阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年11月04日(日)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年12月12日 | 乱読は楽しい
2012年11月04日(日)
 
「倚りかからず」  茨木のり子 

もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない

もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない

もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない

もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない

ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい

じぶんの耳目

じぶんの二本足のみで立っていて

なに不都合のことやある

倚りかかるとすれば

それは

椅子の背もたれだけ
 
 
在日米軍:オスプレイ本土訓練通知 知事「いきなりとは何事だ」 毎日新聞
在日米軍:オスプレイ本土訓練通知 「怖い」市民ら不安 知事「いきなりとは何事だ」 /静岡
毎日新聞 2012年11月03日 地方版

 御殿場市の米軍キャンプ富士などで今月、米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの低空飛行訓練が行われる計画が2日、東京都内で開かれた全国知事会議の席上明らかになった。初めて知らされた地元の市民からは、「オスプレイは怖い」「絶対安全という確認ができない」などと不安を訴える声が目立った。【樋口淳也、小玉沙織、野島康祐、西嶋正信】

 同会議に参加していた川勝平太知事は、東京都内で毎日新聞の取材に応じ、「何の打診もなく、突然のことで驚いている。住民の意向さえも聞かずいきなりとは何事だ」と強く反発した。

 御殿場市の若林洋平市長は「耳を疑うもの」と森本敏防衛相の突然の発表を批判し、国に対して発言に関する詳細な説明を要求した。さらに「仮にキャンプ富士への飛行訓練が示された場合は、第10次東富士演習場使用協定にのっとり、(地元)2市1町と(同演習場の)地元権利者団体などと一体となり、協議を進めざるを得ない」と述べた。

 オスプレイの飛行訓練について情報収集を進める松井隆・県民生活局長は、「南関東防衛局に問い合わせたが、『本省から情報がない』と言われた。こちらとしては、県民の不安を払拭(ふっしょく)できるよう、国の責任で2市1町と地権者に丁寧な説明をしてもらいたい」と話す。

 地元住民は複雑な心境だ。同市西田中の自営業、山崎勝正さん(78)は、「オスプレイは事故を繰り返している。絶対安全だと確認できればいいが、訓練は時期尚早だ」と反対の立場。一方で、同市中山の自営業の男性(64)は、「沖縄以外でも応分の負担を受け入れざるを得ない」と指摘した。

☆【わが空はわが空ならず秋の空】

旧軍の戦闘機乗りで敗戦後、日本航空のパイロットになった人が詠ったという伝説の俳句。

アメリカの占領状態が67年間続く日本の空。

臥薪嘗胆、捲土重来、次は勝つ、の気概を持つ「官、財、政、学、マスコミ」が戦後67年間の間、この国に存在したことはない。

しかし裏を返せば、この67年間、国家の正規軍が他国民を戦争の名目で殺害したことのない国連加盟国の中の大国は、唯一日本だけである。

国連の常任理事国であるアメリカ、ロシア、中国、イギリス、フランスの五国は1945年以降も、それぞれ国の正規軍がなんらかの名目で、他国民を戦闘で殺してきた。

 自国の空と陸を自由にアメリカに使われ、裁判権を渡すなど不平等な地位協定を結んだ吉田茂と、その忍びの者を勤めた白洲次郎は、それらと引き換えに憲法九条を維持し、ならずものの国にならないで来たこの国への自らの働きと貢献を、墓石の下で自負しているだろうか?それとも忸怩たる思いをしているのだろうか?
 
 
九電、冬の節電要請で数値目標なし 計画停電も実施せず 日本経済新聞
2012/11/3 12:02

 九州電力は2日、管内の企業や家庭に今冬の節電を要請すると発表した。暖房用の電力需要が見込まれる一方、原子力発電所6基すべてが停止しており、電力供給力が落ちた状態が続いているため。ただ節電が定着してきたうえ、他の電力会社からの電力融通も見込めるため、数値目標は設定しない。今夏、万一の供給不足に備えて準備した計画停電も実施しないとしている。

 節電要請期間は12月3日~2013年3月29日(12月31日~1月4日を除く)の平日で、時間帯は午前8時~午後9時。2日、記者会見をした平田宗充取締役は「生活・健康や経済活動に支障のない範囲で節電に協力をお願いしたい」と述べた。九電は火力・水力発電所の補修による停止を暖房用需要が増える冬にしないで済むよう点検時期の前倒しなどで対応している。

 今冬の気温が平年並みで推移した場合、2月の最大電力需要は1471万キロワットと想定。昨冬並みの厳しい寒さとなったケースでは1537万キロワットを見込む。一方、最大供給力は1584万キロワットあり、予備率は3.1%を確保できる。他の電力会社も今冬の予備率に余裕があり、さらなる電力融通も見込めるという。
 
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2015年の今日12月9日野坂昭如さんが85歳で亡くなった。野坂昭如という人間に出会ったのは「平凡パンチ」や「話の特集」の時代だった。

2024年12月09日 | 乱読は楽しい

≪ブログ初出 2015年12月12日≫

 野坂昭如さんが毎月寄稿していた雑誌

週刊「平凡パンチ」創刊号。昭和39(1964)年5月11日号


 月刊誌「話の特集」昭和41(1966)年2月創刊

本を読んでもしばらくすると何が書いてあったか忘れてしまう。

でも「その本を読む前のあなたと読んだ後のあなたはどこか違ってる」という言葉を知ってから

忘れてもいいのだと思うようになった。そういう意味で言えば、野坂昭如、庄野潤三、吉村昭、鶴見俊輔、半藤一利、保坂正康、水木しげるさんたちは

明確に何がとは言えないがその存在が私の身中に今も残っているのだろう。

 中でも野坂昭如さんは、一時全作を揃えようと古本屋まわりもしたことがある。しかし筆が荒れている時期もあり、売文の著作もあり、それはやめた。

彼の「火垂るの墓」の静かな衝撃は、読んで以降 私の中にずっと残ってこれまで来た。

戦争屋の扇動やプロパガンダが今もこれからもあるだろうが、一般の人間にとって戦争になれば、

自分と家族と知り合いに何が起こるかを、この本はこれからも伝えていく。

☆1991年11月、写真家栗田格さんが野坂昭如さんの自宅で撮影したポートレイトには、

野坂昭如の凄みと生真面目さ、あるいは含羞の硬骨漢が映しだされています。




■ 好色の魂 ■ 水虫魂 ■ マリリン・モンロー・ノー・リターン ■ 騒動師たち ■ とむらい師たち
■骨餓身峠死人葛(ほねがみとうげほとけかずら) ■ 童女入水(どうじょじゅすい)
などは今も岩波現代文庫「野坂昭如ルネッサンス」で入手できる。


神戸新聞 「正平調」2015/12/11

【野坂昭如さん死去】 それほどに戦争を憎んだ / 自由すぎるおじさん


  昭和一桁世代と言われ、浮かぶ顔がいくつもある。父に叔父、小中学校の担任の教師、少年野球の監督も

◆戦場で、空襲の町で死を覚悟し、戦後は飢えの苦しみを味わう。高度成長のさなかも、どこかさめたところがあり、国は信用できないと話す。

子ども心に、大人とは何とややこしく理解し難い存在か、と思った覚えがある

◆今はもういないいくつもの顔が、浮かんでは消えていく。作家の野坂昭如さんの訃報を聞いてから、ずっと。そうか、野坂さんも亡くなったか。

著書の題名になぞらえながら、「野坂昭如・ノー・リターン」とつぶやく

◆三宮、御影、西宮に明石。なじみの土地が登場する「火垂(ほた)るの墓」にはいつも泣かされる。

「お兄ちゃん、どうぞ」「それからおからたいたんもあげましょうね」。こうして主人公の妹節子の言葉を書き写すだけで、涙腺が緩む

◆「ぼくは作中の少年ほど、妹にやさしくなかった」と言いながら、戦時下で亡くした幼い妹のことを何度も書いた。

自らの記憶を風化させないよう、人の経験を聞き体験記を読みあさったと記す。それほどに、戦争を憎んだ


◆「昭和20年6月5日午前7時、神戸市上空高曇り」。空襲で焼け出された日になると毎年、空を見上げたそうだ。

命日となった12月9日午前、神戸市上空は青空が広がった。

 2015・12・11

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  野坂昭如『火垂るの墓』 あとがきより
 
君たちの生まれる前、戦争があった。
 
たくさんの人が死んだ。
 
そして、日本は、もう二度と戦争をしないと決めた。
 
だが今、戦争を迎え入れつつある。いつ戦争に巻き込まれてもおかしくない状態なのだ。
 
君たちはこれをどう考える。
 
君たちの周りには食べ物が溢れている。
 
けれど、そのほとんどが、輸入の産物。
 
戦争が起きれば、食べ物は入ってこなくなる。
 
そうなれば、たちまち日本国中、餓死して当然。
 
ぼくが子供の頃、この国は農業が盛んだった。
 
身近に、作る人の努力を感じることができた。
.
物を食べる時、作った人や、その収穫物に感謝する気持ちがあったし、大地の恩、水、天の恵みを有難く思っていた。
 
「いただきます」という言葉には、そういった気持ち、すべてが込められていた。
 
食べ物を大事にしてください。
 
戦争中、そして戦後、餓えて死ぬ人を何人も見た。
 
戦争は嫌だ。戦争は決してしてはいけない。
 
君たちに同じ思いをさせたくいない。
 
君たちが大人になる頃、戦争を経験したぼくたちはもういないだろう。
 
この本を読んで、戦争を考えて下さい。
 
戦争について、語りあって下さい。語り合うことが大事です。
 
そして、ここに書かれなかった戦争の真実を、君たちの力で自分のものにしてください。
 
 
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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年09月21日(金)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] 再掲載

