「稼ぎ頭」次々出荷停止 放射線基準値 漁業にジワリ 関係者からは焦りといらだち 2012.4.15 21:42 MSN産経ニュース 食品中の放射性物質の新基準値施行から半月。数値の厳格化により出荷停止となる品目が相次ぐ中、その影響は海産物にも及んでいる。政府は12日の仙台湾のスズキに続いて、13日には茨城沖のシロメバルも出荷停止を指示した。海産物の出荷停止は昨年4月の福島県のコウナゴ(イカナゴの稚魚)以来1年ぶりで、漁業関係者からは焦りといらだちが聞こえてくる。 「スズキは仙台湾沖の定置網漁で、4月から夏にかけての稼ぎ頭。これがまったくダメとなると、漁業関係者の受けるダメージは大きい」。宮城県漁協の担当者は出荷停止をこう嘆く。 全文はこちら |
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4653/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
仙谷氏 大飯原発巡る判断に理解を 4月15日 19時12分 NHKニュース 民主党の仙谷政策調査会長代行は、徳島市での会合で挨拶し、野田政権が、関西電力大飯原子力発電所の安全性を最終的に確認し、運転再開の必要性があると判断したことについて、「脱原発依存が実現するまで、真っ暗な中で生活する訳にはいかない」と述べ、理解を求めました。 この中で、仙谷政策調査会長代行は「私や枝野経済産業大臣は、脱原発依存をどのような期間にどう実現するか、理念や理想は持っている。脱原発依存は、国民とよく議論し、専門家の意見を聞きながら、普遍性を持った立場から実行していく」と述べました。 そのうえで、仙谷氏は「脱原発依存が実現するまで、われわれが真っ暗な中で生活するわけにはいかない。理念や理想の社会はそんなに簡単にできるものではない」と述べ、野田政権が、大飯原子力発電所の安全性を最終的に確認し、運転再開の必要性があると判断したことについて、理解を求めました。 ☆少なくともこういう発言を報道するメディアがあるのはありがたい。枝野経産相の発言と行動を見ていると、何となくそうなんだろうなぁと思えるが実効を伴って欲しい。 |
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4651/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2012年04月08日(日)
大メディア「合意のでっちあげ」に騙されるな 一部引用・・ 菅首相が打ち出した消費増税路線が、参院選の大敗北で国民に否定されたにもかかわらず、野田首相は「政治生命を賭ける」という思いつめようで、勝栄二郎財務省のみごとな手綱さばきに走らされている。 在任中の短期業績だけにしか興味のない経済界のトップ、そこから資金を得ているシンクタンクのテレビ御用達研究員らが大応援団を編成、財務省記者クラブでのレクによって洗脳されたマスコミが盲信してつくり上げようとしているのが「社会保障と税の一体改革」という共同幻想である。 国の借金と家計の借金を、同じ次元で考えるよう読者、視聴者を誘導し危機感をあおるというのは、ノーム・チョムスキーの言う「合意のでっちあげ」である。そもそも、家計には、紙幣を印刷できる中央銀行は存在しない。 そうやって財務省の機嫌をとり、消費増税の例外ワクに新聞を入れてもらおうなどと姑息なことを考え、記者クラブ利権につかりながら、年収2000万円もの記者をかかえる大新聞が、公務員の給料を云々するのもいささか偽善めいているといえないか。 それよりも、小沢一郎が主張しているように、税金の恩恵に人一倍浴してきた団体や個人の既得権構造を解体し、予算をごっそり組み替えていくのが肝心だろう。 「社会の木鐸」であろうとするなら、まず新聞自らが、再販制という価格カルテルや電波利権を破壊するべきではないか。 もっとも「社会の木鐸」なる言葉も、メディアやそれに毒された専門家の欺瞞性を多くの人が知ってしまった今となっては、もはや死語であるに違いない。 全文はこちら |
| 今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4650/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
震災1年、沿岸部の産後うつ深刻 東北大病院・菅原教授調査 2012年04月15日日曜日 河北新報 東日本大震災前後に宮城県沿岸部で出産した母親のうち、2割以上に産後うつの疑いがあることが、東北大病院産科長の菅原準一教授の調査で分かった。震災から1年余りが経過した今も、大きなストレスや不安を抱えながら子育てする母親が多いとみられる。菅原教授は「復興を担う若い世代が危険な状態にある」と指摘している。 調査は宮城県内の津波被害を受けた沿岸市町村に住み、昨年2~10月に出産した女性に調査票を配布し、683人から3月までに回答を得た。 調査結果によると、「津波から逃げた」「家が被害を受けた」など、何らかの津波被害に遭った人が全体の28%に上った。指定避難場所や実家などに避難した女性は68%を占めた。 産後うつの疑いを30点満点で得点化する「エジンバラ産後うつ病質問票(EPDS)」の回答では、うつの疑いがある9点以上は21.5%に達し、通常の調査の10~15パーセント程度を大きく上回った。 うつは通常、産後2~3カ月が発症のピークといわれ、今回の対象者は産後半年ほどが経過したにもかかわらず、深刻な状態で推移している。 9点以上の女性と被災体験との相関関係を分析したところ、津波被災があった人は28.7%で、無かった人の18.1%を10ポイント余り上回った。 東北大は今月、先端医療による被災地支援などを狙う東北メディカル・メガバンク機構を開設した。機構の地域医療支援部門を担当する菅原教授は「母親たちが抱える悩みに耳を傾ける必要がある。うつの疑いのある妊産婦に臨床心理士や保健師と面談してもらい、改善したい」と話している。 研究成果は15日に神戸市で開かれる日本産科婦人科学会で発表される。 |
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4646/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
