西海岸公園に至ると、海と別れていったん道は中へ入る。
「関屋浜」の文字がある公園内の道で、後ろから急に名前(苗字)を呼ばれた。
「50foxさん!」
え?こんなレースで私より後ろから抜いていく人って、いるの?
と思って見ると、ランニングサングラス姿の若者が…。
「Hです。」
と、名乗ってくれて分かった。
6年前、定年退職時に同じ職場で仕事をしていたHKさんだった。
「おお…。今のお勤めは?」
…など勤務先や、お子さんのことも聞くと、あの頃保育園に預けたばかりだったのが、もう小学2年生だという。
時の流れは早いものだ。
「だいぶきつくなってきましたね」と言いながらも、キロ7分で走っているのだそうだ。
同じようなTシャツで走っている人がそばにいたから、
「どうぞ、遠慮なく抜いてってください」
とHKさんに話し、先に行ってもらうことにした。
2人の黄色い少し先に行くと、間もなく道は再び海が見える道を行く。
さっき抜いて行ったHKさんたちの背中を見ながら、自分のペースで走ることにした。
頭を前へ傾け、腕をあまり振らずに、頭の重さで前に進むような走り方をしてみた。
すると、これが意外に楽だった。
2kmくらいは、そんなふうにして走っただろうか。
海と別れて、道は関屋分水の河口に来た。
そこで応援していた、アルビのユニを着ていた人が、私の姿を見て、声は出さないが、「ALBIREX」と書かれたタオルマフラーを広げて見せてくれた。
その姿は、アルビの試合の前のサポーターの姿。
「ありがとう!がんばります!」
と思わず声が出た。
ここが25kmの新潟大堰橋。
11年前、初めて新潟シティマラソンにチャレンジしたときのコースは、ここが30kmポイントだった。
ここで制限時間切れのため、強制収容されたことをよく覚えている。
今のコースは、ここから国道402号線を2.5km行って、また戻ってくるコースとなっている。
㉒7分4秒㉓6分55秒㉔6分55秒㉕6分53秒
一度坂道を上って行く。
そこで、再び息子と会った。
なかなか快調に走っているらしい。
およそ5kmも差がついたというわけか。
互いに笑って、エア・ハイタッチをして通り過ぎた。
その直後に、息子の後50mくらいに知っているランナーの姿を見つけ、驚いた。
先月のたいない高原マラソンでも会ったSIさんだ。
私と同年齢なのに、我が息子とほとんど変わらない速さで走っているなんて、すごい!
「SIさん!」と叫ぶと、
「おお!」と答えてくれた。
「速いね!」
感心した。
さすが、今まで全国のマラソン大会を100ほど走っているだけある。
高年齢化などまったく関係ないかのように走れているのはすばらしい。
坂を下ると2kmほど松林が続く。
もう脚が、正確に言うと両方の太ももが痛くてまったくスピードを出せなくなっていた。
頭を下げ、下を向いて、少しでも前へ進む。
自分なりにがんばってはいるのだが…。
26㎞地点を過ぎた辺りで、後ろから、頭に風船をつけたランナーが私をゆっくり抜いて行った。
その背中のゼッケンには、番号ではなく「5時間」と書かれてあった。
ゴールタイムを5時間の目安とする「5時間ランナー」だ。
それより遅れるペースだとは分かっているが、体が言うことをきかない。
かつてのレースでは、制限時間は5時間だったから、このランナーに抜かれるということは、失格、途中棄権となることを意味していた。
私は、2度その憂き目にあっている。
今回で、3度目だ。
ああ、私が走れるマラソン大会は、ここまでか。
あとは、走ったり歩いたりしていくしかない。
とはいうものの、今は制限時間が7時間だから、抜かれても大丈夫。
きっと、6時間ランナーや7時間ランナーもいて、後ろから走ってくるはずだ。
その先の第7エイドは、その気分と裏腹に、楽しいフードエイドだった。
何がというと、ここで提供されたのが、新潟のソウルフードだったからだ。
そう、笹団子。
包むためのひもを解いたうえで、食べやすいように半分ずつに切られていた。
大好物ではあるのだが、新潟県人とはいえ、今はあまり食べる機会がなくなっている。
「いただきま~す」と、2つ取ってほおばった。
うまかった!
