1926年ロンドンの美しいカラー映像
The Huffington Post | 執筆者: Hunter Stuart 2013年11月27日 16時59分 JST
カラー動画でとらえられた1926年のロンドンは、実に美しい。
この動画は、1898年にロンドンで生まれた映画撮影技師のクロード・フリースグリーン氏が、1920年代におよそ1350キロにわたる英国全土の撮影旅行に行った際に撮ったものだ。当時の英国の都会生活についての見事な史料になっている。
フリースグリーン氏は、旅をしながら英国の田舎の生活を撮影し、無声紀行映画『The Open Road』(幹線道路)を制作した。1926年に撮影旅行を終えてロンドンに戻り、活気があふれ、威厳に満ちていた故郷の街が経済停滞に沈む様子にカメラを向けた。
しかし、同氏が撮影した映像には、当時の英国の高い失業率や、停滞した経済についての状況はほとんど現れていない。その代わり、このフィルム(世界初のカラーフィルムのひとつでもある)には、ため息が出るような美しいロンドンの街の風景の一部が収められている。
ロンドン橋の上を、英国初の2階建てバスがゆっくりと進み、太陽に照らされたハイド・パークの中を、若い女性たちが散歩する。また、ペティコート・レーン・マーケットには、多くの男性たちが集まっているが、彼らの多くはその10年前の第一次世界大戦中、西部戦線の塹壕で戦っていただろう。
フリースグリーン氏が映画The Open Roadを制作した主な目的は、同氏が父親と発明した新しいカラーフィルム技術「バイオカラー」をハリウッドに売り込むためだ。しかし、この努力は失敗に終わった。
この動画を修復してYouTubeに掲載した英国映画協会(BFI)は、次のように説明している。
フリースグリーン氏は、米国市場を獲得する目的で大西洋を渡ったが、米国にはすでに、同氏の技術よりも優れた、2枚のフィルムを用いて記録するカラー映画彩色技術「テクニカラー」が普及していた。さらに、1925年に同氏が数回参加した業界試写会では、The Open Roadはまったく評価されなかった。同氏が亡くなった後、この作品は、英国映画協会が運営する国立映画テレビアーカイブに寄贈された。
フリースグリーン氏の努力は、生前には報われなかったかもしれないが、現代のYouTube等のサイトで、われわれに1926年のロンドンの姿を伝えてくれることになった。今後も永久に残ってほしい作品だ。
[Hunter Stuart(English) 日本語版:丸山佳伸/ガリレオ 引用元
The Huffington Post | 執筆者: Hunter Stuart 2013年11月27日 16時59分 JST
カラー動画でとらえられた1926年のロンドンは、実に美しい。
この動画は、1898年にロンドンで生まれた映画撮影技師のクロード・フリースグリーン氏が、1920年代におよそ1350キロにわたる英国全土の撮影旅行に行った際に撮ったものだ。当時の英国の都会生活についての見事な史料になっている。
フリースグリーン氏は、旅をしながら英国の田舎の生活を撮影し、無声紀行映画『The Open Road』(幹線道路)を制作した。1926年に撮影旅行を終えてロンドンに戻り、活気があふれ、威厳に満ちていた故郷の街が経済停滞に沈む様子にカメラを向けた。
しかし、同氏が撮影した映像には、当時の英国の高い失業率や、停滞した経済についての状況はほとんど現れていない。その代わり、このフィルム(世界初のカラーフィルムのひとつでもある)には、ため息が出るような美しいロンドンの街の風景の一部が収められている。
ロンドン橋の上を、英国初の2階建てバスがゆっくりと進み、太陽に照らされたハイド・パークの中を、若い女性たちが散歩する。また、ペティコート・レーン・マーケットには、多くの男性たちが集まっているが、彼らの多くはその10年前の第一次世界大戦中、西部戦線の塹壕で戦っていただろう。
