ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

痛みなんか忘れてしまおう

2017-06-10 21:13:54 | RUN
先日、5日前の20km走の―といっても後半の2kmは歩きが中心だったが―ダメージが残っている。
右脚はふくらはぎが張っているような感じが抜けない。
パキパキ音を立てていた左膝も、少々不安だ。
左足には足を上げたり着いたりすると、かかと近くに痛みが出る。
おまけに、右の腰が車の運転中や夜のふとんの中で、ツンと痛むことがある。
60歳代に突入して、体のあちこちのパーツが金属疲労を起こしているような感じもするのである。

今日は、午前中から風が吹いたり雨が降ったり、少々荒れた天気であったが、夕方5時になって雨風は止み、日も差した。
1週間後の日曜に走ることを考えると、少し走っておきたい。
では、5日前の疲れが感じられるから、少し楽に少なめに走って来ようか、と走り出した。

6分平均で8kmくらい走ることを目標に走り出す。
最初は左膝や脚に違和感あり、微妙に痛む。
本当に走れるのか不安になったが、こういう時は、体が慣れれば痛みが引く時もある。
だから、そろりそろりという気分で、走り続けた。
スピードも上がらない。
それでも、やがて痛みは感じなくなり、走り続けることができた。
5km走ったころの上り坂で、左膝に一度パキッと音が出た。
多少の不安はありながらも、後半は追い風だったので、いささか楽になった。
少し近道をして帰り、予定通り8kmでよしとした。

思うことは、体に何らかの痛みがあるなんて当たり前のこと。
60歳だもん。
痛みがあるから無理をしない、のではなく、少しの無理をして痛みを忘れよう。
今は、それができるから、これでよいと思うのだ。
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ユキノシタ満開

2017-06-09 22:24:40 | 草木花

わが家では、今、ユキノシタが満開。
隣家との境となる生け垣の下で大量に咲いている。
10年ほど前に、家の近くでひと株なぜか落ちていた。
たぶん、近くの家の人が邪魔で抜いたのだろう。
家の庭に植えたら、元気になった。
しかも、陽射しは多くない方がよいらしく、少し日陰だと元気に生息している。
何か飛んでいるようにも見え、下の方の花弁が大きいという特徴のある比較的小さな花だ。


この花を初めて認識したのは、13年前の今頃。
勤務先の植え込みの近くで、ひっそりと咲いているのを見つけたのであった。

その名前を聞いたら、「雪の下」だと言う。
なんだか、新潟県にとてもよく似合っているような気がした。

数年後、薬草園に行ったら、模様の入っている種類があることを知った。


春先に咲く、「ヒマラヤユキノシタ」という花もあるけれど、大きさも形も似ても似つかない。


白くて小さい、ユキノシタの花がいいなあ。

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ムシトリナデシコと久々に遭遇

2017-06-08 22:01:15 | 草木花
懐かしいなあ。
そんな野草の花を出先で見つけた。

ちらりと見たことはあったけど、最近は近くで見たことはなかった。
子どもの頃、家の近くで普通に咲いていた野草だった。
現在住んでいる住宅地では、見かけることがなかった。
子どもの頃は、名前も知らなかったこの花。
ムシトリナデシコ。
この花は、茎の上部にベタベタするところがある。

虫が茎を伝って上って来ると、このベタベタしたところで足や体がくっついてしまって、花にまでたどり着けないという訳だ。
普通の花は、虫に花粉をつけてもらうために、そんな「虫払い」するような仕組みはないのに、なぜ、そんなベタベタが必要だったのだろう?
花粉を運んでくれる羽をもたない虫はおことわり、ということかな?


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ゲンペイウツギーハコネウツギ

2017-06-07 22:18:39 | 草木花

今、家の近くや出先の道沿いの家の庭などに、このような花が咲いている。
同じ枝に、赤白の花が一緒に咲くなんて面白いなあと思っていた。
あるとき、知り合いに名前を聞いてみたら、「ゲンペイウツギ(源平宇津木)」と言うのだそうだ。
赤と白の花が咲くから、「源平」と名が付くのだとか。
運動会が紅白対抗なのは、源平の戦いによるのだとも聞いたこともある。

なるほどなあ、と思っていたが、ほかのある人と話してみたら、正式名称は、「ハコネウツギ(箱根空木)」と言うらしいことがわかった。
ゲンペイウツギは、別称だとか。
「ウツギ」も、「宇津木」ではなく、「空木」と書くらしい。

