〇キムチタクワンなんでしょうね。これでお客がわかるというのが凄い。
〇苦し紛れとはいえエライ。
〇そうでしょうそうでしょう!口ではよういわん人が愛用。私も買いました。
〇これがまわって見えるときは目がお疲れです。
〇これからの季節にはラーメン好きの必需品。
〇目薬もピンポイントで。
〇TDLのレストランはやはり凄い。
〇苦し紛れとはいえエライ。
〇そうでしょうそうでしょう!口ではよういわん人が愛用。私も買いました。
〇これがまわって見えるときは目がお疲れです。
〇これからの季節にはラーメン好きの必需品。
〇目薬もピンポイントで。
〇TDLのレストランはやはり凄い。
阪急名物 神戸線特急 VS 宝塚線急行 VS 京都線特急 三つ巴・併走バトル
この6人が集まると必ず雨になる。2回目の「いなかもん」で、ナマズの薄づくりを食べた。
旨かった。岡山で養殖しているナマズだそうでこの店に来れば、一年中食べることが出来るそうだ。
ナマズはアメリカのニューオリンズに行った時に食べたことがあるがフィッシュボールを揚げたもので味気がなかった。
「いなかもん」は震災の年に開店したそうで、注文した料理すべてが丁寧に造られていて文句のない味だ。
だから、この店をご贔屓のお師匠さんのような、グルメの固定客がついて16年間続いているんだと思った。
キモも新鮮で何とも言えない旨さだった。
刺身の盛り合わせも、野菜サラダも、骨せんべいも口に入れた瞬間、店の主人のおいしいものを
たべてくださいね、という気持ちを感じる。
値段も納得のゾーンでありがたい。
〇海外あちこち記から ニューオリンズ篇(1978年5月)
ミシシッピイ川河口で、上流からハシケで運ばれるカオリン(お白粉などの原料)を本船に積み替えるのに
旋回式水平引込みクレーンが最適ということで、アメリカのコンサルタントから引き合いがあり、
色々な経緯がありましたが受注が決まり、ミシシッピイ川の河口の真ん中に基礎を打ち、
その上にクレーンが設置されることになりました。クレーンのアメリカへの輸出はこれが初めてでした。
上部と下部に分けて組み立てられたクレーンが、台船に乗せられ、日本の工場岸壁から、高馬力の曳船で
太平洋を渡り、パナマ運河を通り、メキシコ湾に入りサイトの近くまで辿り着いたとき、折あしくハリケーンが
近づいたという連絡が入り心配しました。そのためタンパ港へ緊急避難するなど紆余曲折がありましたが、
工事は無事に完了しうまく所期の機能を発揮してお客さんに喜ばれました。
内示後の契約書交渉をするのはお客さんの本社があるニューオリンズでした。
ニューオリンズといえばジャズとフレンチクオーターです。
もちろん土曜日、日曜日はみんなで繰り出し遅くまでジャズを楽しみました。
そして名物料理はナマズ料理と言う話です。夜が来るのが楽しみでした。
まあ刺し身は無理としても焼き物、煮物などどういうふうにやっつけてくれるのか。
土地で有名なレストランに入り、バドワイザーを飲みながら待つこと暫し、
出てきたのはナマズのフィッシュボールの揚げ物が皿にどさりでした。
やはりそこはアメリカでした。フライドボールの山を前にして一人ため息をつきました。
おいしかったけど「洗鱠」や「鯉こくならぬ鯰こく」を想像したのが間違いでした。
期待が大きかっただけに落胆の度合いが大きかったです。
旨かった。岡山で養殖しているナマズだそうでこの店に来れば、一年中食べることが出来るそうだ。
ナマズはアメリカのニューオリンズに行った時に食べたことがあるがフィッシュボールを揚げたもので味気がなかった。
「いなかもん」は震災の年に開店したそうで、注文した料理すべてが丁寧に造られていて文句のない味だ。
だから、この店をご贔屓のお師匠さんのような、グルメの固定客がついて16年間続いているんだと思った。
キモも新鮮で何とも言えない旨さだった。
刺身の盛り合わせも、野菜サラダも、骨せんべいも口に入れた瞬間、店の主人のおいしいものを