フリースグリーン氏が映画The Open Roadを制作した主な目的は、同氏が父親と発明した新しいカラーフィルム技術「バイオカラー」をハリウッドに売り込むためだ。しかし、この努力は失敗に終わった。
この動画を修復してYouTubeに掲載した英国映画協会(BFI)は、次のように説明している。
フリースグリーン氏は、米国市場を獲得する目的で大西洋を渡ったが、米国にはすでに、同氏の技術よりも優れた、2枚のフィルムを用いて記録するカラー映画彩色技術「テクニカラー」が普及していた。さらに、1925年に同氏が数回参加した業界試写会では、The Open Roadはまったく評価されなかった。同氏が亡くなった後、この作品は、英国映画協会が運営する国立映画テレビアーカイブに寄贈された。
フリースグリーン氏の努力は、生前には報われなかったかもしれないが、現代のYouTube等のサイトで、われわれに1926年のロンドンの姿を伝えてくれることになった。今後も永久に残ってほしい作品だ。
[Hunter Stuart(English) 日本語版:丸山佳伸/ガリレオ 引用元
気が付くと11月も間もなく終わる。朝晩の冷え込みがきつくなってきたので、屋外の観葉植物を取り込んだ。
アボカドの木は屋内で見ると相当大きくて驚いた。寒さで葉が傷んだがすぐ回復するだろう。種からの生育記録はこちら。
取り込んだのは、アロエ、ガジュマル、山椒、アボカド、スパティフィラム、ドラセナサンデリアーナ(ミリオンバンブー)、君子蘭。
アボカドの木は屋内で見ると相当大きくて驚いた。寒さで葉が傷んだがすぐ回復するだろう。種からの生育記録はこちら。
取り込んだのは、アロエ、ガジュマル、山椒、アボカド、スパティフィラム、ドラセナサンデリアーナ(ミリオンバンブー)、君子蘭。
静岡県田方郡函南町桑原1315-25にある「函南ゴルフクラブ」。東京と湘南の友人たちがプレーした日は富士山が見事だったそうです。
磯のすーさん撮影の富士山を3枚どうぞ。
磯のすーさんとは小6で転校した四日市市の納屋小学校で一年間同級になりましたが、四日市市立港中学では3年間同じクラスになったことはなく、
高1の一学期で自分の転校のため別れました。その後お互いそれぞれの道を行き、35年後に付き合いが復活しました。小6の折は、彼と亡くなった
伊藤尚樹君と三人で休み時間になると校庭に飛び出して、毎日毎日相撲を取っていました。竹馬の友ならぬ相撲の友です。磯のすーさんのブログはこちら。
磯のすーさん撮影の富士山を3枚どうぞ。
磯のすーさんとは小6で転校した四日市市の納屋小学校で一年間同級になりましたが、四日市市立港中学では3年間同じクラスになったことはなく、
高1の一学期で自分の転校のため別れました。その後お互いそれぞれの道を行き、35年後に付き合いが復活しました。小6の折は、彼と亡くなった
伊藤尚樹君と三人で休み時間になると校庭に飛び出して、毎日毎日相撲を取っていました。竹馬の友ならぬ相撲の友です。磯のすーさんのブログはこちら。
パスタソースはMCCのレトルト製品。MCCは神戸発祥で業務用調理缶詰の食品メーカーとして誕生。喫茶店などでカレーやチャーハンーを頼むと
すぐに出てくるが、それらはMCCやMEIJIの製品を使っていることが多い。味と品質が一定でレベルも高いので、業務店などでも結構使われている。
二世帯家族だが、台所は一つ。時間差システムで使っている。二階の台所からこれまではトレ―やお盆に出来た料理を載せて我々ゾーンの一階に降ろしていたが、
手すりが持てないので、階段を降りるのが怖くなってきていた。そこへネットでこの保冷バスケットを見つけたそうで、「手提げ岡持ち」として使っている。
片手で保冷バスケットを提げ、片手で階段の手すりを持って降りるので格段に安全性が上がった。