維新の会 衆院選で民主と対決方針 4月15日 5時3分 NHKニュース 大阪市の橋下市長が率いる大阪維新の会は、14日開いた幹部会合で、関西電力大飯原子力発電所について、運転再開の必要性があると判断した野田政権とは相いれないとして、民主党との対決姿勢を鮮明にして次の衆議院選挙に臨む方針を確認しました。 野田政権が、関西電力大飯原子力発電所の安全性を最終的に確認して運転再開の必要性があると判断したことについて、13日、大阪市の橋下市長は記者団に対し、「こんな再稼働を許してはいけない。ストップをかけるなら、国民が民主党政権を倒すしかない。次の衆議院選挙で民主党政権に代わってもらう」と述べました。 代表を務める橋下市長の発言を受けて、大阪維新の会は、14日、幹事長の松井大阪府知事や政務調査会長の浅田大阪府議会議長ら幹部が集まり、今後の方針を協議しました。 この中で、出席者からは「原発の運転再開に踏み切ろうとする野田政権の対応は拙速で、大きな問題がある」として、橋下市長の発言を支持する意見が相次ぎました。 そして、原発の運転再開を巡る野田政権の対応は大阪維新の会の考え方と相いれず、この問題を衆議院選挙の主要な争点にすべきだとして、民主党との対決姿勢を鮮明にして次の衆議院選挙に臨む方針を確認しました。 ☆橋下徹の面魂を見るだけで安倍、福田、麻生のお坊ちゃま三政治家と違うなぁと感じる。政治家は手練手管、権謀術数を次々繰り出して、自分が描く政策や国家を実現していい。 しかし、この人は中央官僚団から見ると体制改革を図る実に危険な人物である。 これからも大本営報道部本社東京大手メディアは、官僚団の意を受けて、橋下市長に警戒のバイアスをかけてその線で報道していくのだろう。それがいつまで持つことやら?? |
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4645/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4647/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
夢砕く再編に憤り 帰還困難区域の佐山さん (2012年4月15日 福島民友ニュース) 16日に実施される南相馬市の避難区域再編で、同市小高区金谷の会社員佐山梅雄さん(54)方は、5年間帰還が認められない「帰還困難区域」となる。母ヒサさん(77)と共に同市鹿島区の仮設住宅で、自宅に帰る日を夢見てきた佐山さん。 再び長期間の避難生活を強いられることになるが、政府からは帰還の時期や、賠償を含めた生活の維持、再建に向けた支援策も示されず、5年後の帰還は見通せない。 佐山さんは、生まれ育った故郷への思いを胸にしまい込み、不安を隠せないまま16日の区域再編を迎える。 「少しずつ家を片付けながら、大好きな草花を育てるつもりでした」。佐山さんにとって「帰宅に向けた吉兆」のはずだった避難区域再編は、自宅に5年以上戻れないと通告する悲報となった。 「(帰還困難区域への指定は)想像もできなかった。除染もせずに『線量が高いから戻れません』では納得できない」。あまりにつらい現実に、佐山さんは政府、東京電力への憤りを隠せない。 |
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4648/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
被災5社が結集し新会社 山田の水産加工業 (2012/04/15) 岩手日報 各社の顧客管理を一本化して同町内の直売所やネット上で5事業者の商品を販売するほか、新商品開発にも取り組む。震災前は競合していた町内企業が、被災を機に結集し、山田の魅力を県内外に発信する。 社名の五篤丸には、「火鉢の五徳のように山田を支えていくという思いと5人の新たな船出」との意味を込めた。 発起人は川石社長(48)と、木村商店の木村トシ社長(67)、佐野魚店の佐野隆行さん(33)、尾半(びはん)加工センターの間瀬慶蔵さん(34)、おみなやの升屋聡代表(37)で、店舗が津波で被災するなどした町内事業者だ。 新会社の主な事業は、木村商店のいか徳利や川石水産のホタテグラタンなど各社商品のネット販売や直売所の販売、全国でのイベント販売で、本年度の売り上げ目標は6千万円。 間瀬さんは「各社それぞれに良いところがある。つながりを大事にしてがんばりたい」と意気込み、川石社長は「1人よりも5人の知恵だ。自分たちの頑張りが、山田のPRにもつながる」と力を込める。 2012年4月16日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 | トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4649/ ※ブログ管理者が承認するまで表示されません
2012年4月16日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
|
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4652/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
第4章 「国谷裕子」さん から一部引用
解説 引用元
いまと対峙するプロフェッショナル。まつろわぬ、その矜持に訊く。戦争、歴史、マイノリティ、芸能、文学、ジャーナリズム…最前線で闘う9人の肉声。
目次
第1章 李琴峰―負の歴史を記録するということ
第2章 中島岳志―「永遠の微調整」としての保守をよみがえらせる
第3章 松尾貴史―批評性のある面白おかしい芸能へ
第4章 国谷裕子―権力に対峙するジャーナリズム
第5章 指宿昭一―ウィシュマさんを殺害した国家の欺瞞
第6章 奈倉有里―世界には決定的に文学が不足している
第7章 斎藤幸平―資本主義でない世界を徹底して考える
第8章 栗原俊雄―戦後補償問題を報道=運動する
第9章 金英丸―日韓関係において真の謝罪とは何か
横田 喬 (作家)
大変動が間近に迫り、それは地球環境に変化を引き起こすだろう。グローバル・サウス(アジアやアフリカ、中南米などの新興国・途上国)は激しい気候変動に見舞われ、
今や三〇年前と比べ、世界各地で気温が五〇℃を超える日は二倍に増えた。五〇℃と言えば、人間にとって致命的な暑さで、建物や道路や発電所にも深刻な問題が引き起こされる。
