道に腰かけを出して見た。
花火の全体は綺麗に見えるのだが、音が何秒か遅れて届くのでしっくりしなかった。
花火の観客の多さに驚いた。
街中の人が全部出て来ているのでは、と思う程だった。
そして、私が一番奇異に感じたのは若者の浴衣姿の多さだった。
半数の人が浴衣を着ているような気がした。
幼い子供を連れた若夫婦も沢山いた。
洋服を着るように一つのファッションととらえているのかも知れないけれど、とにかく夏の浴衣姿はいい。
男も女もズボンスタイルになってしまったのは残念でたまらない。
ゆとりのある生活を取り戻したいものだ。