2024年10月23日 | 乱読は楽しい
2012年09月21日(金)
 
原子力推進官僚ずらり 規制庁が始動 by 中国新聞
'12/9/20

 原子力規制委員会の発足に合わせ、事務局として安全規制や危機管理の実務を担う原子力規制庁が20日から本格的に業務を始めた。しかし、幹部には経済産業省など原子力を推進する官庁の出身者らが名を連ね、早くも「規制行政の信頼回復には程遠い人事」との指摘が出ている。

 経産省審議官から、原発事故などに対応する緊急事態対策監になった安井正也やすい・まさや氏(54)。資源エネルギー庁原子力政策課長だった2004年、原発の使用済み燃料を地中廃棄する費用を試算したのに「試算は存在しない」との国会答弁を作成したとして、厳重注意処分を受けた人物だ。

 審議官3人のうち、文部科学省出身の名雪哲夫なゆき・てつお氏(53)は核燃料取扱主任者の資格を持ち、旧科学技術庁の原子力局に勤務した経験がある。桜田道夫さくらだ・みちお氏(53)は東大工学部原子力工学科卒で、エネ庁勤務が長い。住民訴訟に対し、国の立場で原発の安全性を主張した原子力発電訟務室長だったこともある。

 残る1人の山本哲也やまもと・てつや氏(52)は経産省原子力安全・保安院から。東京電力福島第1原発事故には首席統括安全審査官として対応した。文科省とともに米国が提供した原発周辺の放射線分布地図を放置した問題で今年6月、「情報が共有されず、住民の避難に活用されなかったのは誠に遺憾だ」と記者会見で謝罪した。

 規制庁ナンバー2の次長には、内閣官房原子力安全規制組織等改革準備室長として規制委や規制庁の設立に関わった森本英香もりもと・ひでか氏(55)が就いた。地球温暖化対策で原子力を重視してきた環境省が出身母体だ。

 このほか、初代長官には前警視総監の池田克彦いけだ・かつひこ氏(59)が就任。原子力地域安全総括官の黒木慶英くろき・よしひで氏(54)も警察庁出身だ。ともに警備部門の経験が長く危機管理への期待から起用されたが、市民団体関係者からは「デモの規制で本領を発揮するのでは」との皮肉も。

 黒木氏は改革準備室副室長として3日、滋賀県の原子力防災専門委員会に招かれた際、規制機関の在り方について「原子力に反対する人も入るのは、日本の場合、考えにくいのでは。一定の結論を導き出す議論ができるのか」と発言。委員から注意を受け、その場で陳謝したばかりだ。

 規制委や規制庁の設立経緯に詳しい海渡雄一かいど・ゆういち弁護士は「電力会社のとりこになった規制行政から脱却できる人事とは到底思えない。これで『原発は安全だ』『再稼働を』と言われても立地地域の住民は安心できないだろう」と話している。
 
野生キノコの出荷停止、長野県で初 by 日本経済新聞

2012/9/20 18:59

 政府は20日、国の基準値(1キログラム当たり100ベクレル)を超える放射性セシウムを検出したとして、長野県軽井沢町と御代田町で採れる野生のキノコの出荷停止を県に指示した。

市場には流通していない。

厚生労働省によると、東京電力福島第1原発事故に伴う長野県の農林水産物の出荷停止は初めて。


 
ドイツが脱原発できたわけ 企業にも大きな変化が‥ by 報道ステーション
報道ステーション 2012.9.20。脱原発を進めているドイツと日本ではどこがどうちがうのか。
ドイツの様々な面を取材。
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ドイツが脱原発できたわけ 企業にも大きな変化が‥ 投稿者 tvpickup

 

上関原発建設「認めない」  by 中国新聞
'12/9/19

 革新的エネルギー・環境戦略が19日、閣議決定に盛り込まれたことを受けて、枝野幸男経産相は、閣議後の会見で、中国電力上関原子力発電所(山口県上関町)など着工前の原発について、建設を認めない方針を明らかにした。

 枝野経産相は「原発の新増設はしない」などと掲げた革新的エネルギー・環境戦略を挙げ、「新たな建設の許可を与えることは原則に反する」と強調。計画段階の原発について事業者側が許可を申請した場合も、認めない考えを明らかにした。

 経産省は2013年度の概算要求で立地自治体への交付金を従来通りの基準で計上しているが「建設前の原発にもいろんなプロセスや状況がある。交付金などは今後、精査する必要がある」とした。
 
復興予算に核融合研究費 復興相、計上認めず by 東京新聞
2012年9月19日 夕刊

 平野達男復興相は十九日午前の記者会見で、高速増殖原型炉「もんじゅ」などを運営する独立行政法人・日本原子力研究開発機構(原子力機構)が政府の二〇一二年度予算の復興特別会計に、核融合エネルギーの研究費四十二億円を計上していた問題について、東日本大震災の復興予算の使い方としては不適切だったとの考えを示した。「増税をして財源を確保したものの使い道としてはいかがなものか」と述べた。

 さらに、原子力機構を所管する文部科学省が一三年度予算案の復興特別会計でも、四十八億円の研究費を概算要求していることについて「真に震災の復旧復興に結び付くもので予算編成をしなくてはいけない。(復興特別会計からの計上は)かなり難しい」と、計上は認められないとの考えを明らかにした。

 原子力機構に対しては、政府が一二年度予算の復興特別会計から百億円超を支出。うち四十二億円は核融合エネルギーの実用化を目指して日本や欧州連合(EU)、米国、中国など七カ国・地域が進める国際熱核融合実験炉(ITER)の関連研究費に充てられていた。
 
焦点:中国政府に高まる弱腰批判、反日デモが新指導部の足かせに by朝日新聞
2012年9月20日

9月19日、中国政府は当初、反日デモを容認する姿勢を取ってきたが、その方針は結果的に、新指導部に影響が跳ね返ってくるリスクがある。写真は北京の日本大使館前で18日に行われたデモ(2012年 ロイター/David Gray)

 [北京 19日 ロイター] 日本政府による尖閣諸島(中国名・釣魚島)の国有化に端を発した中国の反日デモ。中国政府は当初デモを容認する姿勢を取ってきたが、その方針は結果的に、胡錦濤政権から権力を引き継ぐ新指導部に影響が跳ね返ってくるリスクがある。

 尖閣問題をめぐる大規模な反日デモは、中国政府が日本に対して弱腰だとの批判も含まれており、10年に1度の権力移行を目前に控えた新指導部には強硬姿勢で外交に臨むよう圧力がかかっている。

 中国の次期最高指導者と目されている習近平国家副主席は、療養中だったとされる2週間は姿を見せず、数日前になって公務に復帰した。現在、習氏を含む指導部には、対日強硬路線を求める世論から耳をそむけようとしているとの批判が高まるリスクもある。

 「政府は軟弱すぎると感じている。だから、われわれの考えを示したい」。北京の日本大使館前のデモに参加した食品販売業者のZhang Xinさん(25)は怒りを吐露。「中国は強国としての要求を行うべきだ。今の政府には失望を感じる。民主的とは言えず、われわれの声を聞き入れてくれない」と不満を口にした。

 反日デモで盛り上がった愛国心は、共産党には心強さと同時に憂慮すべき意味合いも含まれる。それは、デモ参加者が中国政府の領有権の主張を熱狂的に支持している一方、指導部にはその主張を行動に移す力がないと公に訴えようとする参加者が多いからだ。

 また今回の反日デモでは、中華人民共和国建国の父とされる毛沢東の肖像画が多く掲げられた。毛沢東の肖像画は、日本政府の尖閣国有化について公にコメントを発表していない胡錦濤国家主席ら現指導部に向けた非難としても利用された。

 海産物の販売員Shi Leiさん(25)は「毛沢東は新中国の最初のリーダーで、外国人に厳しく対応する策を知っていた。もし彼が生きていれば、今ごろ戦争になっていた。胡錦濤らは日本の挑発を前にして役立たずで軟弱だ」と痛烈批判。

 会社員のChi Lixinさん(29)も「毛沢東は日本と戦い勝利した英雄だ。今の指導部は平和外交しか口にせず、ただ見ているだけ。われわれの領土を手放そうとしている」と語気を強めた。