まもなく、27.6㎞にある、第2折り返し。
この進行方向で松林の中の道をいくと、いやがおうにもマラソン初挑戦の時を思い出す。
あの時のこの道は、両脚が痛くて痛くて走れずに歩くしかなかった。
それが、今日も同じような状態になっている。
目の前には、歩いては走る、私と似たような人たちが何人もいた。
つらいレースとなった人たちが多いのだ。
「歩く」と「走る」を繰り返しながら、行くしかないと覚悟して進むが、やっぱりつらい。
29km過ぎの青山斎場の坂では、完全にきつくなり、坂の頂点まで大股で歩いた。
㉖7分4秒㉗7分13秒㉘8分40秒㉙7分45秒㉚8分19秒
30km。
ようやく関屋分水まで戻ってきた。
川沿いの道へ降りていく。
ここからは、ずっと川に沿っていく。
だが、もう脚が痛くて走り続けられないから、走っては歩き走っては歩きで、キロ8分台に落ち込んだ。
途中で、「アイシテルニイガタ。アルビ、昇格おめでとう!」と励まされ、
「ありがとう。次はJ2優勝だ!」なんて返す、口の余裕はあった。
「苦しいのは気のせい ファイト!」なんてパネルをもって応援してくれる人もいた。
「気はしっかりしているんですが、太ももの痛みだけは本物で走れません!」と叫ぶと、
「それも、気のせいです!」との声が返ってきたのには、恐れ入った。
やがて土手に上がったが、ここでも見えるのは、前方に向かって歩く人ばかり。
その人たちが、ある場所に来たら、皆走り出した。
少しゆるやかな下り坂を生かして走っている。
そこにいたのは、アルビレックスチアリーダースの女性たち。
これか!?
いや、違う。
声が聞こえた。
ひっきりなしに、励ます声が。
近づくにつれて分かってきた。
そこに見えたのは、高橋尚子さんの姿だった。
33kmの往路・復路のちょうど交わるガード下で、両方向のランナーたちを励ましていたのだった。
なるほど、だからみんな走り出すのだ。
自分も同様に走り出し、「毎年、ありがとうございます!」と手を振って、高橋尚子さんの前を走って通り過ぎた。
その時だった。
右脚の付け根の辺りでグキッという痛みが走った。
いたたたた…。
見栄を張って、普通に走ったのがいけなかった。
どうしよう、痛くて歩くのもきつい…。
股関節が痛くてしばらく立ち止まるはめになってしまった。
㉛8分15秒 ㉜8分45秒 ㉝9分9秒
(つづく)
「関屋浜」の文字がある公園内の道で、後ろから急に名前(苗字)を呼ばれた。
「50foxさん!」
え?こんなレースで私より後ろから抜いていく人って、いるの?
と思って見ると、ランニングサングラス姿の若者が…。
「Hです。」
と、名乗ってくれて分かった。
6年前、定年退職時に同じ職場で仕事をしていたHKさんだった。
「おお…。今のお勤めは?」
…など勤務先や、お子さんのことも聞くと、あの頃保育園に預けたばかりだったのが、もう小学2年生だという。
時の流れは早いものだ。
「だいぶきつくなってきましたね」と言いながらも、キロ7分で走っているのだそうだ。
同じようなTシャツで走っている人がそばにいたから、
「どうぞ、遠慮なく抜いてってください」
とHKさんに話し、先に行ってもらうことにした。
2人の黄色い少し先に行くと、間もなく道は再び海が見える道を行く。
さっき抜いて行ったHKさんたちの背中を見ながら、自分のペースで走ることにした。
頭を前へ傾け、腕をあまり振らずに、頭の重さで前に進むような走り方をしてみた。
すると、これが意外に楽だった。
2kmくらいは、そんなふうにして走っただろうか。
海と別れて、道は関屋分水の河口に来た。
そこで応援していた、アルビのユニを着ていた人が、私の姿を見て、声は出さないが、「ALBIREX」と書かれたタオルマフラーを広げて見せてくれた。
その姿は、アルビの試合の前のサポーターの姿。
「ありがとう!がんばります!」
と思わず声が出た。
ここが25kmの新潟大堰橋。
11年前、初めて新潟シティマラソンにチャレンジしたときのコースは、ここが30kmポイントだった。
ここで制限時間切れのため、強制収容されたことをよく覚えている。
今のコースは、ここから国道402号線を2.5km行って、また戻ってくるコースとなっている。
㉒7分4秒㉓6分55秒㉔6分55秒㉕6分53秒
一度坂道を上って行く。
そこで、再び息子と会った。
なかなか快調に走っているらしい。
およそ5kmも差がついたというわけか。
互いに笑って、エア・ハイタッチをして通り過ぎた。
その直後に、息子の後50mくらいに知っているランナーの姿を見つけ、驚いた。
先月のたいない高原マラソンでも会ったSIさんだ。
私と同年齢なのに、我が息子とほとんど変わらない速さで走っているなんて、すごい!