バングラデシュでは、海抜が低い上に地盤沈下が著しい沿岸地域を始め、国全体が居住不可能になる恐れがある。今後数十年間は、富裕国も気候変動の影響を逃れられない。
2020年に凄まじい森林火災に襲われたオーストラリアは気温の上昇と旱魃による被害が深刻化するだろう。アメリカの一部も状況は同じで、
インドだけでも、十億近くの国民が危険に晒される。中国では五億人が国内での移住を迫られ、ラテンアメリカやアフリカでは何百万人もが大陸を横断して移動しなければならない。
イギリスではウェールズの首都カーディフで二〇五〇年までには全体の三分の二が水没すると予測される。追い詰められた大勢の人々がいきなり脱出を始めるかも知れない。
今回の問題は、人間社会がこれまで直面した問題の中で最も複雑で、解決が難しい。豊かな世界で既得権益を享受する人々の行動によって問題解決は遠のく。
多くの人命が失われ、ひょっとしたら私達の文明も失われるかも知れない。
◇世界を一変させる四つの問題と故郷からの離散
火事、猛暑、旱魃、洪水の四つは、今世紀に私たちの世界を一変させるだろう。二〇二〇年、オーストラリアは異常な乾燥と熱波による大規模な森林火災で
この山火事は、世界の傾向を反映している。南北アメリカ・ヨーロッパ・アジアと、山火事はあちこちで深刻化している。森林は元々湿気が多いが、
旱魃に見舞われたアマゾンでは二〇一九年、山火事で大量の煙が発生。数千キロ離れた沿岸都市サンパウロでも空が真っ黒に覆われた。
火事と同類の猛暑はそう目立たないが、命取りになる。三〇年前と比べ、気温が五〇℃を超える日が二倍に増えた。
深刻なアーバン・ヒート(人工的な排熱などが原因の都市特有の熱)の発生件数は一九八〇年代の三倍に増え、世界人口の五分の一がその影響下にある。
モデル試算によれば気温が四℃上昇すると、世界が猛烈な熱波に襲われる日は今日の三〇倍以上に増え、アフリカでは少なくとも百倍に増加する。
気温がここまで上昇すれば、必然的に世界中で死者が増加する。熱波に関連した超過死亡は、アメリカで五〇〇%、コロンビアでは二〇〇〇%も増えると予測される。
アラブ首長国連邦などの国は、食料の九〇%を輸入している。現在、世界の食料の半分は、肉体労働に頼る小規模農家によって生産されている。世界の温暖化が進めば、
温暖化が進むと、陸地への降水量は減少する。今は南アジアや南米を中心に、何億もの人々が山岳氷河に依存しながら暮らしている。この貴重な水源が消滅すれば、
旱魃は、最も多くの人々に影響を及ぼす。つい二〇年前、ボリビア高地には農村が栄えていた。ここで生産された玉蜀黍、ジャガイモ、アボカド、フルーツは、首都ラバスの市場で販売された。が、二〇一〇年までに、気候変動が村全体を荒廃させた。長引く深刻な旱魃によって作物は枯れ、家畜は命を奪われ、遂には村が死に絶えた。
――雨季なのに、数日ごとに全部で二〇分しか雨が降らない。最初は牛が、次に驢馬が死んだ。山羊が一番頑丈だ。
七人の子供たちは村を次々と離れ、残っていた一人も三年前、家族を連れて出て行った。彼らは町や都市に向かう。コロンビアから中米まで目指して移動を続けるが、
植物が成長するためには水が必要だ。温暖化が進むと、水が土壌や葉っぱから蒸発するスピードが加速する。しかも雨は定期的にも大量にも降らなくなる。
植物の細胞や組織や酵素は約三九℃で破壊され、植物全体が死滅することも多い。気温が三〇℃を超える日を一日経験する毎に、玉蜀黍の収穫量は一%減少し、旱魃になると二%に近づく。
アメリカは玉蜀黍の収穫量の半分を失い、現在のコーンベルトの大半も影響を受ける。旱魃を計算に入れると、損失量は八〇%以上にまで跳ね上がる。
地球の気温上昇が一・五℃に抑えられたとしても、何億もの人々が影響を受ける。海面の上昇に晒される陸地に少なくとも五千万人が暮らしている国は多い。
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4342/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
大震災1年:3歳児「ほうしゃのう、こわい」 外遊び数日おき--福島 毎日新聞 2012年3月5日 東京朝刊 被ばくの不安から、多数の親子が県外に避難している福島県。避難した親子も、残る道を選んだ親子も苦悩の日々が続いている。【井上英介】 「じいじ、ほうしゃのうこわいからかえろうよ」。放射線量が高い福島県伊達市。原発事故から間もないころ、初孫の菅野優花ちゃん(3)を散歩に連れ出した祖父の均さん(61)はこう言われた。 ままごとセットや人形の家など優花ちゃんの玩具は、茶の間の窓際に置かれている。家の中で一番線量が低いからだ。「いつも一人でおとなしく遊んでいます」。祖母の智子さん(53)が言う。母の美雪さん(27)は近くの薬局に勤務。均さんは昨年春に高校教員を退職し、農業に専念する。 智子さんは今も悔やんでいる。「家に一人で残すわけにもいかなかった」。物資不足が心配で、原発事故からしばらく、買い出しに優花ちゃんを連れ歩いた。放射性ヨウ素が一帯に降り注いでいたことを後で知った。 周囲の子を持つ世帯は次々と避難し、この春、優花ちゃんと一緒に近くの幼稚園に通い始める子は13人から2人に減った。「避難すれば仕事を失う」。美雪さんは何カ月も迷った末に残ることを決めた。外遊びは数日おきに玄関先で20分ほど。「原発事故からしばらく、美雪の顔つきは変わっていた」と智子さんは振り返る。 均さんは「放射能という言葉を優花はすぐに覚えた」。外に出たがる孫のためにアニメを一日中流す衛星放送に加入した。智子さんはやむを得ず外へ連れ出す時、背におぶう。地面に下ろすと土や草花に触ろうとする。そのたびに「だめよ」と小さな手をつかむ。 事故後、炊飯器で2種類のコメを炊くようになった。以前は均さんが収穫するコメをみんなで食べていた。昨年秋の新米から放射性セシウムは検出されなかったが、美雪さんは原発からより離れた喜多方産のコメを娘に与えている。地場の果物や野菜も厳禁。優花ちゃんは近所に自生する山菜のタラの芽の天ぷらが大好物だ。「たべたいよお」。孫にせがまれるたびに、智子さんは切なくなる。 ◇幼い子にがん保険も 「子育て仲間が何人も去った」と美雪さんは言う。福島市北沢又の吉田裕子さん(29)もその一人。同じ日、同じ病院で出産したのがきっかけで親しくなった。吉田さんが昨年9月、3歳と1歳の娘を連れ山形市へ避難する際、我が子が放射線を浴びる不安を互いに語り合った。 