 <愛国心と不満>

 愛国心と不満が入り混じった感情は、北京や上海、広州など多くの都市に広がった。これに対し、当局は反日行動が反政府デモに発展するのを防ぐため、数千人の警官や武装警官を配備。北京の日本大使館前では19日までに、警察がデモの封じ込めに乗り出した。

 政治コメンテーターのLi Weidong氏は、「もちろん日本との問題は存在する。ただ、政府はそれを国内の不満のガス抜きに利用している」と指摘。「政府は不満の度合いを見計らっている。統制不能にはしたくない」と語った。

 中国政治の専門家は、習氏ら新指導部が直面するリスクについて、長い目でみておく必要があると口をそろえる。

 中国政府は早ければ来月に行われる共産党大会での指導部交代を最優先。しかし、その権力移行はスキャンダルなどで揺らいだ上、政府は予想外の経済成長の減速にも苦慮している。

 そんな中、日中関係の不安定化は不確実性が増すことにつながる。強硬路線を求める世論に押されれば、中国指導部が弱腰批判を受けずに妥協点を探ることは一段と難しくなる。

 米カリフォルニア大学のスーザン・シャーク教授は「誰だって日本に弱腰だとは思われたくない。皆が出世を競っており、弱腰だとの評判は将来にとって決していいことではない」と説明した。

 たとえ日中の軍事衝突の可能性は低いとしても、中国側に妥協を探る外交の余地は狭まっており、領有権問題を早期に片付けるための選択肢も少なくなっている。

 <歴史の新局面>

 日本を研究する中国の専門家は、この先「大変な時期」が訪れると予測する。

 「われわれは新たなステージに突入した」。こう話すのは北京・清華大学のLiu Jiangyong教授。「これまで中国政府は領土問題を脇に置き、2国間関係の発展に努力してきたが、その時代は終わった。歴史の新たな局面を迎え、日本の(尖閣)国有化も不可避だった」と分析する。

 胡氏のポストを引き継ぐ習氏にとっては特に、この新たな局面は対応が難しいかもしれない。習氏は、過去の指導者らの影響力が色濃く残った状況においても、権威の確立に努めなければならない。また、胡氏よりも自己主張が強く機敏なリーダーになることへの期待感も高い。

 中国のアナリストや西側の外交官らは、習氏は強硬派ではないとの見方を示す。しかし、尖閣諸島の奪還を目指す活動家らは、習氏はリスクを冒してでも対日政策で前政権より強硬な姿勢を見せなくてはならないと主張する。

 中国民間保釣連合会の代表で活動家のTong Zeng氏は、今年7月に習氏が行った演説を引き合いに出す。習氏は清華大学での演説で、中国は「国家主権と領土保全を断固として主張する立場に基づき、近隣諸国との関係と地域の安全を守っていく」(新華社)と訴えた。

 Tong氏にはその演説が、尖閣諸島などの領土問題で習氏が強硬路線にかじを切るシグナルに映ったという。Tong氏は「習氏が最高指導者になれば、政府はこの問題に対して新たな政策を打ち出すだろう」と期待を込め、「国民は釣魚島を守ることに圧倒的多数で賛成だ。だからこそ、政府はこの問題に注力していくはずだ」と強調した。
 
『 神の目と天の声 先行き不透明な「新聞」よ 』 by 上杉 隆
         上杉隆の東京脱力メールマガジン 
         
 「──と見られる」「──と思われる」

これらは、日本の新聞のみで確認される珍奇な表現の一例だ。

まず主語がない。いったい誰が見るのか、思うのか、わからないところがいっぱいで、そうした意味で読者の好奇心を脱力的に刺激してくれる。

「見られる」「思われる」という受身形の表現からも、「見て」、「思っている」のが記者でないことだけは確かだ。では、いったい誰が……?

深まる謎の中、いつものように私はこう考えた。

ひとりの記者が万人の意見を代表できるわけはないし、ましてや新聞にそのような全知全能の能力があるわけでもない。

そもそも、日本国がそんな大きな仕事を新聞に負託した覚えはないはずだ。では、いったい…。

そう、これは「神の視点」に違いない。思えば、日本の有名な新聞には「天声人語」という神をも恐れぬコラムだってあるではないか。やはり、だからだろうか、日本の新聞はいつもそうした「神の技」によって書かれているのだろう。

〈日本と中国の間で行われている新聞記者交流について、中国側から「同行する人をさくことができないため、延期したい」との連絡が13日、日本新聞協会にあった。尖閣諸島の国有化が影響したと見られる〉(9月14日付け「朝日新聞」)

社会面のベタ記事だが、この記事を読んで最初に思ったのは「朝日新聞は大丈夫か?」ということに尽きる。

なにしろ、日本新聞協会というほとんど身内に対する連絡にも関わらず、その先の追加取材の跡がまったく見られないのだ。

──影響した見られると結んでいるが、なぜその先を取材しないのだろうか。だいたい、いったい誰が見ているのか。

新聞は楽しい。いつだって「先行きは不透明だ」し、こんな短い記事でも「議論を呼びそう」なのだから。

☆日本の新聞についての我が思いを共有する人が自分の周囲でも増えている感じがする。

誰のために自分たちが存在しているのかを考え直さない大手新聞、テレビの最近の購読数や視聴率の漸減傾向は、読者はオタクらが考えるほどバカではないことを示していると思うんですが。
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【「絶望の果ての戦後論 文学から読み解く日本精神のゆくえ」  なぜ 今、「対米従属文学論」なのか】

2024年08月27日 | 乱読は楽しい

前書きなど

 アメリカ一極から多極化へ世界秩序が変わろうとする中、アメリカに従属し、あらゆる価値感情を蒸発させてきた日本人は自立することが出来るのか。

文学を通して戦後私たちが失ってきたものと残されたものを確認し、精神的な自立への足がかりを探る。第一部では太宰治から島田雅彦まで、

戦後の代表的な文学を時系列で振り返り、日本人の精神が堕落していった経過を忖度なく語った「クライテリオンメンバー」による座談会を収録。

第二部では戦後の文学批評を振り返って日本人に残された自然的な精神の在処を探った文芸批評家・浜崎洋介の論考を収録。

目次

文芸誌には絶対に載らない、ド直球の文学論!
太宰治、三島由紀夫、大江健三郎、村上春樹、村上龍、高橋源一郎、島田雅彦……。
あらゆる価値感情を蒸発させてきた戦後日本人の精神史を代表的文学作品、文学批評から読み解く。多極化する世界で、アメリカに甘えてきた日本人は自立できるのか。
日本人の真価を問う

もしも今の日本人が皆、どうしようもない隷属状況に日本が置かれていることを、過不足なく、冷静に認識、把握しているのなら、こんな文学はゴミ箱に捨てればいい」/藤井聡

第一章 「平和」への戸惑い  太宰治「トカトントン」/大岡昇平「生きている俘虜」

なぜ、今、「対米従属文学論」なのか
「トカトントン」と、戦後日本
思想と実生活
文学と社会科学
極限状態から「生きている俘虜」へ
「俘虜収容所」としての戦後日本
戦後的ニヒリズムの乗り越え方
「八月十五日」との対峙


第二章 「戦後的日常」への頽落──「第三の新人」をめぐって  
小島信夫『アメリカン・スクール』/安岡章太郎「ガラスの靴」

「第三の新人」と小島信夫
戦後日本人の三つの類型
「自由」ではない日本人
〈二者関係=閉域空間〉からの脱出
戦後文学と「リアリズムの罠」
アメリカ的自由への憧れと不安
「空白」としての戦後空間
「パブリック」なものの欠如
「べき論」を語らないという欺瞞
「軟文学」を超えて


第三章 「戦後的日常」の拒絶 三島由紀夫『真夏の死』/『憂国』

三島由紀夫を貫く二つのモチーフ
「戦後的日常」と「死」
戦前と戦後をどう繋ぐのか ──八月十五日で「待つ」ということ
三島由紀夫の「リアリズム」
『真夏の死』の「比喩」 ──戦後日本の〈国民/国家〉
再び、八月十五日で「待つ」ということ
「戦後」へのアンチテーゼ 
三島由紀夫の「大義」が向かう先
理想の「夫婦」のかたち
三島由紀夫の〈絵空事=ロマンティシズム〉
三島文学の「世界性」と「普遍性」
三島由紀夫と「保守思想」 ──天皇と国語について
三島由紀夫の大東亜代理戦争 ──つづく「近代の超克」の思想戦


第四章 戦後的ニヒリズムへの「監禁」  大江健三郎「後退的青年研究所」/「セヴンティーン」

大江健三郎のイメージ・ギャップ
アメリカに飼われる日本 ──「後退青年」の憂鬱
「出口なし」における実存的不安
「完全に負ける」ということ ──六〇年安保の意味
天皇と憲法 ──大江健三郎の漂流
敗北の敗北のまた敗北 ──戦後的ニヒリズムの完成
大江健三郎=藤井聡説? ──「中二病」の普遍性
思わず「右翼」のなかに入り込む大江健三郎
大江健三郎の「頭でっかち」なところ
俯瞰と身体の回路の不在 ──どんづまり感
「プライベート」から外に出られないということ
戦後知識人と大江健三郎

