この馴染みのウインナも少し小さくなった。粒マスタードとの相性がいい。出来立てのポテトサラダはバルサミコ酢がほどよく利いておいしい。ピッツアの「イル・ヴェント」で食べて感激したポテトサラダ以来、家でもポテサラはバルサミコ酢に決まり。粒マスタードは何となく長年マイユのものに決まり。
花隈に行く用事が出来て久しぶりに[花隈駅]あたりを歩きました。モダン寺と呼ばれる西本願寺神戸別院の横を歩きました。ここから少し浜側へ歩いて「元町商店街」を少しぶらぶらしましたが、マスクをしている人はざっと100人に1人。あの騒ぎはもうこんな感じにと、ちょっとびっくりしました。自分は「カラス天狗」姿で歩きましたが・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/d6/78c1a2391289b984718634f1f27c2ab5.jpg)
昔ながらの洋食屋「朝日食堂」は木曜日で定休日、残念。ここのオムレツやビフカツ、日替わり定食はなかなかなんですが。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/0a/caef5e2ad44dbc426e8013fa866f2d03.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/f8/4bfe5e8681b7b38035c8722c9cb80124.jpg)
明治時代から大正、昭和の花街「花隈」は昭和50年代にはもう寂びれはじめ、今は面影を偲ぶのも難しい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/18/c2971dba2bc559b35ef625a91686c9fc.jpg)
webから引用:
花隈は明治のはじめ、初代兵庫県知事伊藤博文の肝いりで花街となった。料亭、お茶屋、仕出屋…。戦前は百二十軒を超える店があり、千人近い芸者を抱えた。
しかし、海運や造船業が勢いを失うにつれて、優雅な“お座敷遊び”は次第に影を潜める。三宮に社用族が流れ、今や店は十八軒。代わってマンションが建ち、花街の面影はない。 2003年.01.24 神戸新聞
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昔ながらの洋食屋「朝日食堂」は木曜日で定休日、残念。ここのオムレツやビフカツ、日替わり定食はなかなかなんですが。
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明治時代から大正、昭和の花街「花隈」は昭和50年代にはもう寂びれはじめ、今は面影を偲ぶのも難しい。
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webから引用:
花隈は明治のはじめ、初代兵庫県知事伊藤博文の肝いりで花街となった。料亭、お茶屋、仕出屋…。戦前は百二十軒を超える店があり、千人近い芸者を抱えた。
しかし、海運や造船業が勢いを失うにつれて、優雅な“お座敷遊び”は次第に影を潜める。三宮に社用族が流れ、今や店は十八軒。代わってマンションが建ち、花街の面影はない。 2003年.01.24 神戸新聞
海抜284mの「領布振山」(ひれふりやま)に登ると眼下に「虹の松原や唐津市街地及び唐津湾」が見えました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/d0/6618bccf548ece1e29cfc55cd66a0ee0.jpg)
唐津の町は緑が多く、落ち着いた雰囲気の歴史のある町でした。
唐津くんちの曳山14台を唐津神社の西隣にある「曳山展示場」で見ました。
この画像はwebから借用。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/0c/68793a74abb083f497aa93702ef00328.jpg)
長さ5kmあるという「虹の松原」は見事なものでした。一本の松くい虫の被害もないというのは、自然環境の良さと樹勢の強さの両方でしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/a3/f88d898c0dd9fb92be8d6bf0d776d718.jpg)
河口の先端に遠くこんもりと緑の塊りが見えますが、ここに唐津城があります。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/a4/0f254d1c6e60100f43a6cf0540f1d375.jpg)
唐津城から見えるこの島の向うに壱岐対馬が見えるそうです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/d5/b7c63c0887be6be6d93cd13c22de95ab.jpg)
