阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

ハワイの火山を低速度撮影でとらえた荘厳な光景 【動画】

2014年06月30日 | びっくり画像・映像

私たちはみな、死と税金以外、確実なことは何一つ無いと知っている。しかしながら、次の世代になっても変わらないであろう事実がもう1つ存在する。
母なる自然を止めることはできない。
残念なことに、天候の変化は極氷冠の形や海水面、気温そのものを変化させ続けている。
しかし私たちがこの美しい惑星にとってどれだけひどい存在であっても、潮は満ち引きをし、火山は噴火を続け、地球は日々止まることなく周り続けている。 (さもなくば私たちの惑星は小惑星によって消滅させられているだろう)
写真家QT Luong氏が、ハワイのビッグ・アイランド (ハワイ島) とマウイ島の火山と景色を低速度で撮影した息を飲むようなこの映像は、リアルに迫り来る「低速度撮影とDSLRビデオを利用したスルーモーション 」である。
これまでに全米59箇所の国立公園を写真に収めたLuong氏は、これらの畏怖の念を感じさせる「海から頂上へ」プロジェクトのほとんどを、ハワイ火山国立公園で撮影した。「目撃した中で最も僕を魅了した自然のスペクタクルの1つは、炎と海水が触れ合い蒸気の雲を生み出しながら、海に流れ出る溶岩だね」と彼は記している。
世界で最も活発に活動する火山の1つ、キラウェア火山のハレマウマウ河口からの活発に流れ出る溶岩の川を映像にとらえるため、Luong氏は激しい風、土砂降りの雨、高山病や極寒の気温と戦った。銀河の星々が移り行く、ハレアカラとマウナ・ロア山からのゴージャスな光景の中で。
彼の偉業に感謝したいものだ。引用元
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ある日の酒の肴は「オクラと大根をたいたんに金山寺味噌載せ」

2014年06月30日 | ある日の肴/夕食
紀州湯浅の垣内の「金山寺味噌」。この味噌は炊いた野菜にでも生野菜にでもよく合う優れもの。
購入した惣菜パックの「ひじき、おから、鶏のレバー煮」もこうして盛り付けるとそれなりに肴になる。
紀州と房州は古い時代から黒潮の流れに沿って人が行き来してきた同一文化圏だ。だから千葉県にも金山寺味噌はある。
  wikipediaから引用⇒金山寺味噌は、和歌山県、千葉県、静岡県等で生産されている味噌の一種。なめ味噌の一種。径山寺味噌(きんざんじみそ)とも書く。
和歌山県の特産品として和歌山県推薦優良土産品に指定されているほか、千葉県でも特産品、推奨土産品として扱われている。
 概要
大豆・米・麦・野菜等から作られ、熟成期間は短いものでは1週間、長くても3ヶ月である。調味料としては用いられず、おかずや酒の肴としてそのまま食べる。
まず、炒った大豆を引き割り、これに麦こうじと塩を合わせ、塩押ししたウリ、ナス、ショウガなどを刻んで混ぜて仕込み、さらにウイキョウ、サンショウ、シソなどを加え、密閉して3ヶ月ほど熟成させる。
 その由来については、宋での修行から帰国した鎌倉時代の僧、心地覚心(法燈国師)が1254年に帰朝し、請われて紀州由良(現:和歌山県日高郡由良町)の鷲峰山興国寺の開山となったため、その近傍の湯浅(現:和歌山県有田郡湯浅町)に伝えた「径山寺(きんざんじ)味噌」が起源とする説が有力だが、空海(弘法大師)が唐の金山寺から持ち帰ったとする説もある。江戸に広まったのは、紀州徳川家から徳川吉宗が8代将軍となり、幕府に献上させたからだと考えられている。 2008年3月20日、和歌山県岩出市の根来寺旧境内から、約430年前の金山寺みそが見つかった。引用終わり。
 千葉県野田の醤油もルーツは和歌山県だ。漁師の漁法も祀られている神様も同じ。大きな商家はつい最近まで和歌山と千葉の両方に家を構えていたものだ。
和歌山県と千葉県のつながりはこちら