第五章 戦後的ニヒリズムの臨界値  開高健『輝ける闇』/村上龍『限りなく透明に近いブルー』

開高健の「転機」 ──ベトナムと『輝ける闇』
ベトナムの分かり難さと、「傍観者」のあやふやさ
「戦後空間」への抵抗のヌルさ ──「大学生」としての開高健?
「生の実感」を求めて ──ベトナムとアウトドア
大東亜代理戦争としてのベトナム戦争 ──戦後日本人の国際感覚の欠如
「小説」のヌルさと「批評」の覚悟 ──無意識と意識とのトレードオフ  
高度成長後の「ブルー」
「戦争小説」としての『限りなく透明に近いブルー』 ──青春の破壊願望
「ポストモダン的虛構」の拒絶 ──村上龍のエネルギー
高度成長後の『悪の華』 ──善/悪が逆転した時代の「戦い方」
一九七二年という転換点 ──「ニヒリズム」の臨界値
「破壊願望」は「保守思想」に接続できるのか ──「成熟」への問い

第六章 高度成長後の風景  村上春樹『風の歌を聴け』/田中康夫『なんとなく、クリスタル』

「透明」に向かう八〇年代文学
村上春樹という「逃げ場所」 ──初恋の「気分」について
村上春樹と「伝達」の問題 ──都市生活者の自意識について
「破壊願望」からの解放 ──〈諦め〉の受け入れ方
「葛藤」を回避する文学 ──「近代」が終わった後の世界
「相対主義」とは違う「無常」 ──ポストモダン的「冷笑」ではなく
「一人」であることの自覚 ──村上春樹の「一匹と九十九匹」
「ニヒリズム」との付き合い方 ──「無常」を表現するという「希望」
『なんとなく、クリスタル』は文学なのか? ──全否定に次ぐ全否定
「従属」ではなく「所属」 ──八〇年代の日米関係
消費する若者たち ──「なんとなく、ネオリベ」の世代
小説の終わりと、ポスト・モダン批評 ──高橋源一郎のヒドさ
『俘虜記』から『なんとなく、クリスタル』へ ──戦後三十年の断絶

第七章 「国土の荒廃」を読む  石牟礼道子『苦海浄土─わが水俣病』/富岡多恵子『波うつ土地』

戦後日本における「母の崩壊」というモチーフ
近代資本主義という名の「受苦」 ──「鎮魂」としての文学
「業」としての文学 ──「水俣」を記憶する言葉
「魂」の実在を記録するということ ──「死者の民主主義」について
共同体の分裂と国家への情念 ──加害/被害を超えたものの手応え
「民衆の生き方」 ──資本主義化=世俗化する世界への抵抗
「文学」の使命 ──「国民的受苦」を引き受けること
「現代の男ども」に対する女の「復讐」
「女」に気が遣えない「日本の男」
八〇年代消費文化とニュータウンの風景
波うつ「大地」を安定させること、治めること ──築土工木の思想
「土建屋の男」が象徴するもの ──ナショナリズムの回路


第八章 「ポスト・モダン」の頽落を超えて  高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』/島田雅彦『優しいサヨクのための喜遊曲』

「近代文学の終わり」と「ポストモダニズム」
『さようなら、ギャングたち』が書かれた時代
「政治と文学」という主題の終わり
これは「追い詰められた結果」なのか、単なる「言葉遊び」なのか
「テクスト」だけで立っていない『さようなら、ギャングたち』
幼児退行する文学 ──「政治」という「地」を失った文学
ポストモダンの「左旋回」 ──「虛構」に逃げ込んでいく「サヨク」
凡庸すぎて、付き合っていられない「青春日記」
八〇年代サヨクの「虛構性」 ──生活と何の関係もない運動
「ポストモダン」か「オウム」か、という二者択一のグロテスク
「子宮回帰願望」から「オタク」へ ──「反出生主義」のメンタリティ
果たして「文学」は再生するのか? ──「ポスト・モダン」を超えて
「自由」な文学論に向けて

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村上春樹が世に出た小説『風の歌を聴け』を今頃初めて読んだ。  何だ、このちゃらちゃらした文章はと思ったが・・しかし最後まで読んでしまった。

2024年07月08日 | 乱読は楽しい

村上春樹のエッセイは週刊朝日に連載当時 毎週面白く読んでいた。

しかし小説は「ノルウェイの森」を 当時同じ職場の吉田さんに勧められて借りて読んでも 最後まで面白いと思わず返却した。

 それ以来 彼の社会に対するいろんな発言は逃さずキャッチしてきたが小説には手がでなかった。

村上春樹という小説家が 高校を卒業するまで暮らした空間は「西宮・芦屋・東神戸のいわゆる❝阪神間❞」で

自分が高校、大学時代を暮らした空間であることは知っていた。

その村上春樹が世に出た作品が「風の歌を聴け」で、小説の場がその❝阪神間❞であることを知って どんな本か急に興味が出て図書館から借り出して読み始めた。

 

 最初の数ページでああこらあかんヮと感じた。著者は日本の文学書ではなく 若い時から英米の小説をずっと沢山読んできた人だと思った。

そのせいか、翻訳本の匂いのする自分にはなじめない文体の本だった。表現に洒落た比喩や例えが多すぎて すぐには内容に入っていけない。

 しかし文章は読んだことのない気持ちのいいテンポですすみそのまま読み進めた。

特に自分も高校生時代によく聞いた日本で最初の「ラジオ神戸の電リク」らしきものが 出てきて小説の骨の一つに使われてるのも面白く思った。

 村上春樹が過ごした阪神間での月日とは7年の違いもあるが、同じ阪神間で過ごしても 彼の五感が感じて作った世界と自分のそれは当然ながら

全く違っていてまるで重なることはない。(彼が通った芦屋市立の中学や 兵庫県立高校は自分も暮らした阪神間にあった) 

 80歳を過ぎている自分にはまことに不思議な内容の1997年7月発行の本だったが、村上春樹が処女作に(自分の1970年の夏を描いた世界)にいつのまにか

じわっと入り込んいた。次はどう展開するかが読めないし予定調和はないのがいい。彼の本をもう一冊図書館で借りて読んでみようという気になって読み終えた。

 

群像新人文学賞受賞 サイトから引用:

  1970年夏、あの日の風は、ものうく、ほろ苦く通りすぎていった。僕たちの夢は、もう戻りはしない──。

青春の生のかけらを、乾いた都会的な感覚で捉えた、新鋭、爽やかなデビュー!

──吉行淳之介の評価

この新人の作品は、近来の収穫である。これまでわが国の若者の文学では、「20歳(とか、17歳)の周囲」というような作品がたびたび書かれてきたが、

そのようなものとして読んでみれば、出色である。乾いた軽快な感じの底に、内面に向ける眼があり

主人公はそういう眼をすぐに外にむけてノンシャランな態度を取ってみせる。

そこのところを厭味にならずに伝えているのは、したたかな芸である。しかし、ただ芸だけではなく、そこには作者の芯のある人間性も加わってきているようにおもえる。

そこを私は評価する。

◎印南 敦史さんの読後感 こちら

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【ラジオ深夜放送の時代(1)】ラジオ関西『電話リクエスト』編①

◎電話でリクエスト?若い人は「何のこと?」とお思いでしょうが、インターネットも携帯電話もなかった時代、ラジオが若者たちの情報伝達手段でした。

メールなどという便利なモノがなかった時代、オッチャンたちは(オバチャンたちも)、心に秘めた淡い思いを、『電リク』のメッセージに託したものです。

 日本で最初の『電話リクエスト(通称・電リク)』は、ラジオ神戸(現ラジオ関西)が開局した昭和27年のクリスマス・イヴに、オン・エアーされました。

初代のディスクジョッキーは小山美智子さん。2005年発行の「天満人」第4号で、小山美智子さんに当時のお話を伺いました。

小山さんは、大正9年のお生まれで、ラジオ神戸の第一期アナウンサーでした。

 日本で最初の『電話リクエスト』

小山美智子 ラジオ神戸は、開局の年(昭和27年)に、民放ではじめて『プロ野球中継』を放送しています。旺文社の『大学受験講座』もスタートさせました。

他に『クラシック登龍門』やラジオドラマの『少年ターザンは行く』など、人気番組が次々と誕生しました。

そして、クリスマス・イヴには、ラジオ神戸を代表する看板番組の『電話リクエスト』がはじまったんです。

『電話リクエスト』(通称・電リク)は、ラジオ神戸が日本で最初にはじめたのよ。

 