この展望台の笑顔が語るように、肥前の旅はこのスポットで楽しくお開きになりました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/c4/4d39b63c75015afbf16f82e99a6c13ec.jpg)
肥前の国の観光スポットの選択や宿の予約など事前に、一手に準備してくれたN君ありがとう。関西からの切符手配をまとめてくれたO君ありがとう。そして全行程の運転、お二人さんお疲れ様でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/d0/6618bccf548ece1e29cfc55cd66a0ee0.jpg)
唐津の町は緑が多く、落ち着いた雰囲気の歴史のある町でした。
唐津くんちの曳山14台を唐津神社の西隣にある「曳山展示場」で見ました。
この画像はwebから借用。
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長さ5kmあるという「虹の松原」は見事なものでした。一本の松くい虫の被害もないというのは、自然環境の良さと樹勢の強さの両方でしょう。
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河口の先端に遠くこんもりと緑の塊りが見えますが、ここに唐津城があります。
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唐津城から見えるこの島の向うに壱岐対馬が見えるそうです。
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この展望台の笑顔が語るように、肥前の旅はこのスポットで楽しくお開きになりました。
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肥前の国の観光スポットの選択や宿の予約など事前に、一手に準備してくれたN君ありがとう。関西からの切符手配をまとめてくれたO君ありがとう。そして全行程の運転、お二人さんお疲れ様でした。
2日目は武雄温泉に泊まりました。泊まった「京都屋」という旅館は“大正浪漫”をウリにしているとかで、建物も従業員もけっこう古いというかベテラン揃いでした。「京都屋」の名前の由来は、4代前の女性創業者が京都で旅館の女中勤めをして、武雄に戻って旅館を開業したところから“京都屋”と名付けたんだそうです。
夜の食事は通り一遍の旅館のサシミや天麩羅類ではなく、ヌーベル・クイジーヌ風の懐石で、品ごとの量が多くなく、どの料理も丁寧に作られていておいしかったです。板さんに旨かったよと伝えてと、サーブしてくれた仲居さんに言うと、「はい、うちの板前やんは年に何回か東京、大阪へ出かけて、いつでんかんでん料理ば勉強しておる」と誇らしそうにまた嬉しそうに答えました。 酒は佐賀の地酒を4種類頼みました。いずれも旨い酒でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/1a/a1ade73d1ef58786f34b21af4c7c613a.jpg)
翌朝、宿の温泉にまたつかって、70歳を越えたこの宿屋の宝物のような女中さんに給仕してもらって(佐賀弁の語りを楽しく聞きながら)、旨い朝飯を済ませました。女中さんに高速道路土日千円の効用を聞くと、「お陰さんで、連休中はお客やんに沢山きてもろてありがたかったばい」とのことでした。そのあと今回のツアーをアレンジしてくれたNくんの勧めで、武雄温泉の源泉を見に行きました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/10/3b2495f241ab0b9cc59b1f0f3192d088.jpg)
この門と建物は、東京駅を設計した佐賀出身の建築家「辰野金吾」が設計した貴重な建物です。辰野の設計した建築物はしっかりしたものばかりだったので、彼は「辰野堅固」と呼ばれていたとか。この源泉からは40度以上の何種類かの湯が365日こんこんと湧いていて、中でゆっくり半日ほど楽しめそうでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/10/24/d5ab9023b6ea093826094f9d1f6d5850.jpg)
温泉街を歩いていたら、使用済みのペットボトルを利用した、こんな花架けがあちこちに見られました。大川内山の街でもそうでしたが、ヨーロッパの町のように花が沢山あるのは気持ちのいいものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/13/816ce952a8a17604994459923ab75fd6.jpg)