吉田さんは仕事のある夫を福島に残し、見知らぬ土地で子育てをする。アパートの家賃は2年間山形市が負担するが、生活費は自己負担。3年前に建てた家のローンもあり楽ではない。「2年後、マイホームに戻っていいものか。放射線の影響は素人には判断できない。将来を思うと憂鬱です」。周囲では親が幼い子にがん保険を掛ける動きもある。 美雪さんは「今の生活なら娘は大丈夫」と腹をくくっている。それでも我が子に将来、何かあったら……。心の底からくつろげる瞬間は永遠に訪れないかもしれない。 「やっぱり外で遊びたいよね」。そう話しかけると、優花ちゃんは笑顔で言った。「ううん。ゆうかはおもちゃがたくさんあるから、うちであそぶよ」 ◇悩み明かせず孤立 支援の輪、拡大が急務 被ばくへの不安を抱えながら暮らす親子への支援の輪が広がっているが、質も量も十分ではない。 「育児だけでも大変なのに、見えない放射線のため衣食住の一つ一つを全て考えなければならなくなった。疲れ切った母親が多い」と、日本助産師会福島県支部の石田登喜子副支部長は言う。原発事故直後、助産師仲間に声を掛け、母子の訪問活動を始めた。線量の低い同県会津若松市の民家を借り、出産間もない母子の一時避難所も開設した。 「親は放射線のリスクに向き合い、地元に残る残らないも含めて自ら生き方を決めなければならない。生き方を指示はできないが、悩みを受け止め、納得できる結論を出せるよう寄り添いたい」。だが、助産師だけではとても追いつかない。 石田さんは「出産直後は気を張っているが、数カ月して疲れがどっとくる。訪問先にうつうつとした親が多く、虐待や育児放棄が今後増えかねない」と懸念している。 福島の子供を一時的に県外へ出す「保養」の取り組みも全国に広がる。その一つ、東京都練馬区の市民グループ「福島こども保養プロジェクト@練馬」は福島県内の親子8組を昨夏の1週間、埼玉・秩父でのキャンプに招待した。「放射性物質を少しでも体外へ出してほしい」と事務局の竹内尚代(ひさよ)さん(67)は狙いを語る。福島県外に出ることで累積被ばく線量の増加も抑えられる。 ただ、親の一人の言葉が今も気になっている。「内緒で来た。『保養に行く』と周囲には言えない」。竹内さんは「放射線の不安を話せない空気が福島に広がっているのでは。参加者は苦悩を語り合い関係を深めた。親子を孤立から救い出すためにも保養の取り組みは必要だ」と話す。 |
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4341/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
母親らが食品の放射性物質測定 神奈川に「市民測定所」
2012年3月5日 12時03分 東京新聞 食品に含まれる放射性物質の量を市民の手で測定し、安全を確かめようと、幼い子どもを持つ神奈川県内の母親らが5日、「横浜市民測定所」を横浜市磯子区と相模原市南区の2カ所にオープンした。 市民団体「横浜の子どもたちを放射能から守る会」の有志ら約30人がボランティアで運営。カンパで購入した約130万円の測定器を1台ずつ用意し、ヨウ素やセシウムを測定する。 測定所のホームページ上で予約が必要。検体は郵送のみで受け付ける。代金は1検体3千~5千円で、検査後約10日で結果のデータを郵送する。 年会費1万円を払って会員になると、すべての検査結果が閲覧できる。(共同) |
| 新聞・テレビ・雑誌から / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4344/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
20120305 震災1年 原発4.5km大混乱の中、闘った病院 モーニングバードより。まもなく震災から1年たつ被災地の素顔を紹介する週の1日目。 福島第一原発からすぐの大熊町に双葉病院がある。こちらは震災直後に患者を置き去りにしてみんなが逃げたと報道をされたが、その真相は。この病院を通じて事故直後にどんな混乱があったのかを伝える。また原発20km圏、警戒区域との境界にある広野町では避難準備区域が解除されて半年が過ぎようとしているが、町に戻った人は1割にも満たない。 20120305 震災1年 原発4.5km大混乱の中、闘っ... 投稿者 PMG5 |
| 今日の気になるネット情報 / 東日本大震災・原発 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4345/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
政府有識者会議の議事録なし 秘密保全法案を提言 2012/03/05 14:09 【共同通信】 藤村修官房長官は5日午前の記者会見で、外交や防衛に関する重要情報を漏らした公務員らに対する厳罰化を提言した政府の「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」の議事録が作成されていないことを明らかにした。 提言は、政府が今国会提出を目指す秘密保全法案のたたき台となっており、法案の策定経緯が不透明との批判が広がる可能性がある。 公文書管理法は法案の制定過程を検証できるよう、重要会議などの「決定や了解、経緯」の文書化を政府機関に求めている。藤村氏は「公開の議事要旨と配布資料で会議の経緯は十分把握できる。必ずしも法に抵触しない」と述べた。 ☆公文書管理法が出来ても、官僚が密室でことを決める従来のやり方を続けるために、運用上で都合よく料理している。今回のことが黙認されて実績になることを官僚群は狙っている。 民主党の藤村官房長官さん、あなたはこの国を変えよういう意思はどうしたのですか。こんなことを言っているようでは官僚の代弁者か太鼓持ちにすぎないではないですか。 |
| 新聞・テレビ・雑誌から / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4343/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
脱原発デモ、「ジモト化」のきざし?――全国各地に分散