電話リクエストは、当時のアメリカで人気のあった番組でした。それをラジオ神戸でもやろうと提言なさったのは高橋太一郎とおっしゃる方でした。

高橋さんは犬を連れて役員室の中を歩くような、とてもユニークな方でしたが、アメリカ帰りだったんです。その高橋さんの提言に役員が賛同したわけね。

その後、末広光夫さんが加わって番組がはじまることになりました。末広さんはジャズ評論家の油井正一さんに師事をして、ジャズ、ポピュラーには詳しかったんです。

初代のディスクジョッキーは私がやることになりました。

 電話リクエストの第一回放送は、昭和27年(1952)の12月24日。「クリスマス・テレホンリクエスト」のタイトルで、

深夜の午前1時から5時までの4時間放送することが決まりました。

アメリカで人気があるとは言っても、日本では始めての試みで、しかも深夜のの放送でしたから、番組がスタートしてもリクエストの電話がかかってくるかどうか、

とても心配でした。電話がなかった時のことを考えて、レコードを5、6枚用意して、オンエアーの瞬間を迎えました。

 日本で最初の『電リク』の記念すべき第一曲目は、

 ロイ・エルドリッチの『スターダスト』でした。

番組がはじまれば、心配どころやなかったですね。電話は鳴りっ放しで、リクエスト曲を整理するのに、局中がてんてこ舞いになりました。

結局、深夜の生放送であるにもかかわらず、リクエストは2000通を超えたんです。番組は大成功でした。

ラストナンバーに、レス・バクスター楽団の『恋人よさようなら』が流れて、日本初の『電話リクエスト』は無事に終了しました。

第1回目の放送で流れた1曲目の『スターダスト』と、ラストの『恋人よさようなら』は、結局、その後の『電リク』のオープニングとエンディングのテーマ曲になりました。

『恋人よさようなら』で番組が終り、すがすがしい気分で帰途についた時に、早朝のパン屋さんの店先に香っていたパンを焼く匂いが、今でも忘れられません。

クリスマス・イヴの放送が大成功したので、一週間後の大晦日の深夜に第2回の「テレホンリクエスト」をやることが決まりました。

年が明けると『電リク』は毎週土曜日の深夜番組としてレギュラー化することになりました。一躍、“電リクのラジオ神戸”と言われるほどの看板番組になっちゃったんです。

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【冒頭30分】浜崎洋介×與那覇潤「日本人にとって村上春樹とは何か」

 

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三笠宮崇仁編「日本のあけぼの」と藤井非三四著「太平洋戦争に学ぶ 日本人の戦い方」

2024年06月24日 | 乱読は楽しい

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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年04月16日(月)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年05月17日 | 乱読は楽しい
2012年04月16日(月)
 
東日本の漁業の現況報道
 
「稼ぎ頭」次々出荷停止 放射線基準値 漁業にジワリ 関係者からは焦りといらだち
2012.4.15 21:42 MSN産経ニュース
 
食品中の放射性物質の新基準値施行から半月。数値の厳格化により出荷停止となる品目が相次ぐ中、その影響は海産物にも及んでいる。政府は12日の仙台湾のスズキに続いて、13日には茨城沖のシロメバルも出荷停止を指示した。海産物の出荷停止は昨年4月の福島県のコウナゴ(イカナゴの稚魚)以来1年ぶりで、漁業関係者からは焦りといらだちが聞こえてくる。

 「スズキは仙台湾沖の定置網漁で、4月から夏にかけての稼ぎ頭。これがまったくダメとなると、漁業関係者の受けるダメージは大きい」。宮城県漁協の担当者は出荷停止をこう嘆く。

全文はこちら
2012年4月16日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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仙谷・枝野ラインは考えを言葉にする
 
仙谷氏 大飯原発巡る判断に理解を
4月15日 19時12分 NHKニュース

 民主党の仙谷政策調査会長代行は、徳島市での会合で挨拶し、野田政権が、関西電力大飯原子力発電所の安全性を最終的に確認し、運転再開の必要性があると判断したことについて、「脱原発依存が実現するまで、真っ暗な中で生活する訳にはいかない」と述べ、理解を求めました。

この中で、仙谷政策調査会長代行は「私や枝野経済産業大臣は、脱原発依存をどのような期間にどう実現するか、理念や理想は持っている。脱原発依存は、国民とよく議論し、専門家の意見を聞きながら、普遍性を持った立場から実行していく」と述べました。

そのうえで、仙谷氏は「脱原発依存が実現するまで、われわれが真っ暗な中で生活するわけにはいかない。理念や理想の社会はそんなに簡単にできるものではない」と述べ、野田政権が、大飯原子力発電所の安全性を最終的に確認し、運転再開の必要性があると判断したことについて、理解を求めました。

☆少なくともこういう発言を報道するメディアがあるのはありがたい。枝野経産相の発言と行動を見ていると、何となくそうなんだろうなぁと思えるが実効を伴って欲しい。
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現在の日本の新聞テレビは「合意をでっちあげている」
 
2012年04月08日(日)
大メディア「合意のでっちあげ」に騙されるな

一部引用・・

菅首相が打ち出した消費増税路線が、参院選の大敗北で国民に否定されたにもかかわらず、野田首相は「政治生命を賭ける」という思いつめようで、勝栄二郎財務省のみごとな手綱さばきに走らされている。

在任中の短期業績だけにしか興味のない経済界のトップ、そこから資金を得ているシンクタンクのテレビ御用達研究員らが大応援団を編成、財務省記者クラブでのレクによって洗脳されたマスコミが盲信してつくり上げようとしているのが「社会保障と税の一体改革」という共同幻想である。

国の借金と家計の借金を、同じ次元で考えるよう読者、視聴者を誘導し危機感をあおるというのは、ノーム・チョムスキーの言う「合意のでっちあげ」である。そもそも、家計には、紙幣を印刷できる中央銀行は存在しない。

そうやって財務省の機嫌をとり、消費増税の例外ワクに新聞を入れてもらおうなどと姑息なことを考え、記者クラブ利権につかりながら、年収2000万円もの記者をかかえる大新聞が、公務員の給料を云々するのもいささか偽善めいているといえないか。

それよりも、小沢一郎が主張しているように、税金の恩恵に人一倍浴してきた団体や個人の既得権構造を解体し、予算をごっそり組み替えていくのが肝心だろう。

「社会の木鐸」であろうとするなら、まず新聞自らが、再販制という価格カルテルや電波利権を破壊するべきではないか。

もっとも「社会の木鐸」なる言葉も、メディアやそれに毒された専門家の欺瞞性を多くの人が知ってしまった今となっては、もはや死語であるに違いない。

全文はこちら
 
2012年4月16日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
今日の気になるネット情報 / 日本社会の仕組み改良 |
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出産後のうつ病が東日本沿岸部で増加している
 
震災1年、沿岸部の産後うつ深刻 東北大病院・菅原教授調査
2012年04月15日日曜日 河北新報

 東日本大震災前後に宮城県沿岸部で出産した母親のうち、2割以上に産後うつの疑いがあることが、東北大病院産科長の菅原準一教授の調査で分かった。震災から1年余りが経過した今も、大きなストレスや不安を抱えながら子育てする母親が多いとみられる。菅原教授は「復興を担う若い世代が危険な状態にある」と指摘している。

 調査は宮城県内の津波被害を受けた沿岸市町村に住み、昨年2~10月に出産した女性に調査票を配布し、683人から3月までに回答を得た。

 調査結果によると、「津波から逃げた」「家が被害を受けた」など、何らかの津波被害に遭った人が全体の28%に上った。指定避難場所や実家などに避難した女性は68%を占めた。

 産後うつの疑いを30点満点で得点化する「エジンバラ産後うつ病質問票(EPDS)」の回答では、うつの疑いがある9点以上は21.5%に達し、通常の調査の10~15パーセント程度を大きく上回った。

うつは通常、産後2~3カ月が発症のピークといわれ、今回の対象者は産後半年ほどが経過したにもかかわらず、深刻な状態で推移している。

 9点以上の女性と被災体験との相関関係を分析したところ、津波被災があった人は28.7%で、無かった人の18.1%を10ポイント余り上回った。

 東北大は今月、先端医療による被災地支援などを狙う東北メディカル・メガバンク機構を開設した。機構の地域医療支援部門を担当する菅原教授は「母親たちが抱える悩みに耳を傾ける必要がある。うつの疑いのある妊産婦に臨床心理士や保健師と面談してもらい、改善したい」と話している。

 研究成果は15日に神戸市で開かれる日本産科婦人科学会で発表される。
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たとえ権謀術策が理由でも、危うい設備を止めてくれればそれでいい
 
維新の会 衆院選で民主と対決方針
4月15日 5時3分 NHKニュース

 大阪市の橋下市長が率いる大阪維新の会は、14日開いた幹部会合で、関西電力大飯原子力発電所について、運転再開の必要性があると判断した野田政権とは相いれないとして、民主党との対決姿勢を鮮明にして次の衆議院選挙に臨む方針を確認しました。

