昨夜は「成徳小学校」の前を通り、インドネパール料理の「インドラマハール」へ行った。
2013.06.23 ~ 2013.06.29
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2回ほどM会をパスしていたので久しぶりの顔合わせでした。この日は一人旅のポルトガルから帰ったばかりのAッちゃんも参加して、
リスボンやファドや街の人たちとの交流の模様をたっぷり聞かせてもらいました。なにしろイワシを普通に七輪で焼いて食べる国は欧州ではポルトガルだけで、
人情も自然体だそうで、すっかりお気に入りの国になったそうです。お土産に『ファド』のCDを2枚頂きました。↑
それにしてもやはり『竹うち』の料理には一同大満足でした。何しろ神戸からの4人と宝塚からの1人が、
大阪は天神橋筋から少し入った与力町にあるこの店に通っているくらいですから。
ポルトガル一人旅が掲載されているブログはこちら。
ファドは、ポルトガルに生まれた民族歌謡。ファドとは運命、または宿命を意味し、このような意味の言葉で自分たちの民族歌謡を表すのは珍しい。
1820年代に生まれ、19世紀中ごろにリスボンのマリア・セヴェーラの歌によって現在の地位を得た。
イタリアにカンツォーネ、フランスにシャンソン、アルゼンチンにタンゴ、ブラジルにサンバがあるように、ポルトガルにはファドがある。
主に「Casa de Fado」と呼ばれる(または「Casa do Fado」)レストランなどで歌われる大衆歌謡で、主にポルトガルギター(ギターラ)と現地では
ヴィオラと呼ばれるクラシック・ギター(スチール弦使用)、(時には低音ギター(ヴィオラ・バイショ)が加わる場合もある)で伴奏される。
日本では、ファドは女性が歌うものとの認識が強いようだが、実際には性別に関係なく歌われる。また、ファドは暗く悲しいものだという誤解をもって
紹介されることも多いが、我が町を賛美したり、街のうわさ話などを題材とした陽気なファドも数多くある。
因みに、「大航海時代に帰らぬ船乗りたちを待つ女たちの歌」という起源説は、1974年まで続いた独裁政権(エスタード・ノーヴォ)の
文化政策の中で作られたでっちあげである。アマリア・ロドリゲス(1920~1999)が国民的歌手として国内外で知られ、その人気は死後も衰える兆しを見せない。
首都リスボンと中北部の中心都市コインブラでそれぞれ独特のファドが育まれ、コインブラのそれはコインブラ大学の学生たちのセレナーデとして存在している。
日本でよく語られる「リスボンのファドは暗く、コインブラのファドは明るい」という説も、大きな誤解である。
2011年にはユネスコの「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表」に記載された。(Wikipediaから部分引用)
Amália Rodrigues "Naufragio" (アメリア・ロドギレス 難破船)