京都屋専属らしいボンネットバスが駐車場にありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/38/7a23a16707928fc524a72393c4829832.jpg)
ちなみに初日に泊まった若木のロッジは静かな環境の中、ゆっくり出来ました。一泊3150円とはありがたいお値段でした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/23/53030598538d185bba33e3ae90f363fa.jpg)
夜の食事は通り一遍の旅館のサシミや天麩羅類ではなく、ヌーベル・クイジーヌ風の懐石で、品ごとの量が多くなく、どの料理も丁寧に作られていておいしかったです。板さんに旨かったよと伝えてと、サーブしてくれた仲居さんに言うと、「はい、うちの板前やんは年に何回か東京、大阪へ出かけて、いつでんかんでん料理ば勉強しておる」と誇らしそうにまた嬉しそうに答えました。 酒は佐賀の地酒を4種類頼みました。いずれも旨い酒でした。
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翌朝、宿の温泉にまたつかって、70歳を越えたこの宿屋の宝物のような女中さんに給仕してもらって(佐賀弁の語りを楽しく聞きながら)、旨い朝飯を済ませました。女中さんに高速道路土日千円の効用を聞くと、「お陰さんで、連休中はお客やんに沢山きてもろてありがたかったばい」とのことでした。そのあと今回のツアーをアレンジしてくれたNくんの勧めで、武雄温泉の源泉を見に行きました。
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この門と建物は、東京駅を設計した佐賀出身の建築家「辰野金吾」が設計した貴重な建物です。辰野の設計した建築物はしっかりしたものばかりだったので、彼は「辰野堅固」と呼ばれていたとか。この源泉からは40度以上の何種類かの湯が365日こんこんと湧いていて、中でゆっくり半日ほど楽しめそうでした。
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温泉街を歩いていたら、使用済みのペットボトルを利用した、こんな花架けがあちこちに見られました。大川内山の街でもそうでしたが、ヨーロッパの町のように花が沢山あるのは気持ちのいいものです。
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京都屋専属らしいボンネットバスが駐車場にありました。
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ちなみに初日に泊まった若木のロッジは静かな環境の中、ゆっくり出来ました。一泊3150円とはありがたいお値段でした。
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日曜のブランチは焼きビーフン。タイのナンプラー(ベトナムならヌックマム)を少し垂らすと一段と旨くなります。このナンプラーはサンマの魚醤で出来ている。調味料の常備品にエントリーしてから欠かせなくなった。
武雄市の竹古場キルンの森公園に「飛龍窯」があります。世界最大容量の「登り窯」としてギネスに登録されているそうです。中に入ってみましたが大きな窯室がいくつも並んでいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/97/b993cc1985ed3ba0145576f4733a8146.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/9d/ba7bd0c94d5613c4f6a83cfa3a399e44.jpg)
窯の横に咲いていたアザミの花
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/5a/94e9c0a84f001d78309d4e219cecb117.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/a3/b95d1bc94a249d98f951bfee411de614.jpg)
要所要所に熱センサーを設けて、煙熱の均一性自動管理をしているのかどうか知りませんが、これだけの容量の窯を安定して運転するのは容易なことではないような気がしました。
世界一の登り窯を作るというお題目が先行して、お役所主導のデスク上のアイデアがカタチになった?気がしましたが思い過ごしかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/97/b993cc1985ed3ba0145576f4733a8146.jpg)
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窯の横に咲いていたアザミの花