なぜ、赤白同時に咲くのかというと、最初は白い花で咲いていたものが、しだいに赤く濃く変色するのだそうだ。
なるほど、確かに花が咲いてしおれていくのは、赤が濃くなって紫っぽくなったものばかりだ。
白い花は白いままだと思っていたら、変色していくとは。

面白い花だなあ。
深く知ると楽しい花もあるのだなあ。
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20kmの距離、走れず

2017-06-06 20:35:31 | RUN
昨日夕方、気温はさほど高くないが、久々の天気なので、走りに出た。
18℃と道路の近くに表示されていたが、日射しが強く感じ、暑さを感じた。
関川マラソンまで2週間となった。
関川ではハーフの距離を走るので、その前に走れる自信をつけたいなと思い、20kmを目標に走り出した。

1kmあたり6分のペースでいいやと思ったが、走り出して2kmくらいで、ゆっくり走っているつもりでも、5分30秒強の速さになってしまう。
自分の場合は、おさえて走ることが苦手なのだ。
だから、5分45秒でいけるかもと思って2km地点以降、その気で走り出した。
しかし、陽射しが厳しく感じて5km地点からは、5分45秒で走るのも苦しくなり、5分50秒台がやっとだった。
9km地点では6分を越え、水分がほしくてたまらなかったので、公衆トイレの外で水分補給。
塩飴も4個用意したが、足りない感じ。
それでも意地で10kmまで行ってから少し休んだ。

結構体にはきつく感じ、戻り10kmが走れるか不安になった。
帰りはゆっくりでいいやと思いつつ、6分20秒台で走るのがやっと。
おまけに、左膝がパキパキ言い始め、右足の裏は微妙な痛みが出る。
18kmで7分22秒となって、無理をするのはやめて、歩いて帰ることにした。
両脚がつらくなってしまった。
やはり、出る時が気温が低めだったからと水を携帯しなかったが、これではいけない。
関川に備え20km走れる自信をつけたかったが、18kmでリタイヤ。
走り出せばゴールまではたどり着けるだろうけど…。

うーん。
少し不安になった。
体力が落ちてきているなあ…。
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世界卓球選手権大会、頼もしい若手たちの活躍

2017-06-05 22:18:55 | スポーツ
残念。
久しぶりに日本選手が次々に活躍して、楽しかった世界卓球選手権大会が、終わってしまった。
(正確には、まだ終わっていない。数時間後に終わる。)
日本選手の多数のメダル獲得にわいた大会も、最終日となった。
日本選手で残っていたのは、女子ダブルスの準決勝、伊藤美誠・早田ひなペアだけだった。
そのペアも、世界1位・2位の丁・劉組に1-4で敗れてしまった。
しかし、堂々の銅メダルである。
伊藤・早田の2人は、まだ16歳である。

女子シングルスで、3位になった平野美宇も16歳。
4月のアジア大会では、世界1位の丁寧をはじめ準々決勝から中国の3選手を撃破して、アジアチャンピオンになったのだった。
だから、今回の準決勝を見ると、丁寧の平野美宇に対する意識は強いものがあった。
映像を見ていても、研究と対策を念入りに行ってきたのだとわかった。
意識の強さがよくわかったのは、マッチポイントとなった時の丁寧の反応だ。
腕を振り上げ、大きな雄叫びを上げていた。
それは、勝ったと勘違いしての雄叫びだったのだ。
点数もわからなくなるほど、試合に、打倒平野美宇に入れ込んでいたのだとわかった。
この試合も、結局丁寧に4月の雪辱を果たされ、1-4で平野美宇は敗れた。

しかし、ダブルスにせよシングルスにせよ、内容を見ていると、一方的にやられている訳ではないのである。
かなりやり返しているが、それでもさらに中国選手が一枚上手なのだ。
女子の場合、中国の丁寧は26歳。
10歳の年の差がある。
経験値が違うのだ。
日本の女子は、まだまだこれから伸びる余地がある。
実際に、世界の頂点に立つ中国の選手たちと対戦して、歯が立たなかったかもしれない。
しかし、勝つためにこれから自分が付けなくては行けない力や技術が、具体的にわかったのではないだろうか。
男子シングルスで準々決勝に進み、世界3位の中国選手に敗れた13歳の張本にも、十分に時間はある。

今回、前回2つだったメダルを、混合ダブルスの金メダルをはじめ、男子ダブルスの銀メダルと銅メダル、女子シングルスとダブルスの銅メダルと、5個のメダルを獲得した。
これは、本当に久しぶりなのだ。
個人の種目で7個を獲得した、1971年の名古屋大会以来ではないのかな?
あ、1975年の大会で6個か、でもそれ以来本当に久しぶりだ。