 参考:『コンニャク屋漂流記』解説
コンニャク屋漂流記』 (星野博美 著)
一部引用・・ 出発点となったのは、父方の祖父が遺した手記だった。星野さんは十五年前にその「古びた便箋やノートの束」を預かったものの、これまであえて封印してきた。そこに記されている内容が、自分自身の根っこに深く関わるものであると想像がつくだけに、軽々に手を出したくないという思いがあったのだろう。親戚のおばあさんの葬儀に出て、ふと「親戚の多くが鬼籍に」入りつつあることに気づいたとき、星野さんはその手記と初めて向い合い、一族のルーツを探る調査を開始する。その調査は、四百年におよぶ時空の広がりの中へと著者を導き、読者もまた興味津々の展開に瞠目させられることとなる。

 何しろ、「?」と思わず首をひねってしまうような謎が何度も浮上してくる。早い話が、表題にもなっている「コンニャク屋」だ。亡き祖父・量太郎は千葉の外房、岩和田という漁師町の漁師の出だが、その屋号がなぜか「コンニャク屋」なのだという。著者はこれまでその屋号にまったく疑問を持たずにきた。当事者とはそういうものだろう。当たり前に思えていた事柄をいざ考え直してみると、そのとき、物事にはすべてそれなりの由来があったのだという真実が迫ってくる。この本はそうした瞬間に満ちている。ちなみに「コンニャク屋」とはかつて、おでん屋をやっていたことがあったところからきた名前だった。
・・・・中略・・・・
量太郎は岩和田から同郷の先輩を頼って十三歳で上京し、やがて五反田で町工場の経営に乗り出し成功した。誠実な筆致に人柄のにじむその手記の記述にみちびかれて、星野さんは漁師町を尋ね、東京の街を歩き、史書も参照しながら探訪を重ねる。やがて、千葉・岩和田の住民が元々は紀州から船でやってきたことが判明する。そこで浮き彫りになるのは、日本の漁師が懸命に生き抜いてきた近世史の実態である。魚群を追いかけて遠征し、よりよい生活を求めて果敢に海を渡った漁師たちの軌跡がよみがえるのだ。江戸時代の幕藩体制は彼らを過酷にしめつけた。それでもなお力を合わせて活路を開いた、へこたれない者たちの姿が、ページの上に躍動し始める。自分の家の先祖探しという個人的な動機から出発して、大きな歴史の潮流をとらえた点に、本書の功績があることはまちがいない。引用ここまで。全文はこちら
 余談ながら阿智胡地亭の父の生家の屋号は「ハナビヤ」と言う。父が生まれた当時の家業は仕立て屋だった。仕立て屋なのに屋号が「ハナビヤ」。
何故?そこから阿智胡地亭の我が家の歴史探しが始まったので、この「コンニャク屋漂流記」は面白く読んだ。
 「ハナビヤ」と店名をつけた洋服仕立て業の祖父は俳人でもあった。祖父の句集はこちら
 
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おかえり"白鷺" 姫路城リニューアル   神戸新聞動画報道から

2014年06月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事

2009年10月に始まった平成の大修理が間もなく終わる姫路城。工事用の鉄骨が取り払われ、「白鷺」と形容される白亜の大天守が姿を現した。
 
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ある日のランチ「本家やまもとのちらし寿司」

2014年06月29日 | ある日のランチ
電話をすると今は一個しかないけど、作りますよと言う返事だったので、3個頼んであいかたが店に取りに行きました。
消費税アップの前はちらし寿しは750円でしたが800円になっていたそうです。それでもこの内容でこのお値段はありがたい。
下にある寿司めしは上からは全く見えません。店にはハモの照り焼きもあったとかで夜の酒の肴になりました。500円也。
 前回の「本家やまもと



2014.06.22 ~ 2014.06.28、 閲覧記事数 16094PV、 訪問者数 1780IP、 ランキング2702 位 /2,033,729ブログ
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大阪弁や広島弁の「アナと雪の女王」

2014年06月28日 | びっくり画像・映像
大阪弁

広島弁

博多弁

どの地の言葉にもこれまでに縁があるので嬉しいバージョンだ。
コメント (1)
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沈んだ舟を「足だけで」復活させる驚きのテクニック   動画