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要所要所に熱センサーを設けて、煙熱の均一性自動管理をしているのかどうか知りませんが、これだけの容量の窯を安定して運転するのは容易なことではないような気がしました。
世界一の登り窯を作るというお題目が先行して、お役所主導のデスク上のアイデアがカタチになった?気がしましたが思い過ごしかもしれません。
磯之州さんから教えてもらった、その名も「ポテチオムレツ」。ポテトチップ一袋分をざっと砕いて卵3個に混ぜてオムレツを作る。調味料は一切使わない。チップに使われている油と塩と香辛料のパワーで充分。なかなかいけます。今回は初めての試みで固めにしたが、次回はトロリでやってみよう。風味的にはスパニッシュオムレツ風でした。
佐賀県武雄市若木に立つ「川古の大楠」は樹齢3000年とか。佐賀県の県の木は楠の木。この木が幼木だったころ、このあたりを貫頭衣を着た原日本人が槍や弓矢を手に、鹿や猪を追って走り回っていた。その後、彼らは鉄の武器を持って遅れて日本列島に渡ってきた「大和族」から「土蜘蛛」と呼ばれ(肥前国風土記)、「大和族」との熾烈な長期間の闘争に負けて律令国家に組み込まれていった。この木はそんなシーンを見たのかどうか。
大木を見るのは好きだ。40億年前に誕生した地球生命体の子孫として、お互いがここで挨拶を交わすのも嬉しい。
なんがなし嬉しうなって、「イヨっ、大先輩、がばい元気そうやね。なしてそがん長生きの出来ると?いつまでもお元気でいてくんしゃい」と心中話しかけてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/5e/05fa71c0dd5a77e0d7407fd1d237233e.jpg)
保存のためには止むを得ないのだろうが、周囲が公園化されていて大楠に野性味は感じられない。想像したよりは高い木ではなかったが、3000年も生きていれば縮むのも当たり前か。出来るだけ長生きして欲しいと思った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/eb/18ec673312b0ce398d64de7ac4f9e3d0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/39/5e0434c4d0a7930fae4791eec9a9d525.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/f1/ce3f9315fc8699193c8a9495fe1e9672.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/23/96/9d81fcc3e293086d41cdecba2cff3a4f.jpg)
大楠の画像シリーズはこちら
大木を見るのは好きだ。40億年前に誕生した地球生命体の子孫として、お互いがここで挨拶を交わすのも嬉しい。
なんがなし嬉しうなって、「イヨっ、大先輩、がばい元気そうやね。なしてそがん長生きの出来ると?いつまでもお元気でいてくんしゃい」と心中話しかけてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/5e/05fa71c0dd5a77e0d7407fd1d237233e.jpg)
保存のためには止むを得ないのだろうが、周囲が公園化されていて大楠に野性味は感じられない。想像したよりは高い木ではなかったが、3000年も生きていれば縮むのも当たり前か。出来るだけ長生きして欲しいと思った。
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大楠の画像シリーズはこちら
2008年9月25日、神戸から高松までフェリーに乗りました。大きなフェリーの客席はシート席と横になれるカーペット席の二つがあります。ゆっくり身体を伸ばして持参した本を読んだり、ウトウトしたり、瀬戸内海の風景を楽しむ贅沢な旅は片道1800円。大阪・神戸から、高松に渡るには知る人ぞ知る最も経済的な交通手段です。興味のある方は「ジャンボフェりー」で検索してください。動画は冗長なので高松港入港までに居眠りする怖れがあります。
平成20年9月28日に掲載した記事(クリック)をYouTubeを使って再掲載。
平成20年9月28日に掲載した記事(クリック)をYouTubeを使って再掲載。
トップの画像は[吉野ケ里遺跡「北内郭」遠望]
奈良県大和高田市の住人Zさんが、長年温めていた企画「九州古代遺跡ツアー」を実行し、お仲間4人と車で九州にでかけられたそうです。その行程は「古代史同好の先輩の車に便乗して九州4県 1150kmを走破しました。」とのことです。Zさん、充分堪能されたようですね。ステキなショットを有り難うございました。席を並べて仕事をしていたのはもう20年くらい前になりますか。ますますライフワークとされる「古代遺跡探訪」をお楽しみください。
