ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

真央さんの初マラソン完走を知って…

2017-12-11 17:41:01 | RUN
へえー。
さすがだなあ。
浅田真央,さん、4時間34分13秒で初マラソン完走。

ホノルルマラソンを走ったのかあ。
ホノルルマラソンは、日本人に人気があるから、やはり一度は走ってみたいなあと思うのだが、先を越された。
いやいや、そこが悔しいのではなく、完走のタイムである。
私の自己べストが4時間48分。
今年の新潟シティマラソンで、私が目指していたのは、今回の浅田さん同様に4時間30分が目標だったのだ。
だけど、以前ここで書いたように、今年は5時間も切れずに撃沈。
ところが、彼女は、4時間30分に近いタイムで完走できているじゃないか。
おまけに、私は、6回フルマラソンに挑戦してまだそんなタイムでゴールできていない。
そのうえ、彼女は初マラソンで、もう…。
しかも、11月の練習中に左膝を痛めたとか。
だから、「15キロで痛みが出たと思ったら持ち直し、20キロで体が重くなったら持ち直しで、その繰り返しで苦しかった。」と振り返って話している。

今の私なら、15キロ辺りで痛みなんか出ないけどなあ…。
痛みが出るのは、30㎞付近からだけどなあ…。
それなのになあ…。
うーん、…負けたような気分。

引退はしたが、がんばって目標に近いタイムで完走するとは。
さすが一流アスリート…!と感心したのであった。
うーん。このまま負けたような気分ではいたくないなあ。
次の機会に、私もがんばろっ…!と。

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娘よ(89)~また1つ齢を重ねる

2017-12-10 22:18:58 | 生き方
娘が病になってから、誕生日を迎えるのはもう5度目になる。
病になる前は、「三十路になりたくない!」などと叫んでいたのだが、もう堂々のその路を進んでいる。

今年も、「埼玉の伯父さん」から、誕生祝いの花束が届いた。

お礼を言おうと、自分で「埼玉の電話番号って、04××―××―××××だよね。」と言いながら、自分で電話をかけていた。
倒れる前に覚えていた電話番号とはいえ、しっかり思い出せたことや自分から間違えずにかけられたことは、見ていてとてもうれしかった。
残念ながら、伯父さんは留守にしていたみたいでその時は直接離せなかったが、しっかりと留守番電話にメッセージを吹き込んでいた。
そうした姿には、着実な回復を思うのだ。

娘からの誕生日の夕食には、好きなサーモンの入ったカルパッチョやコンニャクなども並んだが、好物なので母(私には妻)に言って、リクエストしたのは、グラタンだった。

【今年のグラタン】
この時期にグラタンを見ると、入院していた4年前の12月を思い出す。
今年と同じようにグラタンを希望していたのだった。
ところが、11月下旬の激しい発作で、集中治療室に入ってしまったため、誕生日には食べられなかった。
やっと食べられたのは、12月も大晦日の前日だった。
病院まで持って行って、病院のレンジで温めて食べさせたのだった。

【その時のグラタン】
娘は、本当に不思議なことに入院していたことは、何も、全く覚えていないと言う。
だから、グラタンに、私が4年前のことを思い出す、と言っても、まったく無関心だ。

ただ、あの大変だった頃を生き抜いて、今に至っている。
娘が、今もしっかり生きて年齢を重ねていることに、親として喜びを感じている。

誕生日を迎えると言えば、今年は、運転免許証の更新に当たる年だった。
いちおう先日、運転免許証の更新に出かけた。
免許証は一度発行してもらったが、やはり医師から書いてもらった診断書の提出を求められた。
どうやら、しばらくは運転が認められない措置になりそうだ。
もっとも、もともと医師からの許しがないと運転させるつもりはなかったのだけれど…。

また1歳齢を重ねた。
ゆるやかではあるが、様々な面で回復の手ごたえは感じている。
何日か前のことでも、自ら話題にできたりすることもある。
この2か月半の間に、3回もホームでのサッカー観戦に出かけることもできた。
その時、駐車場からスタジアムまでの道のりも、元気にあるくことができた。
スタジアムの階段も、手すりにつかまりながらスムーズに森ることができた。
時々、あまりにも簡単に直前のことを忘れて家族ががっかりしてしまうことはあるけれども…。

年齢は上がっていくが、着実な回復を願っているよ。

誕生日、おめでとう!