すぐに出てくるが、それらはMCCやMEIJIの製品を使っていることが多い。味と品質が一定でレベルも高いので、業務店などでも結構使われている。
二世帯家族だが、台所は一つ。時間差システムで使っている。二階の台所からこれまではトレ―やお盆に出来た料理を載せて我々ゾーンの一階に降ろしていたが、
手すりが持てないので、階段を降りるのが怖くなってきていた。そこへネットでこの保冷バスケットを見つけたそうで、「手提げ岡持ち」として使っている。
片手で保冷バスケットを提げ、片手で階段の手すりを持って降りるので格段に安全性が上がった。
先週から今週にかけて、幼稚園児が持ち帰ったRSウイルスが家の中で猛威をふるって、食事も野戦病院のMesshallのような
メニューが続いています。
夜はちゃんこ鍋でした。
日曜の夜から、布団に入って身体が温まると、とたんに強い咳き込みが始まるので、朝まで睡眠がうまくとれません。
この前の気管支炎は肺炎の手前で治りましたが、今回の第2攻撃も何とか抑え込んでそろそろ山場を過ぎそうです。
幼稚園児は今朝から久しぶりに登園し、毎日医者に診てもらっていた新生児は昨夜からようやく朝まで咳き込むことなく
ぐっすり寝たそうです。幼稚園や保育園などの集団生活に入り込むと、こういう病気をもらうリスクとは背中合わせですが、
結局は日常の食習慣や、身体を動かすことで体力をつけておくしか対抗手段はなさそうです。
今日はムムリクさんの作品展示@京都・法然院の初日で、伺う予定にしていましたが、今朝の体力を考えて取りやめました。
メニューが続いています。
夜はちゃんこ鍋でした。
日曜の夜から、布団に入って身体が温まると、とたんに強い咳き込みが始まるので、朝まで睡眠がうまくとれません。
この前の気管支炎は肺炎の手前で治りましたが、今回の第2攻撃も何とか抑え込んでそろそろ山場を過ぎそうです。
幼稚園児は今朝から久しぶりに登園し、毎日医者に診てもらっていた新生児は昨夜からようやく朝まで咳き込むことなく
ぐっすり寝たそうです。幼稚園や保育園などの集団生活に入り込むと、こういう病気をもらうリスクとは背中合わせですが、
結局は日常の食習慣や、身体を動かすことで体力をつけておくしか対抗手段はなさそうです。
今日はムムリクさんの作品展示@京都・法然院の初日で、伺う予定にしていましたが、今朝の体力を考えて取りやめました。
「4時すぎにパン屋さんが来ました。
パンは飽きて、ムギ(押し麦)がええらしい
おじさん遅いな~~~ もう、4時すぎじゃん
待ってたよ
毎日同じパンじゃあな~~~
ムギがえ~ ムギがえ~~
おじさんゴチね
お陰で俺たち長生きで元気、ありがとさん
中田パン屋さんのご紹介でした。」
以上船橋社中の社主さんからの嬉しい便りでした!!
パンは飽きて、ムギ(押し麦)がええらしい
おじさん遅いな~~~ もう、4時すぎじゃん
待ってたよ
毎日同じパンじゃあな~~~
ムギがえ~ ムギがえ~~
おじさんゴチね
お陰で俺たち長生きで元気、ありがとさん
中田パン屋さんのご紹介でした。」
以上船橋社中の社主さんからの嬉しい便りでした!!
開店してから一年半ほどとか。☎で予約してから車で2号線に面した店まで取りに行きました。独特のスパイスで香ばしくて
またオーダーしそうです。
webから引用。フリフリはハワイ語で「回転する」という意味!串刺しチキンをクルクルと回しながら炭火で焼いていきます。
レイズではキアヴェという木の炭を使用しているので、香りが良く皮はパリパリ、お肉はジューシーに焼き上がります。
またオーダーしそうです。
webから引用。フリフリはハワイ語で「回転する」という意味!串刺しチキンをクルクルと回しながら炭火で焼いていきます。
レイズではキアヴェという木の炭を使用しているので、香りが良く皮はパリパリ、お肉はジューシーに焼き上がります。