たべてくださいね、という気持ちを感じる。
値段も納得のゾーンでありがたい。
〇海外あちこち記から ニューオリンズ篇(1978年5月)
ミシシッピイ川河口で、上流からハシケで運ばれるカオリン(お白粉などの原料)を本船に積み替えるのに
旋回式水平引込みクレーンが最適ということで、アメリカのコンサルタントから引き合いがあり、
色々な経緯がありましたが受注が決まり、ミシシッピイ川の河口の真ん中に基礎を打ち、
その上にクレーンが設置されることになりました。クレーンのアメリカへの輸出はこれが初めてでした。
上部と下部に分けて組み立てられたクレーンが、台船に乗せられ、日本の工場岸壁から、高馬力の曳船で
太平洋を渡り、パナマ運河を通り、メキシコ湾に入りサイトの近くまで辿り着いたとき、折あしくハリケーンが
近づいたという連絡が入り心配しました。そのためタンパ港へ緊急避難するなど紆余曲折がありましたが、
工事は無事に完了しうまく所期の機能を発揮してお客さんに喜ばれました。
内示後の契約書交渉をするのはお客さんの本社があるニューオリンズでした。
ニューオリンズといえばジャズとフレンチクオーターです。
もちろん土曜日、日曜日はみんなで繰り出し遅くまでジャズを楽しみました。
そして名物料理はナマズ料理と言う話です。夜が来るのが楽しみでした。
まあ刺し身は無理としても焼き物、煮物などどういうふうにやっつけてくれるのか。
土地で有名なレストランに入り、バドワイザーを飲みながら待つこと暫し、
出てきたのはナマズのフィッシュボールの揚げ物が皿にどさりでした。
やはりそこはアメリカでした。フライドボールの山を前にして一人ため息をつきました。
おいしかったけど「洗鱠」や「鯉こくならぬ鯰こく」を想像したのが間違いでした。
期待が大きかっただけに落胆の度合いが大きかったです。
今年は樹勢が強くて消毒もしなかったのに梅の実が沢山取れました。
24年前に茨城県から新幹線で苗木を運んだ梅の木は壮年のようです。
少し虫に齧られたのを除いても1.8kgの収穫でした。
新幹線で移動した白梅 2003.3.2記
早朝、外に出ると雨の中を梅の花のいい香りがただよってきました。庭の隅をみると、梅ノ木が白い花を沢山つけているのが見えました。
匂いにつられて木の側まで行ってみると幹が結構太くなっているのに驚きました。
この梅は長女の通った小学校が卒業記念に卒業生全員に送った梅ノ木が大きくなったものです。
彼女が卒業した茨城県北相馬郡藤代町立六郷小学校は六つの郷(村落)から生徒が通学している小学校で、
うちの子は田んぼの中に新しく造成された八百戸ほどの戸建てで出来ている新興住宅地から通いました。
どの家にも庭がある農家中心の地域に茨城都民(新住民の99%の戸主は都内に通勤していた)が混入したことになります。
利根川の支流である小貝川の流域に広がる豊かな農村地区で、JR取手駅からバスで15分から20分くらいのところにありました。
ところが、この記念の梅ノ木は、彼女が中学へ行き出してすぐに私が大阪へ転勤になったため、ボーナスのたびに少しづつ買い増した
植栽類と共に残さざるを得なくなりました。雑草だけしかなかった空地も七年住んで、なんとか庭らしくなってきたところで、
家を売る事になったので家族全員なんとなく寂しい思いになり、梅ノ木だけは引越先の神戸の家に植え替えしようという事になりました。
先行して赴任することになった私が植木屋さんの助言で植え替えは梅雨どきがいいと聞き、6月のある日曜日庭から掘り出し、
根の養生をして手で下げ、常磐線と新幹線で神戸に移動しました。この移植した梅が無事活着し、80cmほどの大きさながら
翌年から花をつけるようになり、それから16年たった今は2m近くに成長し、震災も凌いで毎年花と香りで楽しませてくれます。
わずかに取れる梅の実は梅ジュースになります。