桂川王塚装飾古墳館「石室レプリカ」の迫力
♪この色使いには南太平洋のかほりを感じますね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/9a/e119c387035857085fe5646aec29dfec.jpg)
宇佐神宮の呉橋は勅使だけが渡る事が出来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d3/b386f1e346055e7e643fc7c7264f2f5d.jpg)
ちなみにZさんの概略旅程は;
5/11 19:10 出航の太平洋廻り宮崎行きフェリーで西下
5/12 宮崎港で下船。「蓮池横穴古墳群」「西都原古墳群」
夕方に「国見が丘」-「天の岩戸神社」
20:00~21:00 高千穂神社の「夜神楽(神話伝承神楽)」拝観。高千穂(泊)
5/13 山鹿市で県立装飾古墳館→岩原古墳群→市立博物館員の案内で
「オブサン」「チブサン」装飾石室古墳。更に「肥後古代の森」として
綺麗に公園化された「江田船山古墳」見学。「山鹿 かんぽの宿」泊
5/14 八女市 磐井の乱で名高い磐井氏の古墳「岩戸山古墳」→同古墳の資料館で
熱心かつ懇切丁寧な解説を受け「得」をした感じ。
同域内の八女古墳群「乗場古墳」→月隈JCT 近くの「金隈遺跡」で大量
の甕棺墳墓に驚く。
大宰府は翌日に残し「きく智城」復元山城見学→桂川の「王塚古墳
「王塚装飾古墳館」閉館寸前に飛び込む。 「博多」泊
5/15 →前原市 AM8:00曽根遺跡/平原遺跡(伊都国王の墳墓 39枚の銅鏡
出土)在野の奇特なボランテイア氏に詳しく解説受け→隣接伊都国歴史
博物館々長 直々の館内案内説明受けに恐縮。
→海の中道→志賀の島「金印出土地」石碑→志賀海神社→「宗像大社」
→(九州自動車道。途中、湯布院で由布岳眺望)→大宰府 「大宰府」泊
5/16 (九州自動車道ー宇佐自動車道)→「宇佐神宮」呉橋より参詣
(上宮ー下宮 とも参詣)→各種地獄からの温泉噴煙を見ながら別府港。
PM6:50出航の「サンフラワー号」乗船。
5/17 AM6:30 大阪南港に無事帰阪。
奈良県大和高田市の住人Zさんが、長年温めていた企画「九州古代遺跡ツアー」を実行し、お仲間4人と車で九州にでかけられたそうです。その行程は「古代史同好の先輩の車に便乗して九州4県 1150kmを走破しました。」とのことです。Zさん、充分堪能されたようですね。ステキなショットを有り難うございました。席を並べて仕事をしていたのはもう20年くらい前になりますか。ますますライフワークとされる「古代遺跡探訪」をお楽しみください。
桂川王塚装飾古墳館「石室レプリカ」の迫力
♪この色使いには南太平洋のかほりを感じますね。
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宇佐神宮の呉橋は勅使だけが渡る事が出来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/d3/b386f1e346055e7e643fc7c7264f2f5d.jpg)
ちなみにZさんの概略旅程は;
5/11 19:10 出航の太平洋廻り宮崎行きフェリーで西下
5/12 宮崎港で下船。「蓮池横穴古墳群」「西都原古墳群」
夕方に「国見が丘」-「天の岩戸神社」
20:00~21:00 高千穂神社の「夜神楽(神話伝承神楽)」拝観。高千穂(泊)
5/13 山鹿市で県立装飾古墳館→岩原古墳群→市立博物館員の案内で
「オブサン」「チブサン」装飾石室古墳。更に「肥後古代の森」として
綺麗に公園化された「江田船山古墳」見学。「山鹿 かんぽの宿」泊
5/14 八女市 磐井の乱で名高い磐井氏の古墳「岩戸山古墳」→同古墳の資料館で
熱心かつ懇切丁寧な解説を受け「得」をした感じ。
同域内の八女古墳群「乗場古墳」→月隈JCT 近くの「金隈遺跡」で大量
の甕棺墳墓に驚く。
大宰府は翌日に残し「きく智城」復元山城見学→桂川の「王塚古墳
「王塚装飾古墳館」閉館寸前に飛び込む。 「博多」泊
5/15 →前原市 AM8:00曽根遺跡/平原遺跡(伊都国王の墳墓 39枚の銅鏡
出土)在野の奇特なボランテイア氏に詳しく解説受け→隣接伊都国歴史
博物館々長 直々の館内案内説明受けに恐縮。
→海の中道→志賀の島「金印出土地」石碑→志賀海神社→「宗像大社」
→(九州自動車道。途中、湯布院で由布岳眺望)→大宰府 「大宰府」泊
5/16 (九州自動車道ー宇佐自動車道)→「宇佐神宮」呉橋より参詣
(上宮ー下宮 とも参詣)→各種地獄からの温泉噴煙を見ながら別府港。
PM6:50出航の「サンフラワー号」乗船。
5/17 AM6:30 大阪南港に無事帰阪。