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年に1度の人間ドックに行って来た。
こんな時でもないと、じっくりと本が読めない。
いつもなら内田康夫のトラベルミステリーとなるのだが、今回は買ったまま読んでいなかった本にした。
「その日のまえに」(重松清;文春文庫)がその1冊。
(後で調べると、知らなかったが、テレビ化・映画化もされた作品であった。)
この作品は、7つの短編で成っている。
「その日のまえに」は、後半の3作「その日のまえに」「その日」「その日のあとで」が連作で、それを除くと、単なる短編集だと思っていた。
ところが、「その日のまえに」の前の4編の作品も、実は「その日」3連作とつながる、意味のある作品たちだったのだ。
4編の作品名は、「ひこうき雲」「朝日のあたる家」「潮騒」「ヒア・カムズ・ザ・サン」。
どれも、音楽好きには心当たりのある名作の曲名だ。
短編には、すべてに末期がんとなった人物やその家族等とのふれあいが書かれてある。
「その日」とは、登場人物の愛する家族(妻)が亡くなる日のことだった。
本編に当たる「その日」3連作を読み進むうちに、切なくなって泣いてしまった。
人間ドックの待合室内で、涙を流してしまった。
人間ドックは、自分の健康を保つために調べるものだ。
いのちを大切にしたいからだ。
しかし、愛する家族のいのちが亡くなる日が来るとしたら、―。
前日、W氏の訃報に関して書いたばかりである。
いのちに関して敏感になっていた私の心の奥底に純粋に響いた1冊だった。
そうでしたか。
行く度に弱っていく姿…私も自分の母のことを思い出します。
○○ができなくなった。
△△ができなくなった。
◇◇ができなくなった。
弱っていく時は、そうやってできていたことが一つ一つなくなっていくことの悲しさを味わったことを思い出してしまいます。
でも、この命があったから、私たちがあった。
この命があったから、私たちは生きてこられた。
そこに変わりはありません。
貴重な命を、どうか支えていただきたいと思います。