一部引用・・・
が、食料はすぐに底を尽き、牛は600メートル幅の川を渡る際に半分が溺れ死に、生き残った牛も崖などから谷底に落ちて途中で全滅。牟田口司令官が「攻略目標」の日とした天皇誕生日の頃には兵士は飢え始め、現場から食料の補給を求める声が届いても「飲まず食わず、弾がなくても戦うのが皇軍。それなのに泣き言を言うとは」などとキレて放置。その間にも兵士は弱り果て、次々と飢えやマラリア、赤痢、そして手榴弾による自決などで命を落とし、インパールに続く道は「白骨街道」と呼ばれるほどになる。
そんな状況に耐えきれずにある師団は師団長の独断で撤退(戦時中、初めてのことだったらしい)。その後、他ふたつの師団長も解任されるのだが、まだ作戦は中止されずに続くのだ。
結局、死者を膨大に生み出しただけのインパール作戦は7月にやっと中止されるのだが、その後、牟田口司令官はトンデモないことを言っている。彼自身、4月終わり頃には作戦の失敗がわかっていたというのだ。しかし、どうしても「やめる」と言えなかった。自分がゴリ押しして始めた作戦。それを「途中でやめる」だなんて、「男の沽券」に関わるとでも思ったのだろうか。そのことについて、牟田口司令官は「顔色で察してほしかった」と甘え腐ったことを抜かしている。「忖度しろ」ってことか? 4月の時点で中止を決めてさえいれば、救われた命はどれほどあっただろう。
さて、何かに似ていないだろうか。コロナ禍でゴリ押しされようとしている東京オリンピックである。やめた方がいいとわかっているのに、誰もやめると言い出せない。決断できない。世論調査でも8割の人が中止、再延期を求めているのに。だからこそ今、「やめる」という決断をすることこそがリーダーのすべきことなのに、その決断ができない。緊急事態宣言でいろんなことを制限しながら「オリンピックはやります」ではなんの説得力もないのに。まさに狂気の沙汰、インパール五輪と言いたくなってくる。一言でいうと、もうついていけない。
飲食店もアーティストも、「もう疲れた」と言っている。私も疲れてきて、最近はニュースを見るのも嫌になってきた。
一方で、役所の閉まる大型連休は困窮者が続出する時でもある。
ということで、ゴールデンウィーク中に「大人食堂」を開催する。
恐怖のインパール五輪〜家が火事なのに「祭りがしたい!」と駄々をこねる成人男性が支配する国 https://t.co/diC9QOVB2B
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開店早々の頃に、“イル・ヴェント”を見つけた本人が家族と帰神したので、お昼にでかけました。赤ワインを含めてよく飲みよく食べてみな大満足でした。
考えるとあのころから15年以上家族で通っていることになります。
時々一緒に飲むお二人とは職場は違ったが大阪の事務所で昭和43年に出会って以来、ほぼ50年近い付き合いだ。入社は私より2年と3年の先輩になる。
この日もお互いの中国・韓国・台湾でのビジネス体験をベースに、時事ネタで2時間話が弾んだ。勿論森友学園スキャンダルの話題も。
ニューミュンヘン本店は「曾根崎お初天神通り」にある。
この日は初めて飲み放題付きのコースを予約した。とても食べきれないほどの品数で当然この店で外せない唐揚げも登場した。
富国生命ビル。前の懐かしい外観のビルは全く新しいビルに変わった。
この日のウオーキングの行先は旧中川でした。ふれあい橋方向ではなく平井橋方向に歩きました。両方あまり歩く距離に変わりはありません。
この場所は一年を通しての撮影の定点観測ポイントでもあります。
葦は順調に伸びています。
210423 ウオーキング 歩行数 4651歩 歩行距離 2.8㎞
旧中川の定点撮影ポイントから100mほど歩くと大手のパン屋さんへの製造卸専門の工場があり、そこに付随して小さな販売店があります。
大手の百貨店やスーパーのテナントベーカリーも全てのパンを自社で作ってはなく、種類によってはこの会社に発注しています。
このサンワローランというパン製造卸専門の会社は昭和22年創業で、現在は年商13億となり経営は順調のようです。
パンの売り場「PANZOU」。 テレビ番組のロケの途中タレントのマツコが食パン15斤をここで爆買いしたとあるネットサイトい出ていました。
