ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか」(鴻上尚史・佐藤直樹著;講談社現代新書)

2022-09-24 21:58:44 | 読む


学生時代に書いた卒業論文は、日本語や日本文化、日本人論などに関することだった。
そんなこともあって、日本の社会や日本人の思考や行動に関することには、今もわずかながら(?)興味を持っている。

近ごろ、インターネットやSNSでの中傷や炎上などを頻繁に耳にするようになった。
何かあるとすぐにそのような状態になるのには、何か異様さ、怖さを感じる。
その正体は何だろう?
なぜそうなってしまうのだろう?
考えや意見の多様性を認めないような圧力を感じる。

そう思っていたら、「同調圧力」という言葉に出合った。
今さらではあるが、その言葉の意味をもっと深く知りたいと思った。
そこで手にしたのが、本書である。
鴻上尚史、佐藤直樹両氏の対談で構成されている。

「同調圧力」とは、「みんな同じに」という命令である。
この「同調圧力」を生む根本に「世間」と呼ばれる日本特有のシステムがあると著者の2人は語っている。
日本には、「社会」とは違う「世間」の存在が大きい。
日本人は、「世間」に住んでいるけれど、「社会」には住んでいない。
なるほど。

それなら、その「世間」のルールや特徴はどういうものなのか。
それは、佐藤氏も鴻上氏もほとんど同じことを挙げているのだが、鴻上氏の言う方が、素人には伝わりやすい。
① 贈り物は大切
② 年上が偉い
③ 同じ時間を生きるのが大切
④ 神秘性(呪術性)
⑤ 仲間外れをつくる(排他性)
※ このうち1つでも欠けた場合に表れるのが「空気」

社会では最も重要な法のルールよりも、世間に生きる日本人に重要なのは、世間のルール。
だから、そのルールに反する者には、差別や排除を与えようとする。
最近多いネット上、SNS上の誹謗中傷は、ネットが社会につながっているという意識がなく、世間の仲間ウチに向けたノリでやってしまう。
その根底にあるのは、「みんな同じでなければいけない」という平等主義。
だから、違いそのものがいじめる理由となる。
この考え方には、なるほど、と納得する。
自分が育ってきた、生きてきた周囲の言動のもとに流れていたのは、この「世間」だったのかと知る。
それだから、男らしくないという理由で私はいじめられたのか。
みんなができることができないからといじめられたのか。

息苦しさの原因として、「世間体」の存在が大きい。
常に周りから見られていると、みんな不安に思っているくせに、逆に見られていないと不安になる。
だから、「いいね!」の数を気にして、認められていると安心するという訳だ。

日本には「社会」がなく、「世間」なので、世間の秩序を壊すことは許されない。
しかも、「人間平等主義のルール」に縛られているから、出る杭は打たれる。
そんな「世間」に生きているということは、自己を確立する必要がない。

こんな息苦しい中を生きていくには、ほんの少し強い個人、ほんの少し賢い個人になること。
自分をたった一つの強力な「世間」で支えようとしない、ということ。
弱い「世間」を見つけるとか、社会とのつながりを見つけて、いま自分の生きている「世間」で窒息しないような回路を見つけられる賢さを持てばよいのだ。

そして、自覚することだ。
息苦しさの正体は、まさに世間であり、同調圧力である、と。
少なくても、自分自身に責任はない、とも。

世間の中で生きようとするな、などということを本書では言っていない。
日本では、どうしても世間との関わりを抜きにしては生きられないのだ。
だが、世間と社会の違いを知って生きるだけでも、まわりの風景が全然違って見えるはず、という言葉に勇気づけられた。

久々に合点がいく本に出合った気がした。
学生の頃に戻ったような気分になって、自分にとって新たな日本文化論、日本人論にふれた気がして、うれしかった。
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