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年賀状のデザインはいつも

2017-12-09 17:32:40 | 生き方
12月もこの時期になると、年賀状作りにいそしむ。
年賀状のデザインは、20年くらい前から、間違い探しを取り入れている。
「7つの間違い探し」を作っている。
「ペイント」を使って、原画に7つの違いを作り出すのだ。
「毎年楽しみにしている」などと書かれてあると、やめる訳にはいかなくなってしまった。

最近は、干支に関する絵を入れて作っている。
今回も、来年の干支である「いぬ」を入れて作り中である。
今、ここで披露すると、年も明けていないのにネタバレしてしまう。
…ということで、10数年前の昔のものを1つ。


あの頃は、アルビレックス新潟が、J2で優勝して次のシーズンからJ1に昇格する、という時だったのだ。
来季に期待を込めて、今は、これを出しておこう。

7つの間違い探し。

…カンタンですね!?
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この道は…

2017-12-08 22:40:50 | RUN
この道は、いつか来た道…。

この前の日曜日、新潟市内の海沿いの道を車で走る機会があった。
このルートは、新潟シティマラソンの逆コース。
関屋分水の方から、新潟みなとトンネルを通るルートを、海を見ながら走って行った。


よく晴れると、海がきれいだ。

荒れると日本海は、泥のような色に濁る。
しかし、この日は穏やかで、美しいと思った。
好天で、トレーニングとして走っているランナーたちもたくさん見かけた。

この道、2か月前にこの辺を走っていたときには、まだ25km付近なのにバテバテになっていた。

情けなかったなあ…などと、懐かしく思い出していた。
去年までは、今回のドライブと同じ方向に向かって走っていて、その時もバテバテだった。
もっとも、去年までのコースだったら、もう30数kmに至っており、疲れ切ってしまったのもわかるのだけれど。

今年疲れ切ったのは、気温が高かったのと、この場所のせい。

新潟みなとトンネル。
これは、信濃川の河口の下を通るトンネルだったのだ。

空気が逃げないから、本当に蒸し暑かった。
おまけに、上り下りが厳しかったものだから、ここで体力を使い果たしてしまったのだなあ。

終わって時間がたつと、失敗したことでも何でも、笑い話に変えられるのがいいところだとも思う。
来年、またここを走ってリベンジしたい。
海辺の道をさわやかに駆け抜けられたらいいなあ…。
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よく作ったなあ、このツリー

2017-12-07 22:31:21 | ひと
12月。
あちらこちらで、明かりのついたツリーの形を見かける。

今日は、出先でこんなツリーを見かけた。


すごい。
大人の背の高さぐらいはある。
よく見ると、すべてこれ、200mLの牛乳パックで作られている。


すごいなあ。
よく根気強くここまで積んだなあ。
作った人たち、すばらしい!

よくできました!
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積雪 冬の覚悟

2017-12-06 21:15:50 | 新潟
雪が積もった。
面白いことに、新潟の雪と言えば首都圏の人には中越地方を思い浮かべると思うのだが、今回は、新潟県内でも山間部ではなく、平野部に降り続いた。
まだ12月上旬なのに、平野部にこれほどの積雪とは早過ぎる。

朝、車を走らせ始めたら、湿気の多い雪でずいぶんハンドルを取られた。
道端に横向きになって田んぼに落ちそうになっている軽乗用車も見かけた。
そのうえ、国道など主要な道は、雪こそ少ないが、すばらしく渋滞であった。

葉をすべて散らした木も、雪をまとい、真っ白で枝も豊かになったように見える。

黄葉さなかで、まだ落葉しきっていないイチョウの木も雪のせいで寒そうに見える。

ブランコは、乗りに来る子どもたちもいなくて、代わりに雪を乗せて揺れることも忘れている。

駐車場には、除雪車が出動し、10cm以上の積雪となったにもかかわらず力強く雪を除けていた。


帰宅してみたら、家の前の道にも除雪車が通ったため、私の車を止める車庫の前には、妻や娘ががんばって除雪してくれた跡があった。
感謝しつつ、まだ残っているところを追加して雪を動かした。