サンドイッチを作る時にあまる食パンの耳は無料でキャッシャーの近くに置き場があり、
毎回貰って帰りますが、それを含めて6人家族分たっぷり買ったあと、
帰り道の途中にちょっと寄り道して相方がネットで見て興味を持った焼き鳥屋「鳥満商店」に寄ってみました。
(店の画像はネットから借用)
おじさん二人とおばさん一人で持ち帰り専門のこの店をやっているようで、三人が元気な限りのお店のようでした。
一本110円でいろいろ八本買いました
この日の夕食に食べました。大げさでなくこれまでの生涯で各地各店で食べてきた焼き鳥の中でダントツに一番おいしい焼き鳥でした。
鶏肉の材質・焼き方・たれが三拍子そろい、こんな隠れた名店があるのかと感嘆する内容でした。間違いなくこれから時々寄ります。
磯のすーさんのブログのエントリー「稲村ヶ崎 強風で砂が飛んで来ました 2011年4月25日ブログの再アップです - 磯のすーさん あれこれ (goo.ne.jp)」 ←click
を鎌倉の「七里ヶ浜写真館」のHT館主に連絡したら、館主が朝の散歩のいつものコースを変更し10年後になる2021年4月26日の「稲村ヶ崎」の撮影に行かれました。
七里ヶ浜写真館館主から頂いたメール⇒「あいにくの逆光ですが稲村ヶ崎の写真です。
いかにも新田義貞が刀を海に投入するにふさわしい地形ですね。 唱歌「鎌倉」は “七里ヶ浜の磯づたい”で始まります。
トップと個の画像は稲村ヶ崎からの富士山です。
北からの強風のおかげでこの季節には珍しく久しぶりにくっきりと姿を見せました。
銅像は1910年(明治43年)1月、ボートで遭難した逗子開成中学の12名の少年を悼んで建立されたものです。
「真白き富士の根(七里ヶ浜の哀歌)」の歌詞が刻まれています。私の愛唱歌の一つですが2番の最後は“恨みは深し七里ヶ浜辺”で
結ばれています。我が地、七里ヶ浜も結構歌に出てくるなとあらためて思いました。」
◎HTさん なんと見事な富士山でしょう!! ありがとうございました。
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おまけ・・・
鳩 高橋睦郎
その鳩をくれないか と あのひとが言った
あげてもいいわ と あたしが答えた
おお なんてかあいいんだ と あのひとがだきとった
くるくるってなくわ と あたしが言いそえた
この目がいいね と あのひとがふれた
くちばしだって と あたしがさわった
だけど と あのひとがあたしを見た
だけど何なの と あたしが見かえした
あんたのほうが と あのひとが言った
いけないわ と あたしがうつむいた
あんたが好きだ と あのひとが鳩をはなした
逃げたわ と あたしがつぶやいた
あのひとのうでの中で
詩集『ミノ・あたしの雄牛』より
もう2週間以上前になるが、ウォーキングして蔵前橋通りの台湾料理の「夢蘭」まで行った。でも昼の定食のメニューの品数はその日の自分達には多過ぎるように感じて
前から気になっていたそこからすぐ近くのベトナム料理の店に行ってみることにした。
昼は500円メニューがあった。相方はとり肉のフォー、私は辛いフォーにした。
店のオーナーシエフはベトナム人で錦糸町秋葉原でやっていた店をたたんで、当地で奥さんの実家がやっていた小料理の店のあとに
ベトナム料理の店を始めたという。スープも麺もほんまもんはやはりなんともおいしい。また来ることになりそうだ。
私が申告した辛さは相方にもう1段階下げたらと助言されてそうしたが、それでも舌が焼けるほど旨辛かった。
210408 ウォーキング 歩行数 3982歩 歩行距離 2.4㎞
数学の本かと思ったら、数学に限らず 人間の事、思考の事、社会の事、子供の事、禅の思想のことなどが書いてあった。
全篇に流れているのは思考の根っ子に「いまここに在る」という思いだ。
勿論数学の本質に関する記述もあって、その中に「行為に先立って意味があるのではない。記号運用のルールにしたがった計算の反復の果てに
意味はあとからついてくる」という箇所に、自分が微分積分でつまずいた理由が分かったような気がした。
引用された書の著者には 岡潔、澤木興道、内山興正、和辻哲郎、プラトン、芭蕉、白川静、荘子、ノヴァル・ノア・ハラリその他多くがあって