若い選手たちが活躍した日本卓球。
下からどんどん若い力が伸びてきている。
これからが楽しみだと思った、ドイツ・デュッセルドルフの世界選手権であった。

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取れず守れず最下位転落

2017-06-04 21:09:42 | アルビレックス新潟
13 清水 勝ち点14 3勝6敗5引き分け 得点17・失点23 得失差-6
14 甲府 14   3-6-5   10・17 - 7
15 札幌 12   3-8-3   12・21 - 9
16 広島 10   2-8-4   12・22 -10
17 大宮  8   2-10-2    8・27  -19
18 新潟  8   2-10-2   10・31 -21

ついに最下位に落ちてしまった。
今日のアウエーセレッソ大阪戦。
新潟は、0-4で敗れてしまった。
前半こそは、0-0で、今日こそはと期待もできたのだった。
しかし、後半、相手にPKを与え、それを決められ、先生を許してしまった。
早く取り返してほしい、と願う新潟サポーターをあざ笑うかのように、ずるずると4失点。
1点くらいは、と思ったのだが、願いも空しく、1点も取れないまま負けてしまった。

これで、リーグワーストの31失点。
1試合平均失点2.2。
1試合平均得点0.7。
1点も取れないが、2点以上取られる。
これでは勝てない。

大宮が引き分けて、得失点差でついに最下位に落ちてしまった。
試合に勝利するのが本当に厳しい。
まだ1年の試合数の半分も終わってはいないのだが、不安は大きい。
幸い、というのが、下位のチームが、新潟同様になかなか勝てないことだ。
これだけ負けているのに、大きな差がついていない。
13位までは2試合分の勝ち数の差に過ぎない。
しかし、これだけ得点できず、勝てないとどうしても悲観的になる。

約2週間後は、最下位を争うかのようなホーム大宮戦。
鍛え直して勝ち進んでほしいと祈るばかりだ。
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世界卓球、回想

2017-06-03 22:28:36 | スポーツ
世界卓球2017。
13歳張本は、ベスト8に勝ち上がった。
17歳平野美羽は、世界王者丁寧から1ゲームを奪ったが、1-4で敗れた。
とはいえ、敗れたのは準決勝。堂々の3位、銅メダルだ。

世界選手権女子でメダルを獲得したのは、48年ぶりだという。
ならば、48年前のメダル獲得者は誰かとよく考えるだろう。
たぶん、記憶に間違いがなければ、それは、1969年西ドイツミュンヘン大会で、小和田敏子選手が優勝して以来のメダルということになるのだろう。
ちなみに、その大会の男子の優勝者は、同じく日本の伊藤繁雄選手なのだ。
48年前のことがわかるなんて、私もトシをとったものだ…(苦笑)。

48年前には、その大会の映像はもちろん、画像もほとんど見たことがない。
でも、すぐに優勝者名が出てくるのは、その2年後の頃には、私自身が卓球を好きになっていたからである。
卓球部ではなかったが、友達と卓球をするのがすごく好きになった。
自然と、日本や世界のチャンピオンにも関心が向いたのだ。

おまけに、卓球に夢中になっていた1971年には、名古屋で世界選手権が行われたのだった。
名古屋大会は、文化大革命を終えた中国が久しぶりに参加したのだ。
そこでは、中国とアメリカのピンポン外交が大きな話題となった。
そして、7種目中4種目の金メダルをとった中国は、その後、絶対の強さを誇っていくのであった。

50年近くたって、卓球のプレースタイルは、ずいぶん変わった。
ペンホルダーラケットを使う選手はほとんどいなくなった。
みなシェークハンドのラケットを使っている。
48年前は、まだペンホルダーでフォアハンドのドライブをかっこよく振れる選手に憧れていた人たちが多くいたものだったがなあ…。
今の卓球は、スピード感がすごい。
回転とスピードが、あの当時とは比べ物にならない。
しかも、両ハンドを振りぬくし、チキータなどという、昔はなかった技も生まれている。
ちなみに、チキータは、バナナのような放物線を描く技だから、そう名付けられたとのこと。
そんな技は、私にはできない。
昔ながらの卓球しかできないな…。