一部引用・・ 脱原発を求める人々のデモが全国各地に拡散している。大都市で行われる数万人規模の「巨大デモ」こそ回数は減ったが、地域レベルの草の根デモは、今や毎週末に必ずどこかで行われている状況だ。 ■原動力は「有象無象」と「ジモト」 2月19日の「脱原発杉並デモ」=高円寺付近で 2月19日に杉並区内で行われた脱原発デモには5~6千人が参加。人数こそ昨年4月10日の同高円寺での「原発やめろデモ」の約3分の1にとどまったものの、集会やデモの雰囲気は脱原発気運の退潮を全く感じさせなかった。 中略 東電原発事故を通じて「原発は地域と相容れない」ことが明らかとなった。モラルハザードで安全軽視に陥った原発がひとたび事故を起こせば、周辺住民は避難を強いられ、コミュニティは崩壊する。城南信用金庫が脱原発の旗幟を鮮明にした理由も、まさにそこにある。 そして「原発やめろデモ」などの一連の街頭デモは、言いたいことがあれば空気を読まずに声に出していいし、またそうするべきだということを社会に示した。そのことに気付いた人々が、各自のジモトで声を上げている。今や脱原発は、人々の生活を左右する切実な問題なのだ。(オルタナ編集委員=斉藤円華)2012年3月2日 全文はこちら |
| 東日本大震災・原発 / 今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
トラックバックURL:http://blog.zaq.ne.jp/achikochitei/trackback/4346/
※ブログ管理者が承認するまで表示されません
人はあまりに辛く無惨な体験をすると、脳味噌からその実体験を外そうとする・・らしい。
無意識にそうすることで何とか平時の社会の規範に従って暮らすことが出来るのかも知れない。
半藤さんも女性編集者に再三再四請われて、ようやくこの本を書き下ろす筆を執ったようだ。
彼もまた神戸一中時代の小松左京と同じように、いらんことを仰山言うて当時の配属将校や日本は勝つと信じ込んでいた教師や先輩に
何十回 何百回と数えきれないほどびんたを張られ ボコボコに殴られている。
半藤さんがおぼれ死にかけた平井橋は私のウォーキングコースの一つの中にある。この橋のかかる中川とその周辺を含めて
1945年3月10日夜半の米軍のB29爆撃隊による焼夷弾絨毯攻撃で東京の下町の民間人が2時間ほどで10万人が焼き殺された。
(B29のBは ボーイング社のB)
半藤さんが生き延びたのはほんの紙一重の巡り合わせだった。生き延びたわずかな人の中に半藤一利さんがいてくれたおかげで
いまこの本を読むことが出来る。
東京大空襲 資料
2022年12月8日の本ブログに掲載
→しばらく遠ざかっていた水辺と水鳥を見たくて、歯医者さんの3カ月ごとの口の中のクリーニングが終わってから 久しぶりに旧中川の定点観測ポイントに行きました。
この旧中川の水中で 78年前の昭和20年3月10日の夜半から11日未明にかけてのアメリカ空軍の焼夷弾による民間人無差別殺戮のため約3000人弱が焼け死にか溺死した。
この時東京の墨田区江東区江戸川区など下町の民間日本人はわずか二時間で約10万人が焼き殺された。
半藤一利さんが平井橋から旧中川に飛び込んで浮かび上がったとき 偶然小舟がすぐ横にいて救い上げてくれたが その船がいなければ、
「日本の一番長い日」などの半藤さんの貴重な著作物の数々はこの世に現れなかった。
ロイター通信:[ロンドン 八月23日 ロイター] - 2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、数万人の死者、数百万人の避難民を出し、
世界中に経済危機の種をまいた。
国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は8月22日、侵攻開始から民間人5587人が死亡し、7890人が負傷したとの推計を発表した。
実際の犠牲者数はさらに多いとされている。 OHCHRによると、死傷者の多くは砲撃やミサイル、空爆などの爆発によって犠牲になったという。引用元。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
被害を受けたのは北海道から沖縄にいたる163都市に及び、死者は50万人以上と推計されている。 爆撃の目標は軍需施設から一般の市街地に拡大したが、これは非戦闘員にも恐怖を与え、国民の戦意を喪失させるのが目的だった。 特に東京は終戦まで約130回の爆撃を受けた。 3月10日の未明に始まった東京大空襲は約300機のB29が深川地区など下町を中心に約2000トンの焼夷弾を投下。 2時間半の爆撃は折からの強風を受けて大火災を引き起こし、およそ40平方キロの市街地が焼失した。 焼失家屋は27万戸、被災者は100万人以上で、死者数はこの1日だけでおよそ10万人と推定されている。東京は終戦までの爆撃で、市街地のほぼ半分が焼失した。」 右盲爆により都内各所より火災を生じたるも宮内省主馬寮は2時35分其の他は8時頃迄に鎮火せり。現在迄に判明せる戦巣次の如し。撃墜15機、損害を与へたるもの約50機。 帝都に侵入焼夷弾に依る市街地盲爆を行ひ、その他各10機内外宛を以て干葉、福島、宮城、岩手の各県にも来襲した。 これに依り、東京都内各所には相当の火災を生じ、再び宮城内の宮内省主馬寮附近にも焼夷弾が落下、午前2時35分までに消火したが 都内各町の火災も午前8時頃までには軍、官、民一致の敢闘に依り全く鎮火せしめた。その他各県の被害は盛岡、平附近に若干の損害があつたのみであつた。以下略 戦前から戦後もそして今も、普通の「くにたみ」に対しては、本当のことを隠してウソをついてもいいと考えるエライさん方が、お国の上に居続けるわが日本国。 これは江戸時代から我々列島人の中に住み着く【宿痾】か【痼疾】か、いや島国内で権力を握った階層の知恵なのかも。 虚言を国会の場で吐いた人、吐かせた人。まさか政権交代が列島で起こるとは想像してなかっただけのことですよね。 実はそのこと自体が「アメリカの公文書はでっち上げだ、ウソだ」と言っていることになり、アメリカの苛立ちをかっていたことに気づかなかったことが 前の政権与党と外務省には惜しまれる? |
人間が生まれてきたことに「目的や使命はないが、価値と生きがいはある」と言葉で明確に表現されて
日頃もやもやしていた「人間の存在に対する考え」が、ちょっとすっきりした。
本書のキモは「生命の発生も物理現象の一つだ」ということにある。
なんでそんな認識になるかを じゅんじゅんとこの書の中で説く筆者は