いよいよ本格的な冬だなあ、と覚悟を決めたのであった。
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「命を粗末にするな。」

2017-12-05 21:57:15 | 「育」業
近年心痛むのは、10代を中心とした子どもの命が大切にされずになくなっていくニュースをよく見ることだ。
簡単に人の命を奪ったり自らの命を失うことが起こったりしているのは、この世の中を歩いてきた大人として、苦しくなる。

先月、話を聞いた大学の先生が、自らの子ども時代のいじめ経験を語りながら、
「つらかったけど、あの頃は、子どものぼくに自死するという選択肢はなかった。」
とも言っていたことに、私は自分の経験上痛く同意した。

振り返ると、50年ほど前、われわれの子ども時代には、「命を粗末にするな。」と口をすっぱくして言う大人が今よりたくさんいたような気がする。
ともすれば、それを言っていた大人たちが、戦争で失われた命があったことを重くとらえていたこと、身近な人を失う悲しみを知っていたことなどが大きかったのかもしれない。

それに比べて、今は命を失うことが軽く見られているような気がしてならない。
現代の子どもたちは、人間関係にもまれて育つことが少なくなり、傷つきやすくなっていると感じる。
家にいるだけだと、他の人とのかかわりがほとんどなく、傷つくことは確かに少なくなる。
それに比べ学校では、級友や年上・年下の子どもたちとのかかわりが生まれ、楽しい経験もするが、思い通りにならない経験も味わう。
だからといって、自分や人の命を軽んじる言動をするのは間違っているとわかってほしい。
子どもたちの周辺には様々なことが起こる。心が傷つくことだってある。
だとしても、子どもたちには、生き続けてほしいのだ。

現代の私たち大人は、子どもたちに言っているだろうか?
「命を粗末にするな!」と。
「人の命と心を傷つけないように気をつけよう。」と。
「お前の命はおまえだけのものではない。」と。
「本当に困ったことがあれば、絶対に言ってほしい。」と。

自分のことを分かってくれる人がいる。
自分のことを励ましてくれる人がいる。
そのことは、私たち大人もそうであるように、子どもたちにはさらに大きな力となる。
私たち大人は、子どもたちを支え、
「あなたの命は、何ものにも代えられない。だから、命を大切にしてほしい。」
と伝え続けていかなくてはいけない。

ここ数年、ずうっとそう思い続けているのだが…。
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同年代の仲間が集う会

2017-12-04 20:55:59 | 生き方
土曜日に行きたかったアルビレックスの試合を我慢して、幹事の一人として運営した会は、ほぼ同じ年代の仲間が集まった会だった。
30人弱が集まった会だった。
その半数が、定年退職しており、残りの半数がまだ現職であった。

集まった人たちを5つのグループに分けて、話を聞く、というのがメインだった。
そこでは、話題を提供する人は、昨年あるいは今年の春に職を退いた人。
集まった人たち一人一人のこれからの人生を考えるために、先に定年退職した人の退職後の暮らしについて話を聞こうというものだ。
定年退職しても、嘱託で仕事をしている人あり、週末にスポ少で指導している以外は特に何もしていない人あり、日本中をドライブして回っている人あり、…いろいろである。
その後、懇親会を行ったことは言うまでもない。

発表した人の話や懇親会等での様々な人の話を聞いて、何人もの退職者は、配偶者との付き合い方に配慮が必要だと言っていた。
互いに自由になる時間が必要だが、一方的であってはいけない、とのこと。
自分の好きなことをやる代わりに、相手にもその時間はやらなくてはいけない。
ただし、自分が好きなことに動く時には、相手の意向も聞いてあげるべきだ、とか。

食事を配偶者に代わって作るようになったが、喜ばれることばかりではなかった。
作った材料を見て、「この時期、これは高すぎるでしょ。」
作っている姿を見て、「どうして、煮えるのを待っているだけなの。その間に別なものを作らないと。」
…などと、ご指導の言葉をいただくのだ、という話は、身に覚えがあって、苦笑した。

同じ年代の者が集まって、気が置けない話をするというのはいいものだなあ、と思った日であった。
退職者のある人の「定年退職後、ストレスがゼロになった」という話を、現職の人たちはうらやましがっていた。
また、ある者が「ゆるやかに下っていく」と形容していた言葉にうなずく人もいた。
またある者は、「やっと好きなことがやれるようになったから、海外に3回も旅行に行った」と言い、驚きの目で見られていた。

