阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

御神渡りの八剣神社とは?

2006年01月18日 | 諏訪便り

上の写真は2年前に法事で諏訪へ帰ったときに写したものです。この神社には,甲斐の武田軍団が諏訪を占領したときに武田兵が書いた落書きが,そのまま残っているそうです。

八剣(やつるぎ)神社は諏訪大社上社の摂社(筆頭子社)で、諏訪湖畔の小和田地区の氏神さまです。元々は諏訪湖中にあった「高島」という島にありましたが、

 

 

 

秀吉配下の武将・日根野氏が高島に城をつくることになった時に、高島の島民とともに近くの小和田(コワタ)という地に移されました。築城された城がいまの高島城です。

小和田の住人は移住と引き換えに諏訪湖の漁業権と自治権を手に入れ、住民自治は明治まで続きました。ようは住民が持ち回りで町の役職を果たし、

地区民の合議で小和田を運営していたそうです。この神社は諏訪大社の神様になった一族が出雲から天皇族に追われ、諏訪地方に逃げ込む前からの、

元からの縄文時代に遡る氏族神かもしれません。



案内してくれた従兄に、これが一族*の“まき”の祠だと教えてもらいました。
この祠の前にも4本の小さな御柱が建っていました。

小和田地区に昔から住む住人には、先祖を同じくすると伝えられている
いくつかの同族集団があります。それを“まき”と言います。
この“まき”と言う用語は日本各地にあるようですから、古代にまで
さかのぼる概念だと思います。語源を知りたいのですがまだわかりません。
撒き?巻き?牧? 英語で言う“CLAN”と同じことだと思います。

今は別に親戚付き合いをするわけではなくとも、あの家とは同じ
“まき”だと、皆それぞれが承知しているのだそうです。八剣神社の
境内にはこの“まき”の先祖神を祀る祠が、各“まき”ごとにいくつもあります。

年に一度“まき”の人たちは集まって掃除をし、その後、一緒にお茶を飲んだり
酒を温めて歓談すると別の時に聞いたことがあります。

この祠の小さな御柱も「御柱祭」の年の「小宮の御柱祭」で諏訪大社の全ての
子社の御柱が7年ぶりに建て直されるときに、新しく建て直されます。
小宮の御柱祭りは子供たちが主役だと聞きました。

残念ながら私は一回もこれらの行事に住人として、参加したことはありません。

親も昭和20年代、30年代に、九州や関西から子供を連れて故郷の祭りに
帰る余裕は当然ありませんでしたから。

*日本における同族集団: わが国の各地町村にみられる本家・分家の関係の家の結合集団のこと。“同族”ということばは学術用語で,地方ごとにそれぞれ違った呼称がある。まき・まけ・ばっかなかま・じるい・あいじ・じわかれ・おやこまき・いっけ・うちわなどと多種多様で,その集団の形態や社会的機能も少しずつ差異がある。また,これらの集団は本家・分家の枠に必ずしも限定されず,血縁仲間とか親族集団をさしている場合もある。いずれにしても家と家との間の系譜関係,あるいは主従関係によって結合し,たがいに社会生活を円滑に営むために連帯する家々の連合体,これを同族団と呼ぶのが一般化している。都市における商店でも“暖簾内”などと称して,本店・支店の結合をはかっているものがあるが,これも同族団の一種とみられる。//webから引用。

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