全編を読み終わった後、変った学者ではなく市井のフツーの社会人の一人であると思った。
内容紹介⇒
生命と非生命をわけるもの、それは「増える」ことである。増えて遺伝する能力は生物を進化させ、繁栄をもたらし、
やがて私たち人間に自由と生きる喜びを与えるとともに尽きることのない不安や迷いを植え付けることとなった。
生の悩みから生命の起源と未来を見つける知的間答の書。
第1章 なぜ生きているのか(私たちは何のために生きているのか
祖先へさかのぼる「望み」の連鎖 ほか)
第2章 なぜ死にたくないのか(なぜ生きているとこんなに悩みが多いのか
増え方の戦略は大きく分けて2つ ほか)
第3章 なぜ他人が気になるのか(長生きによって他の個体との付き合いが生まれる
他の個体との付き合い方のケース ほか)
第4章 なぜ性があるのか(自分以外に異性を見つける必要
生物によって違う性のありかた ほか)
第5章 何のために生まれてきたのか(不老不死が実現する人類の未来
私たちは幸せになれるのか ほか)
市橋 伯一
イチハシ ノリカズ
市橋 伯一(いちはし・のりかず):1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科・先進科学研究機構・生物普遍性研究機構教授。
専門は進化合成生物学。2006年東京大学大学院博士課程修了(薬学)、JST ERATO研究員、大阪大学大学院情報科学研究科准教授を経て、2019年より現職。
試験管内で生命を模した分子システムを構築することにより、生命の起源と進化を理解しようとしている。
遺伝情報を持ち、進化する分子複製システムを世界で初めて構築した。著書に『協力と裏切りの生命進化史』(光文社新書)。
遺作の重み、そして敬意
佐江衆一さんの遺作(『野望の屍』)を一読して深い感慨を覚えた。ああ作家として書きたかったテーマは、この点にあったのか、というように思える。昭和9年生まれ、太平洋戦争の始まった時は小学校(当時は国民学校と言ったが)の二年生であり、終戦時は六年生である。戦時下には東京からの疎開を体験している。世代論を持ち出すわけではないが、佐江さんの世代は少年期の戦時下体験が心理的な影になっている。
大体がこの世代の作家はあの戦争に巡り合わせたが故の作品を書く。佐江さんもこの10年余前から、満州開拓団を書いた『昭和質店の客』や回天隊員を描いた『兄よ、蒼き海に眠れ』などを発表している。そしてこの『野望の屍』で、歴史の潮流を戦争時代に生きた少年の決着と覚悟で書かれたように思う。私たちはこういう指導者の作った時代に生かされたのだとの確認である。むろんこれを批判するとか恨みで書くというのではなく、ひとりの庶民がどのようにこの時代を見つめるか、といった姿勢を崩さずに書かれている。そのことが逆にこの作品に深みを与えていて、読者に改めて自分の生きている時代の確認を迫っているとも言える。
舞台は1923年(大正12年)のミュンヘンのビヤホールから始まる。ナチ党の党首ヒトラーが取り巻きと聴衆の中央に座る。国家主義者のワイマール体制批判に耳を傾けながら、演説が佳境に入ると、ヒトラーは拳銃を天井に向けて撃ち、驚く聴衆を尻目に壇上に登る。そして、激烈な演説を始める。「共産主義者とユダヤ人どもがのさばるワイマール共和国政府を我々の一撃で倒す」というのだ。この出だしは、ヒトラーが登場するミュンヘン一揆の前夜祭のような演説会だが、佐江さんはこの場面にナチ党が持つ、あらゆる特徴を含めて書いているので、第一次世界大戦後のドイツの社会的混乱が全て盛り込まれている。
つまり暴力と反ユダヤ、戦勝国への憎悪、そして何より復讐の心理である。
続いてその頃にドイツに駐在して、第一次世界大戦そのものを研究、分析する日本陸軍の中堅将校の代表的人物である石原莞爾を語っていく。この頃には石原よりも4、5歳上の永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次、東條英機らがいて、やはり国家総力戦の研究をしている。しかしそういう将校とは別に、ドイツ社会の惨憺たる状況を正確に受け止める感性知性をもつ石原の存在に佐江さんは着目したのであろう。
加えて石原は日蓮宗の国柱会の信仰員として、日々の生活を律している。国柱会の創始者である田中智学の上野公園での演説が、ドイツの荒廃状況を見る石原に想起されてくる。「父親、夫、兄弟、息子を大戦でなくし、国破れたドイツ人を、われわれ大和民族の日本人がベルサイユ条約で裁きうるや!」。石原の心底に「日蓮宗信者の軍人」という像が浮かんでくる。
石原はドイツの著名な軍人や歴史学者に教えを乞い、その過程でヒトラーという一兵士が、「ドイツ民族純血の“民族国家”」を目指していることを知ったと佐江さんは書く。石原の知的欲求、明晰な頭脳は他の将校の追随を許さないのだが、そのことによりドイツのナチスの野望と、石原に代表される日本軍人の野望とがどのように史実を作り上げ、そして崩壊していくか。それが佐江さんが自身の少年期の戦時下の状況を理解しようとする本書の主たるテーマであると言っても良いであろう。
むろん本書はヒトラーと石原莞爾の動きを精密に追っているわけではない。ただしドイツは確かにヒトラーとその周辺の指導者により、野望が着々と形を作っていき、やがて滅びる歴史だが、日本はむしろ石原を疎外する形で軍事主導体制が崩壊していく。佐江さんは日本の軍事総体が主語となって崩壊する様を描きながら、この国の無責任体制が浮き彫りになるような形でまとめていく。そのことに気がつくと、本書に託した佐江さんの思いは、極めて重いというべきであろう。最後のページで、アジア各地で戦死した日本軍の兵士たちは、屍と化してなお「太平洋の彼方の祖国を見つめつづけている」と書く。そういう何百万の人々が、「今なお(この国の)明日を縛っている」という語が、この書のモチーフだということにもなろうか。
あえてもう一点、本書の読み方を私なりに提示しておきたい。私見では、いずれ歴史的には第一次世界大戦と第二次世界大戦は連結していて、20世紀の「1914年から1945年までの戦争」と言われるだろう。第一次世界大戦の終結から第二次世界大戦の始まりまでの21年間は戦間期と言われるが、実は「平和」が煙草を吸って一服していたにすぎない。次の戦争の準備期間だったのである。
この間の人物の動きを直視し、作品化したことに、佐江さんの遺作の重みがあると、私は受け止めた。そのことに敬意を表したい。
(ほさか・まさやす 作家)
波 2021年2月号より
