ジャカルタによく通っていた昭和50年代後半に買って帰った「ガルーダ」。
震災で棚から落ちて折れた羽は修復しました。いつの出張のときか、どんな店で買ったかなどもう全く覚えていませんが、トランクに入れずに手荷物で大事に持ち帰ったことは覚えています。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ガルダ(梵語:गरुड Garuḍa)は、インド神話に登場する炎の様に光り輝き熱を発する神鳥。ガルダはサンスクリットやヒンディー語による名称で、パーリ語ではガルラ(Garula[1])、英語やインドネシア語などではガルーダという。カシュヤパとヴィナターの息子で、ヴィシュヌのヴァーハナ(神の乗り物)である。
ヴァイナテーヤ(Vainateya、ヴィナターの子の意)、ガルトマーン(Garutman、鳥の王の意)、スパルナ(Suparna、美しい翼を持つ者の意)、ラクタパクシャ(Rakta-paksha、赤い翼を持つ者の意)、スレーンドラジット(Surendra-jit、インドラを滅ぼす者の意)、ラサーヤナ(Rasayana、水銀のように動く者の意)といった異名を持つ。ガルダの名は「gr」(飲み込む)に由来すると考えられている。
その一族はインド神話において人々に恐れられる蛇・竜のたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。これは、インドにおいて猛禽類や孔雀は蛇を食べると解釈されていたことによるものらしい。単に鷲の姿で描かれたり、人間に翼が生えた姿で描かれたりもするが、基本的には人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる。
震災で棚から落ちて折れた羽は修復しました。いつの出張のときか、どんな店で買ったかなどもう全く覚えていませんが、トランクに入れずに手荷物で大事に持ち帰ったことは覚えています。
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ガルダ(梵語:गरुड Garuḍa)は、インド神話に登場する炎の様に光り輝き熱を発する神鳥。ガルダはサンスクリットやヒンディー語による名称で、パーリ語ではガルラ(Garula[1])、英語やインドネシア語などではガルーダという。カシュヤパとヴィナターの息子で、ヴィシュヌのヴァーハナ(神の乗り物)である。
ヴァイナテーヤ(Vainateya、ヴィナターの子の意)、ガルトマーン(Garutman、鳥の王の意)、スパルナ(Suparna、美しい翼を持つ者の意)、ラクタパクシャ(Rakta-paksha、赤い翼を持つ者の意)、スレーンドラジット(Surendra-jit、インドラを滅ぼす者の意)、ラサーヤナ(Rasayana、水銀のように動く者の意)といった異名を持つ。ガルダの名は「gr」(飲み込む)に由来すると考えられている。
その一族はインド神話において人々に恐れられる蛇・竜のたぐい(ナーガ族)と敵対関係にあり、それらを退治する聖鳥として崇拝されている。これは、インドにおいて猛禽類や孔雀は蛇を食べると解釈されていたことによるものらしい。単に鷲の姿で描かれたり、人間に翼が生えた姿で描かれたりもするが、基本的には人間の胴体と鷲の頭部・嘴・翼・爪を持つ、翼は赤く全身は黄金色に輝く巨大な鳥として描かれる。
1年ほど前たまたま企画展をやっていて、上野の美術館でも見ましたが、神戸にもフジタ展が来たので見に行きました。母国日本に戻っていたのに、敗戦後、戦争賛美画を書いた軍部協力者として徹底的に新聞に叩かれ、再びフランスに行った東京市牛込区生まれの藤田さん。とうとう日本には戻らず、フランスでフランス国籍をとり、カソリック教徒になりフランスで一生を終えました。
この「一身にして二生を経るが如く」生きざるを得なかった東京っ子の絵描き藤田さん。今も昔も大手メディアが声を合わせて煽ると、世間が一斉に一方向になびいて狙ったターゲットを叩きまわり、人権もなにもあったもんではないという今も変わらない類の先行例の一つかも。
壁画を描いても、何という大きな構想と繊細な筆使い。彼はアーチストというより、私には最高のアルチザンのように思えます。フジタ展は元町の神戸大丸のギャラリーで今日まで開かれています。画像は神戸大丸を背にして元町商店街の入り口方面。
この「一身にして二生を経るが如く」生きざるを得なかった東京っ子の絵描き藤田さん。今も昔も大手メディアが声を合わせて煽ると、世間が一斉に一方向になびいて狙ったターゲットを叩きまわり、人権もなにもあったもんではないという今も変わらない類の先行例の一つかも。
壁画を描いても、何という大きな構想と繊細な筆使い。彼はアーチストというより、私には最高のアルチザンのように思えます。フジタ展は元町の神戸大丸のギャラリーで今日まで開かれています。画像は神戸大丸を背にして元町商店街の入り口方面。