野田政権が、関西電力大飯原子力発電所の安全性を最終的に確認して運転再開の必要性があると判断したことについて、13日、大阪市の橋下市長は記者団に対し、「こんな再稼働を許してはいけない。ストップをかけるなら、国民が民主党政権を倒すしかない。次の衆議院選挙で民主党政権に代わってもらう」と述べました。

代表を務める橋下市長の発言を受けて、大阪維新の会は、14日、幹事長の松井大阪府知事や政務調査会長の浅田大阪府議会議長ら幹部が集まり、今後の方針を協議しました。

この中で、出席者からは「原発の運転再開に踏み切ろうとする野田政権の対応は拙速で、大きな問題がある」として、橋下市長の発言を支持する意見が相次ぎました。

そして、原発の運転再開を巡る野田政権の対応は大阪維新の会の考え方と相いれず、この問題を衆議院選挙の主要な争点にすべきだとして、民主党との対決姿勢を鮮明にして次の衆議院選挙に臨む方針を確認しました。

☆橋下徹の面魂を見るだけで安倍、福田、麻生のお坊ちゃま三政治家と違うなぁと感じる。政治家は手練手管、権謀術数を次々繰り出して、自分が描く政策や国家を実現していい。

しかし、この人は中央官僚団から見ると体制改革を図る実に危険な人物である。

これからも大本営報道部本社東京大手メディアは、官僚団の意を受けて、橋下市長に警戒のバイアスをかけてその線で報道していくのだろう。それがいつまで持つことやら??
2012年4月16日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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福井県庁前に再稼動反対の人が集まる
 
「国民の声聞く気ないのか」 福井県庁前 
2012年4月15日 02時35分 中日新聞

福井県庁前で大飯原発3、4号機再稼働に反対する人たち=14日午後

 枝野幸男経済産業相が福井県庁で西川一誠知事らに対し、関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働方針を正式に伝えた14日、反原発団体は県庁前で抗議活動を繰り広げた。

        ◇

 福井県庁南側のお堀の外には、県内や関西方面から反原発団体や市民ら約300人が「えだNO(ノー)」と書いた横断幕などを掲げ詰め掛けた。それを避けるように枝野経産相が県庁北側から入庁したことに「国民の声を聞く気はないのか」と怒りが噴出した。

 その後、お堀の中の県庁前広場までの入場は認められたが、「原発反対」などと叫び続ける参加者らに退去命令が出た。県職員が退去を勧告するプラカードを掲げた瞬間、反原発の運動家らが玄関になだれ込んだ。「10分間でも構わない。自分たちの意思を伝えたい」と詰め寄り、警察官らともみ合った。

 福井県に隣接する岐阜県の市民団体も、福井県庁前で再稼働反対を訴えた。

 3月に福井県美浜町の美浜原発近くから風船を飛ばす風向調査をした「さよなら原発・ぎふ」の代表石井伸弘さん(39)=岐阜県北方町=は「岐阜は福井の原発群から近く、いてもたってもいられなかった」。回収された100個近い風船のうち8割以上は岐阜県内で見つかった。「大飯の再稼働は、岐阜県境から30キロ圏内の美浜や敦賀原発の再稼働にもつながり、人ごとではない」と話した。

 「放射能のゴミはいらない!市民ネット・岐阜」代表の兼松秀代さん(64)=岐阜市=も「岐阜は事故が起きれば被害を受ける地元。しっかりと声を上げなければ」と訴えた。
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5年間自宅に戻るなと言う指定を受ける佐山梅雄さんとヒサさん
 
夢砕く再編に憤り 帰還困難区域の佐山さん
(2012年4月15日 福島民友ニュース)

 16日に実施される南相馬市の避難区域再編で、同市小高区金谷の会社員佐山梅雄さん(54)方は、5年間帰還が認められない「帰還困難区域」となる。母ヒサさん(77)と共に同市鹿島区の仮設住宅で、自宅に帰る日を夢見てきた佐山さん。

再び長期間の避難生活を強いられることになるが、政府からは帰還の時期や、賠償を含めた生活の維持、再建に向けた支援策も示されず、5年後の帰還は見通せない。

佐山さんは、生まれ育った故郷への思いを胸にしまい込み、不安を隠せないまま16日の区域再編を迎える。

 「少しずつ家を片付けながら、大好きな草花を育てるつもりでした」。佐山さんにとって「帰宅に向けた吉兆」のはずだった避難区域再編は、自宅に5年以上戻れないと通告する悲報となった。

「(帰還困難区域への指定は)想像もできなかった。除染もせずに『線量が高いから戻れません』では納得できない」。あまりにつらい現実に、佐山さんは政府、東京電力への憤りを隠せない。
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岩手県山田町で5社が集まり新水産会社設立
 
被災5社が結集し新会社 山田の水産加工業
(2012/04/15) 岩手日報
   東日本大震災で被災した山田町の水産加工会社川石水産(川石睦社長)など、同町内5事業者の代表者5人は、同町豊間根に加工販売「五篤丸(ごとくまる)水産」(資本金250万円、川石社長)を立ち上げた。

各社の顧客管理を一本化して同町内の直売所やネット上で5事業者の商品を販売するほか、新商品開発にも取り組む。震災前は競合していた町内企業が、被災を機に結集し、山田の魅力を県内外に発信する。

 社名の五篤丸には、「火鉢の五徳のように山田を支えていくという思いと5人の新たな船出」との意味を込めた。

 発起人は川石社長(48)と、木村商店の木村トシ社長(67)、佐野魚店の佐野隆行さん(33)、尾半(びはん)加工センターの間瀬慶蔵さん(34)、おみなやの升屋聡代表(37)で、店舗が津波で被災するなどした町内事業者だ。

 新会社の主な事業は、木村商店のいか徳利や川石水産のホタテグラタンなど各社商品のネット販売や直売所の販売、全国でのイベント販売で、本年度の売り上げ目標は6千万円。

 間瀬さんは「各社それぞれに良いところがある。つながりを大事にしてがんばりたい」と意気込み、川石社長は「1人よりも5人の知恵だ。自分たちの頑張りが、山田のPRにもつながる」と力を込める。
2012年4月16日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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電力不足は供給側からの見方
 
菅前首相 政府の議論 不十分 「電力不足は供給側視点」 2012年4月15日 東京新聞

 関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働をめぐり、菅直人前首相(65)が本紙との単独会見に応じた。「電力が足りないと言っている供給側の視点に偏り、議論が不十分だ」とし、早期の再稼働を目指す野田佳彦政権の姿勢に懸念を表明した。夏場の電力需給に関し「消費者や企業が需要をコントロールしたり、自家発電を促したりして工夫すれば何とかなると思う」と述べ、原発の運転ゼロでも乗り切れるとの認識を示した。 

 前首相は原発の再稼働を「本来は将来のエネルギー政策をどうするのかといった大きな方向性の中で考えていくべき問題だ」と指摘。政府の対応は「再稼働自体が目的というか、短期的で、部分的な議論をしている」とし、民間の節電経験を生かす形で「需要側への働き掛けをもっと行うべきだ」と求めた。

 再稼働をめぐる手続きが、東京電力福島第一原発事故前と同じ経済産業省原子力安全・保安院の下で行われている点も問題視。

 大飯の安全評価(ストレステスト)をめぐっては、原子力安全委員会の班目春樹委員長が「一次評価だけでは不十分」と発言しており、前首相は「安全委が安全だと認めたのか微妙」とした。

 在任時に打ち出した脱原発方針については「中長期のエネルギー政策をどうするかという議論が具体的に進んでいない」と述べた。
2012年4月16日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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スタジオジブリの社内誌「熱風」の連載記事の単行本「時代の反逆者たちー青木理」は脳内をかき混ぜる本だった。

2024年05月09日 | 乱読は楽しい

第4章 「国谷裕子」さん から一部引用

解説   引用元

いまと対峙するプロフェッショナル。まつろわぬ、その矜持に訊く。戦争、歴史、マイノリティ、芸能、文学、ジャーナリズム…最前線で闘う9人の肉声。

目次

第1章 李琴峰―負の歴史を記録するということ
第2章 中島岳志―「永遠の微調整」としての保守をよみがえらせる
第3章 松尾貴史―批評性のある面白おかしい芸能へ
第4章 国谷裕子―権力に対峙するジャーナリズム
第5章 指宿昭一―ウィシュマさんを殺害した国家の欺瞞
第6章 奈倉有里―世界には決定的に文学が不足している
第7章 斎藤幸平―資本主義でない世界を徹底して考える
第8章 栗原俊雄―戦後補償問題を報道=運動する
第9章 金英丸―日韓関係において真の謝罪とは何か

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『気候崩壊後の人類大移動』ガイア・ヴィンス(河出書房新社刊、小坂恵理:訳)――環境難民の世紀を生き延びる知恵(上) リベラル21

2024年04月07日 | 乱読は楽しい

リベラル21  世界のノンフィクション秀作を読む(61)

横田 喬 (作家)