この梅の花が咲くと藤代町で過ごした7年間の生活を相方(アイカタ)や子供たちは毎年懐かしく振返るようです。
注)住所は当時の表記で、現在は取手市に合併されている。
24年前に茨城県から新幹線で苗木を運んだ梅の木は壮年のようです。
少し虫に齧られたのを除いても1.8kgの収穫でした。
新幹線で移動した白梅 2003.3.2記
早朝、外に出ると雨の中を梅の花のいい香りがただよってきました。庭の隅をみると、梅ノ木が白い花を沢山つけているのが見えました。
匂いにつられて木の側まで行ってみると幹が結構太くなっているのに驚きました。
この梅は長女の通った小学校が卒業記念に卒業生全員に送った梅ノ木が大きくなったものです。
彼女が卒業した茨城県北相馬郡藤代町立六郷小学校は六つの郷(村落)から生徒が通学している小学校で、
うちの子は田んぼの中に新しく造成された八百戸ほどの戸建てで出来ている新興住宅地から通いました。
どの家にも庭がある農家中心の地域に茨城都民(新住民の99%の戸主は都内に通勤していた)が混入したことになります。
利根川の支流である小貝川の流域に広がる豊かな農村地区で、JR取手駅からバスで15分から20分くらいのところにありました。
ところが、この記念の梅ノ木は、彼女が中学へ行き出してすぐに私が大阪へ転勤になったため、ボーナスのたびに少しづつ買い増した
植栽類と共に残さざるを得なくなりました。雑草だけしかなかった空地も七年住んで、なんとか庭らしくなってきたところで、
家を売る事になったので家族全員なんとなく寂しい思いになり、梅ノ木だけは引越先の神戸の家に植え替えしようという事になりました。
先行して赴任することになった私が植木屋さんの助言で植え替えは梅雨どきがいいと聞き、6月のある日曜日庭から掘り出し、
根の養生をして手で下げ、常磐線と新幹線で神戸に移動しました。この移植した梅が無事活着し、80cmほどの大きさながら
翌年から花をつけるようになり、それから16年たった今は2m近くに成長し、震災も凌いで毎年花と香りで楽しませてくれます。
わずかに取れる梅の実は梅ジュースになります。
この梅の花が咲くと藤代町で過ごした7年間の生活を相方(アイカタ)や子供たちは毎年懐かしく振返るようです。
注)住所は当時の表記で、現在は取手市に合併されている。
〇この一族は30年ほど代を重ねて住み着き、時々こうしてお目にかかります。
もしかすると40年以上前の、大昔から続いた雑木林だった時からの一族かもしれない。
〇奈良県で生まれたLaQと言うブロックがん具。変幻自在で、こいつには世界的なおもちゃになる可能性がある。
もしかすると40年以上前の、大昔から続いた雑木林だった時からの一族かもしれない。
〇奈良県で生まれたLaQと言うブロックがん具。変幻自在で、こいつには世界的なおもちゃになる可能性がある。
馬上の騎士 http://youtu.be/vkuhqsnZF7Y
カワウソ http://youtu.be/n9APqLA2YKs
プールサイドのネコ http://youtu.be/W-U7MR4buFk
おまけ:段差で動けないオバマ大統領の乗った専用リムジン。なんと重量は8トン。輸血用の血液も積んでいる。
昭和40年代、桜島の桜島埠頭という会社は、席を並べた先輩が担当したお得意さんだった。
よく電話を取ったので「桜島」という地名が懐かしい。西九条から桜島線という支線が出ていて、今は
ユニバーサル・スタジオ駅が出来ている。終点の桜島駅から見る限り、もう40数年前の埠頭の光景はどこにもなかった。
ホームには特別衣装に包まれた車両が待機していた。
よく電話を取ったので「桜島」という地名が懐かしい。西九条から桜島線という支線が出ていて、今は
ユニバーサル・スタジオ駅が出来ている。終点の桜島駅から見る限り、もう40数年前の埠頭の光景はどこにもなかった。
ホームには特別衣装に包まれた車両が待機していた。