でも、今の日本の若い選手たちの活躍をさらに期待しよう。



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世界卓球で、13歳張本、日本チャンピオン水谷に完勝

2017-06-02 22:13:32 | スポーツ
すごいなあ。
13歳とは思えない。
世界卓球選手権で、13歳の張本が、27歳で絶対的な日本チャンピオンの水谷に4-1で完勝した

この同士討ちの対戦が2回戦で実現すると知った時から、ひょっとすると張本が勝ってしまうのではないか、と思いもした。
張本は、昨年、ジュニアの世界チャンピオンになっている。
勢いに乗ったら、わからないぞ、と。

しかしながら、男性の体力的なピークとも言える27歳と13歳、まだ中2の完成していない体とでは、体力的な違いが大きいと思っていた。
ましてや相手の水谷は、日本の絶対王者であり、五輪で男子卓球のすごさを見せてくれた選手である。
そして、水谷は、対戦しながら相手の戦力を見極めながら戦うのがうまい選手でもある。
だから、最終的に勝つのは水谷だろうと思っていたのだが。
その水谷を速さとうまさで上回ってしまったのだから、水谷も下を向くことなく「完敗です」と正直に負けを認めていた。

2回戦で同士討ちになるのは惜しい対戦だったと言える。
水谷も、五輪3位だから、この世界選手権でも上位進出が期待されていた。
もっと上で当たってほしかった。
ただ、張本の力は本物だ。
ここから先も、堂々と勝ち進んでほしいと願っている。

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ルヴァンカップ最終戦、16歳本間至恩選手のプレーに魅せられた

2017-06-01 22:28:48 | アルビレックス新潟
昨夜は、翌日が普通の勤務日なので、負けた試合を見終えると、早めにスタジアムを出た。
駐車場に向かって歩いていくと、背中の方から大声援が聞こえてきた。
「ホ・ン・マ・シー・オ・ン。ホ・ン・マ・シー・オ・ン。ホ・ン・マ・シー・オ・ン。………。」
ホンマシオンこと本間至恩は、まだ16歳。
アルビレックス新潟のユースに所属する選手である。
その彼に対する賛辞と期待を込めた、ゴール裏からのコールだった。


ルヴァンカップ予選リーグ最終戦となった昨日の神戸戦は、新潟にとっては、見どころが少なかった試合であった。
だから、観戦者数も、5,764人。
4万人余りを収容できるデンカ・ビッグスワンスタジアムとしては、極端に少ない人数であった。
新潟のメンバーは、J1のリーグ戦では、出場機会の少ない、はっきり言って2軍のメンバーだった。
そのメンバーたちが、本当によくがんばって、前半は押されながらも0-0で終えた。

後半に期待したが、得点のにおいはなかなかしない。
案の定、後半7分、ついに先制を許してしまった。
しかし、1週間前の甲府戦のような気落ちするような試合ぶりとは違った。
ボランチが本間、成岡という信頼できるベテランのせいもあるだろう。
だが、若手が本当によくがんばっていた。
確かに、実力差はあるだろうけど、よく走ってよく声を出しながらプレーしていた。
一生懸命なのがよくわかった。
DFは、CFが西村竜馬と酒井高聖、右の長谷川巧、左の酒井宣福。
みんな新潟ユースの出身だ。
10代の長谷川も高聖も、本当によくやっていた。

そして、びっくりしたのが、77分に交代出場した2種登録、新潟ユースの16歳、本間至恩だった。

161cm、48kgの小さい体。
Jリーガーの中に入ると、まるで子どもが一人。あぶないよ、踏まれちゃうよ、という感じ。

しかし、トップ下に入って、攻守に味わいを見せたのだった。
高いボールでも競りに行くし、小さい体でボールを奪いに行く。
特に、終了間近の機会には、走りながら相手とドリブルのボールの奪い合いになり、一歩も引かずに、ペナルティエリア内に侵入し、ゴール前に見事なパスを送ったのだ。
ゴール前にいた鈴木武蔵は、足を出して速いシュートを打ったが、残念ながら相手ゴールキーパーの正面なのであった。
(あー、またかよぉ…。)

その果敢な戦いぶりが、サポーターたちの心をわしづかみにした。
FC東京には久保建英がいるが、アルビレックス新潟には本間至恩がいる。
そのような希望を、皆が抱いたのだった。
だから、冒頭のような試合後の大声援となったのだ。
順調にかつなるべく早くトップチームに上がって、リーグ戦でも活躍してほしい。
昨日の試合を見に行った人たちは、皆、そう思ったことだろう。
これからの彼の活躍に、大いに期待しよう!!

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