イギリスの著名な女性サイエンス・ライターの筆者は、近年の地球温暖化による顕著な環境変化に注目。今後30年で環境難民が10億人に及ぶという驚くべき予測を紹介する。
彼女は前代未聞の危機の内実を詳らかにし、対処すべき共生プログラムを示してくれる。

 大変動が間近に迫り、それは地球環境に変化を引き起こすだろう。グローバル・サウス(アジアやアフリカ、中南米などの新興国・途上国)は激しい気候変動に見舞われ、
広い地域が居住不可能になり、大勢の人が住み慣れた場所から追いやられるだろう。今後五〇年間で気温も湿度も上昇し続ければ、もはや地球の広大な地域が、
およそ三五億の人類にとって住めない場所になる。熱帯や沿岸から脱出し、かつての耕作地を手放し、大勢の人たちが新たに生活の拠点を探さなければならない。

 今や三〇年前と比べ、世界各地で気温が五〇℃を超える日は二倍に増えた。五〇℃と言えば、人間にとって致命的な暑さで、建物や道路や発電所にも深刻な問題が引き起こされる。
極地は氷が急速に溶け始め、シベリアの一部は既に三〇℃の暑さを数か月連続で経験。
 バングラデシュでは、海抜が低い上に地盤沈下が著しい沿岸地域を始め、国全体が居住不可能になる恐れがある。今後数十年間は、富裕国も気候変動の影響を逃れられない。
 2020年に凄まじい森林火災に襲われたオーストラリアは気温の上昇と旱魃による被害が深刻化するだろう。アメリカの一部も状況は同じで、
マイアミやニューオーリンズなどの都市を何百万もの市民が脱出し、オレゴンやモンタナなど気温が低くて安全な州に逃れて来るだろう。
そうなると、新しい住民に住む場所を提供できる都市を建設する必要がある。

 インドだけでも、十億近くの国民が危険に晒される。中国では五億人が国内での移住を迫られ、ラテンアメリカやアフリカでは何百万人もが大陸を横断して移動しなければならない。
人々は住み慣れた場所からの脱出を始めるだろう。否、既に移動は始まっている。
 イギリスではウェールズの首都カーディフで二〇五〇年までには全体の三分の二が水没すると予測される。追い詰められた大勢の人々がいきなり脱出を始めるかも知れない。
国連の国際移住機関の予測では、今後三〇年間だけでも一五億人の環境難民が発生。今世紀半ば以降は人数が急激に増えると考えられ、その数は紛争や戦争でのそれの十倍に及ぶ。
 今回の問題は、人間社会がこれまで直面した問題の中で最も複雑で、解決が難しい。豊かな世界で既得権益を享受する人々の行動によって問題解決は遠のく。
温室効果ガスの排出量は相変わらず増え続け、気温は上昇し、氷の融解は進み、気候変動は悪化する一方だと科学者は予測する。
数十年以内には、世界は紛争が多発して大混乱に陥るリスクもある。
多くの人命が失われ、ひょっとしたら私達の文明も失われるかも知れない。

 ◇世界を一変させる四つの問題と故郷からの離散 
 火事、猛暑、旱魃、洪水の四つは、今世紀に私たちの世界を一変させるだろう。二〇二〇年、オーストラリアは異常な乾燥と熱波による大規模な森林火災で
全人口の八〇%以上が被災し、三四人が死亡。六〇〇〇棟の建物が崩壊し、煙による汚染で四〇〇人が早過ぎる死を迎えた。木の上で立ち往生したコアラは、
炎に包まれて絶叫しながら命を落とした。
 
 この山火事は、世界の傾向を反映している。南北アメリカ・ヨーロッパ・アジアと、山火事はあちこちで深刻化している。森林は元々湿気が多いが、
気候変動によって高温で乾燥した状況が発生したため、落雷で発火し易くなった。カリフォルニア州は二〇二〇年に過去最悪の山火事を経験し、
約一六八万ヘクタールが焼き尽くされ、一〇万人が避難した。
 旱魃に見舞われたアマゾンでは二〇一九年、山火事で大量の煙が発生。数千キロ離れた沿岸都市サンパウロでも空が真っ黒に覆われた。
ヨーロッパでは、山火事が発生した複数の国で住民が避難を迫られ、ギリシャやポルトガルなど南欧諸国は記録的に深刻な被害に遭った。
もはや火事の脅威から安全な場所はなく、湿地帯でも猛威を揮う。

 火事と同類の猛暑はそう目立たないが、命取りになる。三〇年前と比べ、気温が五〇℃を超える日が二倍に増えた。
猛暑に高い湿度が加わった時の「湿球温度」が三五℃を超えると「生存の閾値」を上回り、健康な人でも熱中症で六時間以内に命を落としかねない
 
二〇〇三年にヨーロッパが熱波に襲われた時は、湿球温度が二八℃で七万人が命を落とした。激しい熱波の発生件数は一〇年毎に増え、数十憶人がその影響を受けると考えられる
 深刻なアーバン・ヒート(人工的な排熱などが原因の都市特有の熱)の発生件数は一九八〇年代の三倍に増え、世界人口の五分の一がその影響下にある。
気温が一・五℃上昇すると、世界の四四カ所のメガシティの四〇%以上が危険な猛暑を毎年経験するようになる。
モデル試算によれば気温が四℃上昇すると、世界が猛烈な熱波に襲われる日は今日の三〇倍以上に増え、アフリカでは少なくとも百倍に増加する。

 気温がここまで上昇すれば、必然的に世界中で死者が増加する。熱波に関連した超過死亡は、アメリカで五〇〇%、コロンビアでは二〇〇〇%も増えると予測される。
将来の猛烈な熱波から最大の危険に晒されるのは、ガンジス川とインダス川流域の人口密集地域。ここには世界人口の約五分の一が暮らしていて、
インド北東部とバングラデシュでは湿球温度が生存の閾値を超える可能性がある。一方、中国では、最も人口が多い地域(華北平原と東海岸)で、殺人的な熱波と危険な湿球温度が予想される。
アラブ首長国連邦などの国は、食料の九〇%を輸入している。現在、世界の食料の半分は、肉体労働に頼る小規模農家によって生産されている。世界の温暖化が進めば、
外で肉体労働に従事できない日が増え、生産性が低下して食料安全保障が脅かされる。

 温暖化が進むと、陸地への降水量は減少する。今は南アジアや南米を中心に、何億もの人々が山岳氷河に依存しながら暮らしている。この貴重な水源が消滅すれば
穀倉地帯が丸ごと失われるリスクが発生する。南アジアでは約一億三千万人が、生活に必要な水を上流からの雪解け水に大きく依存している。今後、水の供給が頭打ちになり、
氷河が消滅すれば、供給量は一気に減少する。
 
 旱魃は、最も多くの人々に影響を及ぼす。つい二〇年前、ボリビア高地には農村が栄えていた。ここで生産された玉蜀黍、ジャガイモ、アボカド、フルーツは、首都ラバスの市場で販売された。が、二〇一〇年までに、気候変動が村全体を荒廃させた。長引く深刻な旱魃によって作物は枯れ、家畜は命を奪われ、遂には村が死に絶えた。
私がここを訪れた時には、九人の高齢者が残っているだけで、掘っ立て小屋で生き長らえていた。風雨に晒された顔をした七五歳のR・メンデスは、コカの葉を噛みながら身の上話をしてくれた。
 ――雨季なのに、数日ごとに全部で二〇分しか雨が降らない。最初は牛が、次に驢馬が死んだ。山羊が一番頑丈だ。

 七人の子供たちは村を次々と離れ、残っていた一人も三年前、家族を連れて出て行った。彼らは町や都市に向かう。コロンビアから中米まで目指して移動を続けるが、
独特のショールに包んだ所持品を肩に背負い、何週間も続く野宿で疲れ切っている。発展途上国での農村から都会への移住が南米大陸で最も多いのも、ちっとも意外ではない。
自作農は、一度でも凶作に見舞われると、耐え難い空腹に苦しむ恐れがあり、今や米から小麦まで殆どの主要作物の生産量が減少しているのだ。

 植物が成長するためには水が必要だ。温暖化が進むと、水が土壌や葉っぱから蒸発するスピードが加速する。しかも雨は定期的にも大量にも降らなくなる。
こうしてヒート・ストレスを受けた植物(そして動物)は、以前より沢山の水を必要とする。温暖化が進むにつれ、農業の継続は困難になり、多くの場所で不可能に。
結果、関係者は移住を迫られる。

 植物の細胞や組織や酵素は約三九℃で破壊され、植物全体が死滅することも多い。気温が三〇℃を超える日を一日経験する毎に、玉蜀黍の収穫量は一%減少し、旱魃になると二%に近づく。
つまり熱波が三週間続くと、収穫量の四分の一が減少する可能性がある。