単行本刊行時掲載
著者プロフィール 佐江衆一
(1934-2020)1934年、東京生まれ。1960年、短篇「背」で作家デビュー。1990年『北の海明け』で新田次郎文学賞受賞。1995年、『黄落』でドゥマゴ文学賞受賞。自身の老老介護を赤裸々に描いてベストセラーに。1996年『江戸職人綺譚』で中山義秀文学賞受賞。著書に『横浜ストリートライフ』『わが屍は野に捨てよ――一遍遊行』『長きこの夜』『動かぬが勝』のほか、『昭和質店の客』『兄よ、蒼き海に眠れ』『エンディング・パラダイス』の昭和戦争三部作など。古武道技術師範。『野望の屍』は最後の作品として取り組んだ渾身の史伝である。2020年10月逝去。享年86。
インタビューアーがすぐれもので 突っ込だ質問が結構あって、どの人の内容も読むだけの価値があった。
「宗教はその人の世界観だ」と言う表現が中にあって一番納得できた。
だからこそ宗教はそれぞれの人間の生き方まで決めてくるところがある。
この本を読んだけれど 自分はやはり外来宗教の ホトケ様でも、デウス様でもなく、
諏訪大社上社の神体山である守屋山が自分の先祖神として在ることは変わらなかった。
本の中ではどの人たちの編も読ませたが、中でも「高村薫」さんと「小川洋子」さんと「立花隆」さんが持っている宗教観が興味深く、
それがこの人たちの人間を造っているなあと実感した。
本の内容説明
「死」、そして「生」と真正面から向き合ってきた表現者たちの言葉には、経済発展第一という戦後日本の価値観からの転換を迫られた災害後を生きる私たちが、
「こころの問題」を考えるためのヒントが詰まっている。日本を代表する一〇人の表現者が「宗教」とのかかわりを率直に語る。
目次
善男善女でない私がたどり着いた死生観が「空・縁起」なのです(高村薫)
わしの中の宗教心と近代主義をどう折衷するかが問題だ(小林よしのり)
超越者ではなく伴走者としての神(小川洋子)
ぼくが宗教嫌いになった理由(立花隆)
照れるけど「幸福写真」はいい!!(荒木経惟)
女優という職業、そして信仰(高橋惠子)
おおいなるもの、目に見えないものをいかに映像化するかが最大の挑戦です(龍村仁)
ポンペイ、広島、アウシュヴィッツの悲劇を静かに伝える(細江英公)
患者さんと健常者を隔てているカーテンを取り除く(想田和弘)
人物ルポ 水木しげる―宗教とアニミズムを分けるものは何か
著者等紹介
渡邊直樹[ワタナベナオキ]
1951年東京都生まれ。大正大学表現学部教授、編集者、(財)国際宗教研究所評議員。東京大学文学部宗教学科卒業後、平凡社で月刊『太陽』を編集。
その後、『SPA!』(扶桑社)、『週刊アスキー』(アスキー)などを創刊、編集長を務める。
webコンテンツの制作を手掛けた後、『婦人公論』(中央公論新社)、『をちこち』(国際交流基金)編集長なども歴任
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
話題の映画『82年生まれ、キム・ジヨン』原作小説ダイジェスト(試し読み動画)
韓国ではその共感性の高さから、国内だけで136万部という異例の大ベストセラーとなりました。K-POPアイドルなど影響力のある芸能人が度々話題にしたことでも注目を集めましたが、
アイリーンだけでなく、少女時代のスヨンやBTSのRMも『82年生まれキム・ジヨン』に言及しています。
さらには韓国の国会議員が文在寅大統領の就任記念に「女性が平等な夢を見ることができる世界を作ってほしい」と手紙を添えてプレゼントするなど
この反響から、本書を原作として韓国の人気俳優コン・ユ、チョン・ユミ共演で映画化もされ、主人公キム・ジヨンを演じるチョン・ユミとその夫役、
中国・台湾でもベストセラーとなり、アメリカ、イギリス、フランス、ベトナムなど32の国・地域での翻訳化も決定した世界的な注目作です。
CLICK☟
筑摩書房 82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ 訳 斎藤真理子 (chikumashobo.co.jp)
人はありがとうの数だけ賢くなり
ごめんなさいの数だけ優しくなり
さようならの数だけ愛を知る
森泉岳士 著 「ぼくの大林宣彦クロニクル」 40頁
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
読みだすと止まらず一気に最終ページまで読んだ。
なにしろ大林さんが持って生まれたエネルギーの強さが凄く、彼が生きた過程で出会った人間たちとの間の化学反応の大きさをも感じた。
大きな器の人間だったのだ大林宣彦さんは。しかもその器には汲めども尽きない水が湧いた。
大林さんは尾道を舞台にした映画で有名だが、残念ながら私は尾道映画は見ていない。
この本を読んで 尾道市や三原市などがある広島県の 広島市に3年間住んで知った かの地の住人の持つ人間の濃さを思い出した。
そしてこの本を読んで監督作品に「異人たちとの夏」clickがあることを知った。
この映画は今も私の中に強い印象を残しているが、当時は原作が山田太一であることと、名取裕子の演技の記憶が強く 監督が誰だったか覚えていなかった。
しかし この一作だけでも大林さんの監督作品を見ていてよかったと思う。
この本を読んで こういう人が監督したからあの映画に強いインパクトを感じたんだと思った。
やはり広島出身の監督「新藤兼人」clickさんの膝の上で遊んだことがあるというエピソードが心に響いた。
2009年05月25日(月)「阿智胡地亭の非日乗」掲載
