これは「中身」、まさに言葉そのままの内臓(ホルモン)。
手前は島ラッキョウですが、シーズン的にちょっと大きめ。
次々退職団塊世代が夫婦で移住しているので沖縄県は人口が増えているそうです。
沖縄フリークの若者も多いようです。何しろ食べ物がおいしい。
公設市場を冷やかした後、2階に上がり「小桜」のマスターが予約してくれていた“つばめ”で昼飯を食べました。偶然ながら2年前に沢山の店の中から相方と入ったのもこの“つばめ”でした。マスターの知り合いのまゆみさんがサービスしてくれました。サシミもゴーヤチャンプルもソーキソバも泡盛も美味しかった。
沖縄の海にはこんな魚や蟹が泳いでます。
小桜2代目のご主人と長年お客さんに愛された小桜のオバア。奥は今回、店に連れていってくれた友人Halimaoさん。現在はオバアは引退し、お店にはご主人の奥さんが遅い時間に出られています。
泡盛の原料は米です。その米はタイ米です。日本政府がタイから一括調達して酒造組合に販売しています。米にはジャポニカ種とインディカ種がありますが泡盛には粘りッ気のある日本で普通に食べるジャポニカ種よりはインディカ種の方が適しているのだそうです。
洗米機から始まってビン詰めまでの工程を見せてもらいました。
両親と妹さんなど全て家族で生産されているようでした。
詳しい工程に興味がある方はこちらにあります。
工場の前は一面、サトウキビ畑でした。
那覇市のメインストリート「国際通り」に面した牧志交番のすぐ横から直角に20mほど入ったところに、そのお店“小桜”があります。昭和30年に先代が開業して以来52年目になるとのことで、那覇で一番古い小料理屋さんです。創業以来店構えを変えていない理由は、ウチナンチュウの古いお客さんの変えないで欲しいという要望や、ヤマトンチューのリピーターのいつ来てもあの小桜に来たと思いたいという希望を考えたオバアや大将の思いからのようです。
今回ご縁があって、店をお訪ねし大将の中山孝一さんお勧めの‘泡盛’の名酒のいくつもの銘柄を6時間ほど次々楽しみつつ、島ラッキョウから始まりソーメンチャンプルで〆る小桜特製料理の数々をたっぷり食べました。出てくる料理は沖縄料理をベースにしながら、食材や調味料の入手先を選び、どの料理も調理に工夫がこらされ小桜オリジナルと言えるもので、深夜に店を出るとき「ああ、今晩は旨いものを食わせてもらった!」と思いました。今回も頂いた豆腐窯とソーメンチャンプルのことを民宿をされている方が画像つきでこちらにも書かれているので、クリックしてお読みください。
飲むにしろ食べるにしろ、この店にいけばいつでも選ばれた泡盛と旨い料理を堪能できると思います。那覇に行かれたらお立ち寄りをお勧めします。
“小桜” 沖縄市牧志3-12-21 電話098-866-3695
これはおいしく食べた料理の一部です。
小桜の詳細はこちらにもあります。但しこの記事(2001年作成)に記載のお勧め泡盛は「春雨」になっていますが、現在の大将お勧めの泡盛は店の壁に看板が出ている“南光”です。次回以降に“南光”の醸造元見学なども掲載します。
元の武家屋敷の道を歩いていたらガジュマルの根がきれいと言うか怪奇と言うかの模様を描いている場所がありました。
ここまでになるのにどれだけの年数がかかったのかと思いました。
空港から那覇市内へモノレールが走っています。沖縄県では唯一のレールを使った交通機関だそうです。左右をキョロキョロ見るのに忙しかった。
首里城にはいくつも門がありました。これは最初の歓会門(かんかいもん)です。どの門も実戦のための門ではありません。
琉球国は中国と薩摩の間に立って、広く東南アジア貿易で立国する国策を取ったため「尚武」の国ではなく「文の国ー守礼の国」を通しました。
そのためか琉球の武家の礼服は他国であれば文官と見られるに違いない服装です。
復元された首里城の正殿。ベンガラの朱色が建物によくマッチしていました。
夜はコープコウベの「ステーション」で紹介されていた沖縄料理の店「うりずん」に行きました。地元のグループと観光客でチョー満員でした。
☆ちゅら海水族館へ行くため、レンタカーで沖縄道を那覇から北へ走り、終点の許田インターで下りました。
その間、日本の高速を走ってこれだけ次ぎ次ぎと米軍の基地が現われるのは沖縄県だけでしょう。
調べてみると沖縄県の面積の10.7%が米軍の基地になっていました。又、日本全国の米軍基地のうちほぼ75%が沖縄県にあるそうです。
ウツボの顔つきとハイエナの顔つきは似ているような気がします。現時点での古生物学の所見では魚類から四股生物が分化したのは3億6千年前だそうです。地球の生命史40億年からするとついこの間のことですから似ていても不思議はありません。今地球で一番のさばって他の生物や植物の存在を脅かしているホモサピエンスと言う種の哺乳類は、アフリカで種として同定してからまだ20万年しかたっていませんが、お互いのコロシアイが止むことがなく間もなく滅びるかもしれません。その方が他の全部の「いきもの」にとってはいいのかも知れませんが。
このヒトデの一種はヅボラな性質で手を伸ばすのをやめたらしいです。
ジュエリーボックスの意匠にしたら評価を受けそうだと思いました。
イトマキエイの名前の由来になった「糸巻き形」を何とかキャッチできました。
大水槽の中を常に遊泳する群がいます。カツオだったか?