ブログ雑記

感じることを、そのままに・・・

こいつあ春から縁起がいい

2007-01-15 17:00:09 | Weblog
市民劇場の企画で京都南座の前進座初春特別公演の観劇にいった。地方公演では度々観ていたが本真もんの劇場で観るのは初めての経験だった。それも一階両サイドにある特別席で二人掛の掘り炬燵になっていた。そして座面が丁度舞台の高さで芝居が始まると自分も劇の中にいるような臨場感に浸ることが出来た。演目は幸田露伴の五重塔を脚色したものだった。十兵衛の朴訥でいて、ゆるぎない職人魂を嵐 圭史さんが好演していた。さらに川越源太を演じた藤川矢之輔さんも素晴らしかった。そしてクライマックスの嵐の情景を出す効果音と千切れるように飛んで行く雲のスクリーン。これがなければこの芝居の良さは半減してしまうのではないかと思った。昔は幕を揺らして観客の想像力刺激して雰囲気を醸し出したのだろう。いろいろな事を思いながら感激するのもいい。

劇を観ていて何時も思うのだが、演じる人もさる事ながら、舞台を後ろで支えている美術や効果や音楽などいろいろな人の力の結集があって始めて感動を呼ぶ作品が生まれるけれど、そこで動いている人の様子は見えない。しかし私達の参加型の市民劇場では舞台の資材の搬入搬出などを手伝うことでその様子を少し知ることが出来て楽しい。

生命力

2007-01-11 22:13:57 | Weblog
去年のタマネギを家の横の通路の軒下に干していた。私の考えでは、干していればドライフラワーのようになっていつまでも腐らないと思っていた。しかし実際にはそうではなくてふやけたようになったり、すかすかになって皮だけになったりした。しかし一週間程前ストーブに油を入れようと通路へ行くと一本残ったタマネギ干しのひもに大きな芽の出た玉葱が一つあった。驚きである。水も無いところで宙に浮いたまま芽を吹いている。植物の生命力には驚嘆させられる。よくアスファルトの割れ目にできた大根等がニュースになったりしているけれど驚くほどの事も無い。我が家の玉葱は干されて六ヵ月も経ってから空中で成長を始めた。

海峡大橋のイルミネーション

2007-01-09 21:08:24 | Weblog
日曜に歩いた来島海峡大橋の夜景。ちょっと遠すぎるからこの写真ではハッキリしないけれど、肉眼で見るとムードがある。祝祭日には何時も点灯している。内心では費用が掛かるからやめれば、と思いつつ楽しんでいる。

年初めの大橋ウォーキング

2007-01-08 12:17:21 | Weblog
お正月の運動不足を解消すべく久し振りに大橋のウォーキングに出掛けた。連休の日曜日だから沢山歩きに来ているだろうと思っていたが、目的地の橋の中間地点の馬島までの2キロメートルを行く間に自転車の人と二度すれ違っただけだった。歩行者は皆無だった。寒風の中を歩くよりも温い部屋に居た方いい、と言った家内の方が正解だったかも知れない。それでも橋までの上りの誘導路を歩き始めると少しづつ身体が暖まってきて冷たい風も心地よくなってきた。時折遠くを往き交う船を見ながら目的地は何処だろうかと思ってみたり、船で迎えたお正月はどうだったのだろうなど取り留めも無いことを考えながら足だけは風に負けないように確りと踏みしめていた。

健康お宅では無いけれど、最近は年の所為かも知れないのだが周りにガンの人や介護の必要な人がいて、若い頃には考えたことも無いことが、現実問題として自分にも身直に迫っているように思えて、その不安を解消するべくウォーキングをしているのかも知れない。とにかく元気で自分の思うことをしたい。

不安

2007-01-06 21:22:51 | Weblog
四日には孫達もみんな帰ってしまって再び二人になった。九人分のお布団を家内が片付け終えて、「お父さん、次は掃除機をかけて下さい。」と指図されて、運動、運動と唱えながら、がらんとした座敷、両親の住んでいた部屋・・・と掃除をしつつ、ふと思た。今は二人だけれど、もし自分一人が取り残されたらどうしよう?子供も孫もいるけれど、それではどうにも出来ない寂しさが襲って来るのでは、と。クワバラクワバラ妻には長生きしてもらわなくちゃ。何があっても自分よりは一日でも・・・