小説家の城山三郎は生涯、生真面目な一所懸命の人だった。 昭和初年から10年くらいの間に、この列島で両親から生を受けた日本人の男女は、生まれ年一年刻みで、その個別の人生が違っている。 昭和2年生まれの城山三郎、本名杉浦英一は、真面目な筋金入りの愛国少年という[時代の子]でもあった。 商家の跡取りという立場から、父親の願いを入れて市立名古屋商業学校を卒業し、その後、やはり父親の希望を入れて、徴兵猶予のある愛知県立工専に入学し、 徴兵猶予となったが、日頃から杉本五郎中佐著『大義』などに心酔していた彼は、ある日父親に相談せず猶予を返上した。 そしてお国のために、昭和20年5月に海軍特別幹部練習生として志願入隊した。大竹、郷原の部隊を転々としながら、三ヵ月後広島の原爆の雲を見て終戦を迎える。 根が真面目で融通を効かせることが出来ない、杉浦英一が海軍の教育期間に受けた体験は過酷なものだったらしい。 この伝記は彼の同年兵なども訪ね歩き、聞き書きをしているが同年兵の1人で、広島県の開業医は、その体験を一切語ろうとしない。 彼は奥さんにも語ったことがないという。 職業軍人である内務斑の班長たちの社会的出身階層から見れば、「海軍特別幹部練習生」に応募してくるような旧制中学及びそれ同等以上の教育を受ける事が出来る出身階層に、 彼らは平時のシャバでは一生入ることは出来ない。そしてこの幹部練習生は訓練の後、促成とはいえ尉官に任命される。 古参の班長の中には、これらのことを思い、こいつら許せないと、恨みつらみと狂気を持って幹部練習生に当たるものがいた。 後年の城山三郎こと杉浦英一の班長はそういう古参兵であった。 一般的に海軍の規律を陸軍の上に置いて語る、旧海軍の尉官以上の体験者が多いが、そういう体験は城山三郎にはなかった。 殴られ嬲られ殴られが続く3ヶ月であったらしい。 新藤兼人監督は32歳で海軍2等水兵として徴用された。 その体験を映画にしているが、当時の軍隊の訓練を受けた人間は、その体験を親にも子にも伝えたくないというのがよく判る映画だった。 こちら 彼は復員して、敗戦後の日本の社会の変化と自分のそれまでの18年の存在に折り合いがつけらずに、ほぼ一年間腑抜けのように引きこもっていた。 彼が自分の中で、この時代の「おのれ」と「国家」の関係に決着をつけるのには 14年間の年月が必要だった。 彼は昭和34年に「大義の末」を書いた。 この作品の主題は、私にとって一番触れたくないもの、曖昧なままで過してしまいたいものでありながら、同時に、触れずには居られぬ最も切実な主題であった。 「皇太子とは自分にとって何であるか」―この問いを除外しては、私自身の生の意味を問うことはできない。 世代にこだわる訳ではないが、私の世代の多くの人々もこうした感じを抱かれると思う。 柿見という主人公は、私の机上にこの数年間生きつづけ、この最終稿は一九五八年の春から半年かかって書き上げられた。 完成直後、いわゆる皇太子妃ブームにぶつかり、私は一時、発表意欲を削がれた。 ブームに便乗するようにも、ブームに水をかけるようにもとられたくなかった。 いかなる意味においても、ブームに関係づけられて見られたくはなかった。 私にとっては、もっと大事な、そっとして置きたい主題なのだ。 しかし、この作品は時代に限られながらも、なお時代を越えて生きて行くべき証言であることを思い、また、五月書房秋元氏の熱心なすすめもあって、発表することにした。 |
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この伝記を書いた加藤仁という人はノンフィクション作家で、定年を迎える前後の日本人の生活を取材フィールドにして作品を著している。
これまで雑誌の記事なども何回か読んだことがあるが、対象とする相手と同じ目線で書いているのに好感を持ってきた人だ。
本屋の平棚でこの本を見つけたとき、城山三郎の伝記という事と、作者が加藤仁ということですぐ購入しようと思った。
著者紹介を今回読んではじめて知ったのだが、彼は城山三郎と同じ、名古屋出身の人であった。しかし著者は城山三郎に生前一度も会っていない。
城山が残した膨大なメモ、日記を読みに読み、城山の身内、友人・知人・担当編集者らとのインタビューを重ねて、加藤仁の中であらためて構築・再生された「城山三郎」像。それがこの本である。
読み出してすぐに城山が物を書き出したとき以来、手本の一つとした先輩作家として「庄野潤三」の名前が出てきた。
そして同じ昭和2年生まれで生前付き合いがあった分かり合える作家として「吉村昭」の名前も出てきた。
二人共にもう長く自分が読み続けてきた作家だけに、自分が気が付かないだけで、この3人が書くものには何か共通性があったのかと不思議な気もし、また嬉しかった。
現在図書館から借り出している本。
考えたらそれぞれ著者とは どの方もこちらからの一方的なお付き合いだが、その期間には長い年数がある。
もはや会社勤めで読んでおいた方がいいとか、ビジネス書のベストセラーとかの世界とは全く縁が切れて20数年たつ。
「幸期幸齢者」のタームはこちらからお借りしました。
森泉岳士 著 『ぼくの大林宣彦クロニクル』から
「僕がつくったものはまだ映画じゃありません。それがみなさんの心のスクリーンに映ったときにはじめて映画になるんです。
映画とは対話です。みなさんがいるから僕がいる。映画というのはリアクションなんです」
「この映画は記録じゃなくて記憶です。記録だと目をそむけたくなるから。そういった写実的な記録ではなくて、芸術的な記憶であれば、人は忘れない。
それがピカソが『ゲルニカ』でやったことです」
「戦争を止めるには、戦争とおなじくらいの力がいるんだよ。
それは正義じゃなくて、人間の正気。
もしも政治家や経済人が正義を叫んだら疑ったほうがいい。
正義じゃなくて正気を求める。それが表現者のやることなの」
{「だから私は嘘を持つことにしたの」―日々押し付けられる雑務にキレてつい「妊娠してます」と口走った柴田が送る奇妙な妊婦ライフ。第36回太宰治賞受賞作。
世界14カ国語での翻訳が進行中で、特に2022年8月に刊行された英語版(『Diary of a Void』)は、ニューヨーク・タイムズやニューヨーク公共図書館が今年の収穫として取り上げる}。
(ネットから引用)
作者の八木詠美さんの二作目の小説が世界各国で翻訳されると知って、どんな小説なのか興味をもったので図書館に申し込んだら、すぐ借り出せた。
一言で言うとトンデモナイ・妊娠噓つきの話だった。女性の身体に全く現実の妊娠と同じ状況が進行し、
その間の職場の人間や周囲とのやりとりが何の不自然さもなく描かれていて可笑しい。
最後まで作者に騙されてるのかもと半分思いながら読んでいった。
作者は私も好きな津村記久子さんの著作をずっと読んできたそうだが、にじみ出てくるユーモアや、底の浅い男を「平べったい人間」と表現するなど
具体的な細部の表現に津村さんと通底する資質を感じる。この人の言葉の使い方はユニークで豊かでこまやかだ。
今の日本の働く女性が受けている扱いの前線のありのままを 視聴率が欲しいテレビ報道の大仰さや、購読者の受けを狙う大手新聞社のフェイクか詐欺のような記事と違い
こんな風に余裕を持って会社や職場での男女差別の現実を書ける筆力に驚いた。
ヒヤヒヤもあり次の展開にドキドキもあり、借り出して読んだ甲斐のある本だった。面白い本だった。