2014年06月28日 | びっくり画像・映像

ネットから引用⇒こんな方法で船を復活させられるなんて!
さらに、せっかく船が復活したと思ったら飛び込んでしまい、なぜだろうと思ったら、櫂を回収する手際のよさ。
少女の身軽な体格とバランス感覚があるからこそ、可能な技なのでしょうね。
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ある日の酒の肴は「カツオのたたきと焼ホタテ」

2014年06月28日 | ある日の肴/夕食
冷凍のホタテを焼きました。たたきは冷凍品を解凍しました。元の材料もよく冷凍もきちんとしていて家で肴にするには充分です。
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ある日の酒の肴は「しめじ、満願寺とうがらし、ちりめんジャコの食べるラー油和え」

2014年06月27日 | ある日の肴/夕食
ピリ辛で旨かった。ランチはマッシュルーム、タマネギ、ズッキーニと鶏肉のトマトソースパスタ。
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アガパンサスの花芽

2014年06月27日 | 花・草・木・生き物



楽屋ネタ。ファミマの有料サッカーくじで幼稚園児が100本で2本しかないA賞の大きなぬいぐるみを当てました。
 




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大阪九条の割烹「伍久楽」の“ハモしゃぶ”はやはりなかなかのもんだった。

2014年06月26日 | 食べる飲む
ハモ料理のコースを楽しんだ。



メインのしゃぶしゃぶ。





〆はハモ寿司。

 旧松島遊郭に近いこの店は昔は遊び客が極楽からの行き帰りに寄ったような、旨いものを喰わせる店だ。年配の板さんが二人伝統をつないでいる。
☆映画「六人の女を殺した男」を観終ったら16時過ぎだった。大椎会の集まりは18時からだったのでキララ九条商店街とナインモール商店街をはじからはじまでぶらぶらタウンウォッチングをして楽しんだ。二つの商店街は昔は一つで、大阪の4大商店街の一つだった。詳細はこちら。ここ九条の商店街はシャッターを下ろしている店も少数あることはあるが、まだまだ市場の機能を維持しているのが嬉しい。
 【キララ九条商店街(ネットから引用):九条は戦火を免れ、いまも下町の風情が残る町。近年では京セラドーム大阪(旧大阪ドーム)があることでもおなじみとなった。地下鉄中央線九条駅の西側、約600mにわたって続く商店街は、飲食店や生鮮品、婦人、紳士、子どもファション、書籍など約150軒が並ぶ。「キララ」という愛称は、十年ほど前にアーケードをつくり変える際、一般公募で決定したもの。古来、中国で位の高い人物が鏡の材料として用いた「雲母」や、宇宙を連想させることから選ばれたという。オリックスバファローズが京セラドーム大阪で試合を行う際は、商店街の各店が法被やユニホームを着て雰囲気を盛り上げつつ、さまざまなサービスを実施。また、「九条まつり」は地域の夏の風物詩として人気。】
 よく歩いて喉が渇いたので前から時々入る立飲みの店に入った。キララ商店街に入って2分左側。ホッピーセットがあるのに気がついて聞くと、もう前から置いてますとのこと。ホッピーとキンミヤの焼酎がセットになっている。東京の居酒屋では定番の飲み物だ。飲みだすと隣の自分と同年輩の二人連れから案の定「それなんですのん」と御下問があった。やはり関西ではホッピーはまだこれからのものらしい。アテは冷やっこ、とろろ、紫蘇ニンニク。嬉しいことにいずれも200円也。それでも40分ほどいて『伍久楽』に向かった。
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ある日のランチはメンクイシリーズ「ミートソースパスタ」

2014年06月26日 | ある日のランチ
夜の酒の肴は「シャケの塩麹漬」と「湯葉豆腐」
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大阪・九条のシネ・ヌーヴォで映画「六人の女を殺した男」を観ました。

2014年06月25日 | 音楽・絵画・映画・文芸
いま大阪・九条の映画館「シネ・ヌーヴォ」で【生誕110年記念脚本家・小國英雄の「仕事」】という特集を6月27日までやっている。
 映画館がある通りは職住が混在している裏通りだ。