「SIさん!」と叫ぶと、
「おお!」と答えてくれた。
「速いね!」
感心した。
さすが、今まで全国のマラソン大会を100ほど走っているだけある。
高年齢化などまったく関係ないかのように走れているのはすばらしい。
坂を下ると2kmほど松林が続く。
もう脚が、正確に言うと両方の太ももが痛くてまったくスピードを出せなくなっていた。
頭を下げ、下を向いて、少しでも前へ進む。
自分なりにがんばってはいるのだが…。
26㎞地点を過ぎた辺りで、後ろから、頭に風船をつけたランナーが私をゆっくり抜いて行った。
その背中のゼッケンには、番号ではなく「5時間」と書かれてあった。
ゴールタイムを5時間の目安とする「5時間ランナー」だ。
それより遅れるペースだとは分かっているが、体が言うことをきかない。
かつてのレースでは、制限時間は5時間だったから、このランナーに抜かれるということは、失格、途中棄権となることを意味していた。
私は、2度その憂き目にあっている。
今回で、3度目だ。
ああ、私が走れるマラソン大会は、ここまでか。
あとは、走ったり歩いたりしていくしかない。
とはいうものの、今は制限時間が7時間だから、抜かれても大丈夫。
きっと、6時間ランナーや7時間ランナーもいて、後ろから走ってくるはずだ。
その先の第7エイドは、その気分と裏腹に、楽しいフードエイドだった。
何がというと、ここで提供されたのが、新潟のソウルフードだったからだ。
そう、笹団子。
包むためのひもを解いたうえで、食べやすいように半分ずつに切られていた。
大好物ではあるのだが、新潟県人とはいえ、今はあまり食べる機会がなくなっている。
「いただきま~す」と、2つ取ってほおばった。
うまかった!
まもなく、27.6㎞にある、第2折り返し。
この進行方向で松林の中の道をいくと、いやがおうにもマラソン初挑戦の時を思い出す。
あの時のこの道は、両脚が痛くて痛くて走れずに歩くしかなかった。
それが、今日も同じような状態になっている。
目の前には、歩いては走る、私と似たような人たちが何人もいた。
つらいレースとなった人たちが多いのだ。
「歩く」と「走る」を繰り返しながら、行くしかないと覚悟して進むが、やっぱりつらい。
29km過ぎの青山斎場の坂では、完全にきつくなり、坂の頂点まで大股で歩いた。
㉖7分4秒㉗7分13秒㉘8分40秒㉙7分45秒㉚8分19秒
30km。
ようやく関屋分水まで戻ってきた。
川沿いの道へ降りていく。
ここからは、ずっと川に沿っていく。
だが、もう脚が痛くて走り続けられないから、走っては歩き走っては歩きで、キロ8分台に落ち込んだ。
途中で、「アイシテルニイガタ。アルビ、昇格おめでとう!」と励まされ、
「ありがとう。次はJ2優勝だ!」なんて返す、口の余裕はあった。
「苦しいのは気のせい ファイト!」なんてパネルをもって応援してくれる人もいた。
「気はしっかりしているんですが、太ももの痛みだけは本物で走れません!」と叫ぶと、
「それも、気のせいです!」との声が返ってきたのには、恐れ入った。
やがて土手に上がったが、ここでも見えるのは、前方に向かって歩く人ばかり。
その人たちが、ある場所に来たら、皆走り出した。
少しゆるやかな下り坂を生かして走っている。
そこにいたのは、アルビレックスチアリーダースの女性たち。
これか!?
いや、違う。
声が聞こえた。
ひっきりなしに、励ます声が。
近づくにつれて分かってきた。
そこに見えたのは、高橋尚子さんの姿だった。
33kmの往路・復路のちょうど交わるガード下で、両方向のランナーたちを励ましていたのだった。
なるほど、だからみんな走り出すのだ。
自分も同様に走り出し、「毎年、ありがとうございます!」と手を振って、高橋尚子さんの前を走って通り過ぎた。
その時だった。
右脚の付け根の辺りでグキッという痛みが走った。
いたたたた…。
見栄を張って、普通に走ったのがいけなかった。
どうしよう、痛くて歩くのもきつい…。
股関節が痛くてしばらく立ち止まるはめになってしまった。
㉛8分15秒 ㉜8分45秒 ㉝9分9秒
(つづく)