小学校4年生までアメリカで英語で育って 日本へ帰国して後の森田さんのその後の思考や探求心が影響を受けた浩瀚を思う。
全158ページの読み易いエッセイ体の本だったが結構濃い本だった。
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文中の言葉のいくつか
❝❞目の前の何気ない事実を、あることもないこともできた偶然として発見するとき、人は驚きととともに「ありがたい」と感じる。
いま(present)が、あるがままで「贈り物(present)」だと実感するのは。このような瞬間である❝❞
❝❞「ことば」とは本来、「こと」の「端」だという。ことばは、事実に比べていつも不完全である。肉声で寄ろうが、文字によろうが、ことばは、
事実に遅れる宿命にある。 だが、ことばにはまた、「こと」を引き起こす力がある。ことばはこのとき、未来への「端ーいとくち」となる。
人は、初めからあった世界の端くれとして生まれ、未だかってない世界の端ーきざしを示して、滅びていくことが出来る。
おくれ、おくられる人間のことばは、この矛盾をそのまま内包している。❝❞
月下美人の葉からまた新しい葉が勢いよく出てきて 光りながら伸びている
2020年9月14日の月下美人の鉢
「ミントテロ」と言う言葉は聞いてはいたが、確かに庭に下ろしたらエライことになるというのを実感する。
この勢いで増えたら確かにあっという間に占領されるだろう。
5㎝のミントの小枝を鉢に植えたら 2カ月ほどで新しい芽ばえがいくつも鉢から出できた。
繁殖力が並ではなく、駆除しても小さな根のかけらでも残れば再生してまた増えるという。
図書館の前の家にあるこの木は今頃いつもきれいに咲く。
図書館から5分も歩くと京葉道路に出る
バスの時刻表を見ると20分ほどすると両国駅前行が来るので待つことにした。両国は神戸時代によく泊まったホテルがあるので知った土地だ。
両国駅までのバス乗車時間は25分だった。
両国駅前行きのバスの終点の降車口は国技館の前にある。国技館は閑散としていた。
両国駅の中の「江戸NOREN」施設の中の店は営業はしていたが、がらんとして人影はなかった。
帰りは電車で帰った。
210420 ウオーキング 歩行数 5897歩 歩行距離 3.8㎞
この日はコロッケ、ピーマンはさみ揚げ、ナスはさみ揚げ、とりの唐揚げ、イカの唐揚げに関東では定番のハムカツを買った。
生活用品や日々の食品はすべて生協、西友、楽天、ヨドバシ、アマゾンにネットオーダーしてほぼ毎日自宅まで配送してもらうので
家人が買い物に出るというのはだいぶ前に なくなったが、時々 テイクアウトの焼き鳥屋や肉屋の惣菜を散歩がてら買いに行く。
ところで「ハムカツ」は関東では居酒屋でも定番のメニューだが、関西では「ハムカツ」メニューのある居酒屋に巡りあったことはなかった。
今回神戸から関東に引っ越してああそうだ「ハムカツ」という好きな食べ物があったんだと思いだした。
「ハムカツ」と言うメニューが土地に定着しているのは、あるいみ関東圏の都県民の食べもの世界のつつましさを物語っているのかもしれない・・という気もする。
この肉屋さんは週3日の開店で営業しているので、この日もし店があいてなかったら、次の候補のインドネパール料理のテイクアウトのネパール人経営の店に向って歩く予定だった。
210419 ウオーキング 歩行数 2710歩 歩行距離 1.8㎞
こんやは二時間も待ったに
なんで来てくれなんだのか
おれはほんまにつらい
あんまりつらいから
関西線にとびこんで死にたいわ
そやけどあんたをうらみはせんで
あんたはやさしいて
ええひとやから
ころしたりせえへん
死ぬのんはわしの方や
あんたは心がまっすぐして
おれは大まがり
さりながら
わいのむねに穴あいて
風がすかすか抜けよんねん
つべとうて
くるしいて
まるでろうやに ほりこまれて
電気ぱちんと消されたみたいや
ほんまに切ない お月さん
──お月さん やて
あほうなこと云いました
さいなら、わしゃもうあかへん
死なんでおれへん
電車がええのや
ガーッときたら
ギョキッと首がこんころぶわ
そやけど
むかしから
女に二時間待たされたからて
死んだ男がおるやろか
それを思うとはずかしい