定年退職前後の仲間の集まり。
ゆるい話が多くて、気が置けない話をたくさん聞くことができて、好評であった。
年に一度の会だったが、参加者の最低年齢は59歳である。
来年は、全員が定年退職を経験して参加することになるのだなあ…。
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有終の美

2017-12-03 20:18:06 | アルビレックス新潟
最終戦。
対戦相手は、3位のセレッソ大阪。
今季ルヴァンカップで初優勝も果たしている相手だ。
試合は、1-0で3位セレッソ相手に勝利を収めた。
すごい。
これで4連勝。
しかも、直近6試合で5勝1引き分け。
シーズン初めなら、優勝争いができるのに。
戦い方も定まって、自信をつけたのに。

最終順位
14位 清水 勝ち点34 8勝16敗10引き分け 得失点差-18
15位 広島 勝ち点33 8勝17敗 9引き分け 得失点差-17
16位 甲府 勝ち点32 7勝16敗11引き分け 得失点差-16
17位 新潟 勝ち点28 7勝20敗 7引き分け 得失点差-32
18位 大宮 勝ち点25 7勝19敗10引き分け 得失点差-32

残留には、最終的にあと2勝分足りなかったというところだ。
だが、最終戦で本当に最下位を脱出してしまうとは思わなかった。
これで、来季は、J2にいながらルバンカップ予選にも出られることになった。


セレッソ大阪に1-0で勝っていたこともあり、試合終盤には、この日で引退する本間勲選手の出場もあった。
守備的MFとして活躍してきた彼にとって、このシチュエーションは、最も望ましいものだった。
6分余りという短い出場時間だったようだが、試合終了のピッチに立ち、チームメートやサポーターたちと勝利の喜びを味わうことができた。
まさに、花道を飾る最終戦勝利であった。


彼の引退セレモニーを見てから駆けつけてきたS氏は、その試合を本間選手の父親と一緒に見ていたのだそうだ。
セレモニーで話した内容にはふれなかったが、
「あんなに口数の少ない奴だったのに、ずいぶんしっかりしゃべっていた。」
と、とても感慨深そうに語ってくれた。

有終の美。
本間選手にとっても、今年の新潟の選手たちにとっても、呂比須監督にとっても、本当にすばらしい有終の美を飾ったのだと知った。

今日、J1に上がる最後のチームが決まった。
昨季最終戦でJ2に降格した名古屋が、1シーズンでJ1に復帰を果たした。

願わくは、来年の今ごろ、新潟がJ1への復帰の喜びに沸いているようであってほしい、と願っている。

2017年。選手、チームスタッフ、サポーター、その他アルビレックス新潟にかかわったすべての皆さん、本当にお疲れ様でした。
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J1最終戦、勝利の念を送ります…

2017-12-02 11:32:47 | アルビレックス新潟
いよいよ今日、午後2時からデンカビッグスワンスタジアムで、2017年J1リーグ最終戦。
最下位ながら、今日引き分けあるいは勝ちなら、17位浮上の可能性もある。
対戦相手のセレッソ大阪は5連勝中で3位。
新潟も直近5試合負けなしの4勝1分け。
まるで優勝争いの勢いなんだがなあ…。

退任が決まっている呂比須監督と現役引退するMF本間勲にとって最後の試合。
4年ぶりの4連勝で花道を飾ってほしいものだ。

今日の新潟日報では、短い時間となるかもしれないが、本間勲の出場の可能性が示唆されている。
思い切ったプレーをしてほしいものだ。

今日私が幹事をする会に、勲選手の少年時代の恩師になるS氏も参加してくれるのだが、昨夜「勲の最後のセレモニーを見てから行くので、遅れて参加する。」との連絡があった。
こんな大事な日、教え子の大切な試合の日。
遅れても参加してくれる氏に、感謝。
どうか、教え子のラストゲームを目に焼き付けてきてほしい。

がんばれ、アルビレックス新潟。
最後まであきらめない、よい試合を。

同じ新潟市内にいながら参加できないが、勝利の念を送り続けるよ。
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