学生時代の弓道部からの友人Hさんが、1月9日から2泊3日で上高地のスノートレッキングに行ってきたそうです。厳しい寒さながら素晴らしい天気だったとメールにありました。
「釜トンネルから河童橋までのトレッキングでしたが、写真は主に大正池からの風景です。
○釜トンネル入り口
○雪の焼岳
○大正池ホテル(冬季閉鎖中)ツララを見て下さい。
○大正池の朝
トップの写真
○雪の穂高岳連峰
○化粧柳の霧氷
」
☆2008年の9月、諏訪湖の花火大会を見た後、上高地に行きました。夏の大正池(クリック)を楽しみましたが雪の大正池の写真は初めてです。それにしても冬のさなかの安曇野・上高地をスキートレッキングする体力・気力は素敵ですね。また各地の旅行画像を見せてくださいね。
元勤務先同期の友人Hさんが中国の雲南省麗江で学校の先生をしています。昨年の秋、雲南省にHさんを訪ねた東京のMさんのところにHさんから「黒頸鶴」の写真が送られてきました。その画像をお借りしました。
「麗江から北に200km位の所に香格里拉という町があり、そこの納帕海という湖に冬場にシベリア地方から飛来する鶴です。Hさんはこれを観察すために、日本野鳥の会が販売しているブラインド(迷彩の一人用テント)を買って送って欲しいとメールがありました。病膏盲といったところです。」とMさんのメールに書いてありました。
納帕海(Napahai、ナぱハイ)自然保護区は、雲南省の香格里拉(日本語:シャングリラ、英語:Shangri_la)県(その以前中甸県と呼ばれた)の北西部にある湖で、面積は660平方キロメートルに達して、雲南省の自然保護区の一つとして、素晴らしい大自然と高原風景を持つだけでなく、稀少な黒頸鶴の越冬地でもあります。納帕(pa)海は、典型的な高山の湖で、シャングリラ県政府の所在する町まで8キロメートルで、標高が3266メートルです。以下はこちらをどうぞ。
「麗江から北に200km位の所に香格里拉という町があり、そこの納帕海という湖に冬場にシベリア地方から飛来する鶴です。Hさんはこれを観察すために、日本野鳥の会が販売しているブラインド(迷彩の一人用テント)を買って送って欲しいとメールがありました。病膏盲といったところです。」とMさんのメールに書いてありました。
納帕海(Napahai、ナぱハイ)自然保護区は、雲南省の香格里拉(日本語:シャングリラ、英語:Shangri_la)県(その以前中甸県と呼ばれた)の北西部にある湖で、面積は660平方キロメートルに達して、雲南省の自然保護区の一つとして、素晴らしい大自然と高原風景を持つだけでなく、稀少な黒頸鶴の越冬地でもあります。納帕(pa)海は、典型的な高山の湖で、シャングリラ県政府の所在する町まで8キロメートルで、標高が3266メートルです。以下はこちらをどうぞ。
冬季に関が原のあたりを通過するとき、新幹線の左の窓から見える外は吹雪、右は薄日がさしているという不思議な光景を何度も見てきました。この日は両側に雪が積もっていました。関が原周辺は内陸なのに、日本海の冷たい湿った空気が、途中の山にあまり遮られないままここまで来るので、北国なみに毎年雪が降ります。
名古屋で新幹線を下車して中央西線の特急「しなの」に乗り換え、塩尻で中央東線の特急「あずさ」に乗り換えて上諏訪に行った途中の風景です。葬儀で日帰りした上諏訪は積雪はありませんでしたが、外気は刺すような冷たさでした。信州の夏だけしか知らないと住みやすい土地だと思うけど、冬にはマイナス10度にもなる厳しい自然条件の盆地だと思いました。今年は7年に一度の大祭“御柱祭”の年ということもあって、諏訪の人は例年よりも強く、諏訪湖の自然現象「御神渡」があることを願っているでしょう。
名古屋で新幹線を下車して中央西線の特急「しなの」に乗り換え、塩尻で中央東線の特急「あずさ」に乗り換えて上諏訪に行った途中の風景です。葬儀で日帰りした上諏訪は積雪はありませんでしたが、外気は刺すような冷たさでした。信州の夏だけしか知らないと住みやすい土地だと思うけど、冬にはマイナス10度にもなる厳しい自然条件の盆地だと思いました。今年は7年に一度の大祭“御柱祭”の年ということもあって、諏訪の人は例年よりも強く、諏訪湖の自然現象「御神渡」があることを願っているでしょう。
昨日の深夜、風呂上りにテレビをつけたら、石井一男という画家の生活と作品を取材した番組が映りました。たまたまですが、昼間の日経新聞日曜版で、後藤正治さんが書いた「奇跡の画家」という石井さんを主題にした本の書評を読んでいたので偶然に驚きました。画家は1943年神戸生まれ、兵庫県立夢野台高校を卒業した人でした。画像はテレビ画面から撮影。
兵庫区にある自宅兼アトリエの部屋から顔を出す石井さん。
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