ある日の夕方6時から九条の割烹「伍久楽」で大椎会のハモを食べる集まりがあったので、その前に小国脚本の「「六人の女を殺した男」を観た。
 上映時間が都合がよかったので選んだが、フランキー堺、岸田今日子、藤村志保、春川ますみ、万里昌代、久保菜穂子という俳優の名前にも惹かれた。
まだみんな若い。活き活きと演じていた。昭和40年と言えば映画も斜陽のとっかかりで制作側も楽しんで余裕で作っていた。映画は駄作だったが、あの岸田今日子の独特の喋りも聞けたし、藤村志保の美人ママにも、春川ますみ、万里昌代、久保菜穂子という新東宝組のスターにも会えた。1958年(昭和33年)にフランキー堺が演じたテレビドラマ「私は貝になりたい」は衝撃的なドラマだった。私はフランキー堺という役者は凄いと思った。そのドラマから7年後の彼の主演映画でやはり天才性を感じた。駄作だと思ったのはストーリーがご都合主義すぎると思ったからだが、いまから49年前にはきっと先進的でお洒落なブラックコメディだったのだろうと思った。

 1965年/大映東京/カラー/85分/16ミリ ©1965KADOKAWA
監督:島耕二 脚本:小國英雄 撮影:小原譲二 音楽:大森盛太郎 美術:間野重雄 録音:飛田喜美雄
■出演:フランキー堺、岸田今日子、藤村志保、明星雅子、春川ますみ、万里昌代、久保菜穂子、船越英二

◆売れっ子画家の阿部は小心者だが女好き。妻貞子は彼の才能を「金のなる木」くらいにしか考えてはいなかった。そして、一人また一人、阿部と関係をもった女たちは次々と死んでいく。海外ミステリからヒントを得た奇妙な味のスリラー喜劇。(シネ・ヌーヴォのサイトから引用)  

 九条へは往復共に阪神なんば線で行った。この動画は2011年11月8日に撮影した阪神尼崎駅から九条駅までの前方風景。
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金魚の火鉢水槽の水替えをした。

2014年06月24日 | 花・草・木・生き物
下に泥様のものが沈殿してきたので初日に別の容器に金魚と水草を移し、水をさらい何度もホースの強い水流で砂を洗い新しい水を入れました。
2日目丸24時間たってから金魚と水草と乾燥させていた備長炭5個を水替えした火鉢に入れました。備長炭のお蔭か水替えは一年に一度ですみます。
小赤から大きくなった金魚2匹はもう7~8年ここで暮らしています。


赤メダカ3匹と黒メダカ1匹は屋内の水槽からこちらに移したあとも元気にしています。



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北斎は好きなことをやって90歳まで現役だった。北斎展@神戸市立博物館             

2014年06月24日 | 音楽・絵画・映画・文芸

「天我をして五年後の命を保ためしハ真正の画工となるを得べし」。嘉永二(一八四九)年四月十八日、北斎が九十歳で亡くなる間際に、残した言葉。
「天がもう五年、私を生かしてくれれば、私は本物の画家になれたであろう」。
神戸市立博物館は旧居留地にある。ここだけは何となく欧州の雰囲気が残されている。



もっと早く行けば良かったがこの日は終了二日前。神戸市からだけではなく関西一円からの観覧者がいるらしく45分待ちだった。



こんな人が現実にこの世の中にいたとは・・。浮世絵は絵師、彫師、塗り師の共同作業によって完成するある種の職人の世界によって生み出される。
どのプロセスもある一定の品質レベルが維持されなければ商品価値のある浮世絵は出来ない。その中でもやはり絵師は名前が売れる人とそうでない人が出てくる。
 1998年に米国の「Life誌」が、「この1,000年間で最も重要な業績を残した世界の人物100人」についてアンケートをとったところ、日本人では唯一「北斎」のみがランク・インした。その日その日名利を求めるでもなく自分が描きたいものを描いて暮らして生きた一人の画家「葛飾北斎」。世界にこれしか残っていない作品もいくつかあり、アメリカ人のコレクターに感謝しつつ、画業の実際に触れてまさに“偉才”“異才”を感じた。市川猿之助の声で音声ガイドを聞きながらまわったが安い515円の投資だった。



北斎の紹介サイトはこちら

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ある日のランチは「野菜と卵チャーハン」

2014年06月24日 | ある日のランチ
冷蔵庫の残り野菜を使い切るにはチャーハンが一番らしい。いろんな野菜のコラボでおいしかった。
副菜は昨夜のゴーヤチャンブルの残りと野沢菜。
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