彼岸のお正月

2007-01-06 16:53:12 | Weblog
私のウォーキングコースに花が絶えること無く綺麗に活けられている墓地がある。道沿いから見える範囲のお墓は枯れた花を見ることは殆ど無い。誰が何時活けるのか分らない。恐らく私の歩く時間帯と違って朝早くお参りするのだろう。通るたびに頭の下がる思いがする。三十日に歩いていてお墓の家名が書かれた石柱に正月飾りが巻かれているのを見た。始めての経験だったが、巳正月をされたのだと自分なりに合点した。そう言えば春に亡くなった姉の墓参に二十九日に行った時もお飾りがひっそりと見えないように置かれていた。義兄が巳正月をしてお餅をわらで焼いて引っぱって食べたと言っていたのを思い出した。我が家も母が亡くなったけれど真宗では巳正月はしないらしい。報恩講という年末の訪問の読経をあげて頂いた。
巳正月の行事は愛媛県だけのものらしい。
詳しくは巳正月をグ−グルで調べて下さい。


孫に学ぶ

2007-01-04 11:21:23 | Weblog
六人の孫がいる。今年は母の看病をしている息子の嫁と小さな孫は帰れなかった。上は高二で下は三才だ。今年高校受験の孫娘は皆と離れて遅れた勉強をしていた。お兄ちゃんは賑やかな中で化学の問題を解いていた。小学生の姉妹はひたすらコンピュータに向かってゲームをしていた。何時も我が家へ来ると開口一番「おじいちゃんコンピュータつけて」だ。家には無いと言うのにインターネットの無料のゲームを出してやると二人がそれぞれ小さな手でキーボードを操作していろいろ楽しんでいる。本当に丸一日している。何を言っても上の空だ。そこへ四才になる彼女らの従姉妹がよくも分りもしないのにくっ付いて画面を見つめている。こう言った関係が大きくなっても続いていくのだろう。普段二人で生活しているものにとっては嬉しくもあり又本当に大変な時期でもある。特におばあちゃんは大変だ!
三日に長女の一家が夕方帰り、そして長男の家族を23時のフェリーに送った。だがまだ一人次女が残っている。四日の夜の飛行機に乗る予定だ。今夜から再び静けさが戻って来る。ちょっぴり寂しくなる。二人で暮らしていると心の何処かで何時も誰か来てくれないかなあ、と心待ちしているのだが・・・
朝息子から「着いた。」とメールが入った。そしてその文面に「これから娘の水泳の朝練です。」とあった。家に帰り着いたばかりなのに、早くもそれぞれの生活が始まっている。
私も今日娘が帰ると明日からぼつぼつ動き始めよう。遅まきながら目標を決めなくちゃ。

元旦のお膳

2007-01-02 21:39:41 | Weblog

今年の元旦は二人だけの小さなお膳になった。去年までは妻と母と私の三人で母の好きなお酒を朝からお猪口で楽しんだけれど、今年はそれも無い。しかし母が教えたお雑煮は受け継がれて、お正月には無くてはならないもになっている。瀬戸貝、アナゴ、蒲鉾、水菜、ごぼう、にんじん、大根とお餅が入っている。自慢の雑煮だ。息子の嫁にもレシピを渡し瀬戸貝や焼きアナゴを送ったりしている。元旦は本当に静かだったが、二日は皆が帰省して一挙に十一人になった。妻の大活躍が始まった。食事の時は壮観だ。それにしても男は役に立たない。女の主戦場だ。邪魔にならないように傍観しているだけだ。それでも「このお年玉はおじいちゃんからよ」と言ってくれる妻に感謝! 今年こそは本当に平穏に送りたい。

もう春はそこに

2007-01-01 21:36:37 | Weblog
川土手の桜並木には春が近付いている。道にはみ出た桜の枝を避けながら頭を屈めて歩いていて上目遣いに空を見上げると芽吹き始めた蕾があった。正月の元旦だというのに本当に気の早い事だ。気になるものだから周りの木々の枝を調べてみるとまだまだ本当に小さな芽だった。安心した。冬は好きではないけれど、もう少しの間は寒い日が続いてくれないと春を待つ楽しみがなくなってしまう。

それにしても年をとった所為か時間がやけに速く過ぎていくように思える。
子供の頃の一日は本当に長かった。一週間なんて中々過ぎなかったものだ。