 アメリカは玉蜀黍の収穫量の半分を失い、現在のコーンベルトの大半も影響を受ける。旱魃を計算に入れると、損失量は八〇%以上にまで跳ね上がる。
これは単に国内の大惨事として片付けられない。アメリカを筆頭とする四カ国からの玉蜀黍の輸出は、世界全体の九〇%近くに達する。地球の気温上昇は、
玉蜀黍の輸出減少、食料危機の脅威に繋がる。

 地球の気温上昇が一・五℃に抑えられたとしても、何億もの人々が影響を受ける。海面の上昇に晒される陸地に少なくとも五千万人が暮らしている国は多い。
中国、インドネシア、日本、フィリピン、アメリカなどが含まれる。もし地球の温度が二℃上昇すれば、少なくとも一三六のメガシティが影響を受け、
 
今世紀中には何億人もが移住を迫られるだろう。ある科学者のチームはこう記した。
 
「今世紀後半、海面の上昇に適応するための時間は極めて限られる。青銅器時代の幕開け以来、人類はこれ程の規模の海面上昇は未経験だ」。
 
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東日本大震災が起こった翌年の [ 2012年03月06日(火)の阿智胡地亭の非日乗ブログ ] から

2024年04月06日 | 乱読は楽しい
2012年03月06日(火)
 
福島原発事故の死者は一人もいないと言う論者たちは現実を見るべきだ
 
福島 避難区域で餓死の疑い
3月5日 18時8分  NHKニュース

 東京電力福島第一原子力発電所の事故で設定された福島県の避難区域内で、自宅などに取り残されて餓死した疑いの強い人が少なくとも5人いることがNHKの取材で分かりました。
警察や遺体の状況を調べた医師は、自力での避難や助けを求めることができず、取り残された可能性があると指摘しています。

やせ細った状態で

東日本大震災で、福島県内では津波による「溺死」やがれきに巻き込まれて1605人が亡くなっています。
NHKが、福島県内の自治体や警察などに取材したところ、こうした人たち以外にも、原発周辺の避難区域内の自宅やその周辺で、自力では逃げることができず、食事や水をとれないまま餓死した疑いの強い人が少なくとも5人いることが分かりました。

このうち原発からおよそ5キロの住宅では、去年3月下旬、70代の男性が2階部分で遺体で見つかりました。
関係者によりますと、住宅は1階が津波の被害を受けていたということです。

また、原発からおよそ6キロ離れた住宅でも、4月に60代の女性が部屋のこたつの中で遺体で見つかりました。
女性は1人暮らしで、住宅に大きな被害はなかったものの、足に持病を抱えていたということです。5人の遺体は、いずれもやせ細った状態だったということです。

当時、この区域では、政府が出した避難指示を受けて、大勢の住民の避難誘導が行われていましたが、警察や遺体の状況を調べた医師は、5人は自力で避難できなかったり助けを求めることができなかったりして取り残された可能性があると指摘しています。

また、津波の現場で見つかった遺体を調べた複数の医師は、NHKの取材に対し、目立った不審な点がなければ、詳しい死因を調べる解剖などを行わず、「溺死」としたと説明しています。

そのうえで医師らは、「溺死」とされた人の中にも、津波のあと、しばらくは生存し、その後、衰弱するなどして別の死因で亡くなった人も含まれている可能性があると指摘しています。

医師“餓死の疑い強い”

福島県相馬市の標葉隆三郎医師は、震災発生後、避難区域で見つかった遺体について餓死の疑いが強いと判断しました。
標葉医師は、遺体はひどくやせ細り、ほとんど食べ物を食べず、水も飲んでいないことがうかがえ、震災後、しばらく生存したうえで衰弱していったとみています。

今回の事態について、標葉医師は「避難区域で取り残されて、亡くなっていったと考えられる。こうした方々の死を決して忘れてはいけない。連絡手段がないなかで避難していない人を、行政がどのようにケアしていくのかについて、今後、対策を考える必要がある」と話しています。

震災発生後に、福島県内の津波被害の現場で見つかった遺体の死因を調べた日本法医学会に所属する千葉大学大学院の岩瀬博太郎教授は、「正確に死因が究明できているかというと、当然、問題は残っている。災害時、遺体を調べる際にどのような検査をするのかや、どのような状態だったら解剖まですべきなのかということを含めて、法医学会として今後、死因の究明の在り方を検討していきたい」と話しています

消防団員“救える命があった”

震災直後に避難区域で救助活動に当たっていた複数の消防団員は、避難指示が出て救助活動が中断されるまでの間に助けを求める声を聞いたと証言しています。

このうち津波で125人が死亡した福島県浪江町の請戸地区で救助活動に当たっていた浪江町消防団員の高野仁久さんは、震災当日の夜、がれきの中から助けを求める声や、物をたたいて居場所を知らせようとする音を聞いていたということです。

高野さんは、応援を求めにいったん役場の詰め所に戻りますが、機材も人員も足りず、大津波警報が引き続き出されていたため、町の判断で救助活動は翌朝に持ち越されたということです。

しかし、翌日の朝、原発から10キロ圏内に避難指示が出されたため、救助活動に向かうことができず、住民の避難誘導を優先せざるをえなかったということです。

これについて高野さんは、「あのとき、『あす助けにくるから待ってろよ』と声をかけてきたのに、結局、救助に行けなかったことを今でも後悔している。
 
原発事故がなければ何人もの命を救うことができたのではないかと無念に思う」と話しています。

遺族“せめて死をむだにしないで”

自宅やその周辺に取り残されて食事や水を取れないまま餓死した疑いが強い5人のうち、原発からおよそ6キロ離れた自宅のこたつの中で遺体で見つかった女性の親族の男性は、
「おそらく周りで何が起きているのかも分からないまま、1人で何日間も耐え忍んでいたかと思うと、どんなに心細かったか、ことばになりません。
 
今でも、なぜ家族が死ななくてはならなかったのか考えると、月日がたつにつれて原発事故さえなかったらという思いを強くしています。残された遺族としては、
せめて家族の死をむだにしないでほしいと願っています」と話しています。
 
2012年3月6日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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福島県の親子  苦悩の毎日
 
大震災1年:3歳児「ほうしゃのう、こわい」 外遊び数日おき--福島 
毎日新聞 2012年3月5日 東京朝刊


被ばくの不安から、多数の親子が県外に避難している福島県。避難した親子も、残る道を選んだ親子も苦悩の日々が続いている。【井上英介】

 「じいじ、ほうしゃのうこわいからかえろうよ」。放射線量が高い福島県伊達市。原発事故から間もないころ、初孫の菅野優花ちゃん(3)を散歩に連れ出した祖父の均さん(61)はこう言われた。

 ままごとセットや人形の家など優花ちゃんの玩具は、茶の間の窓際に置かれている。家の中で一番線量が低いからだ。「いつも一人でおとなしく遊んでいます」。祖母の智子さん(53)が言う。母の美雪さん(27)は近くの薬局に勤務。均さんは昨年春に高校教員を退職し、農業に専念する。

 智子さんは今も悔やんでいる。「家に一人で残すわけにもいかなかった」。物資不足が心配で、原発事故からしばらく、買い出しに優花ちゃんを連れ歩いた。放射性ヨウ素が一帯に降り注いでいたことを後で知った。

 周囲の子を持つ世帯は次々と避難し、この春、優花ちゃんと一緒に近くの幼稚園に通い始める子は13人から2人に減った。「避難すれば仕事を失う」。美雪さんは何カ月も迷った末に残ることを決めた。外遊びは数日おきに玄関先で20分ほど。「原発事故からしばらく、美雪の顔つきは変わっていた」と智子さんは振り返る。

 均さんは「放射能という言葉を優花はすぐに覚えた」。外に出たがる孫のためにアニメを一日中流す衛星放送に加入した。智子さんはやむを得ず外へ連れ出す時、背におぶう。地面に下ろすと土や草花に触ろうとする。そのたびに「だめよ」と小さな手をつかむ。

 事故後、炊飯器で2種類のコメを炊くようになった。以前は均さんが収穫するコメをみんなで食べていた。昨年秋の新米から放射性セシウムは検出されなかったが、美雪さんは原発からより離れた喜多方産のコメを娘に与えている。地場の果物や野菜も厳禁。優花ちゃんは近所に自生する山菜のタラの芽の天ぷらが大好物だ。「たべたいよお」。孫にせがまれるたびに、智子さんは切なくなる。

 ◇幼い子にがん保険も
 「子育て仲間が何人も去った」と美雪さんは言う。福島市北沢又の吉田裕子さん(29)もその一人。同じ日、同じ病院で出産したのがきっかけで親しくなった。吉田さんが昨年9月、3歳と1歳の娘を連れ山形市へ避難する際、我が子が放射線を浴びる不安を互いに語り合った。

 吉田さんは仕事のある夫を福島に残し、見知らぬ土地で子育てをする。アパートの家賃は2年間山形市が負担するが、生活費は自己負担。3年前に建てた家のローンもあり楽ではない。「2年後、マイホームに戻っていいものか。放射線の影響は素人には判断できない。将来を思うと憂鬱です」。周囲では親が幼い子にがん保険を掛ける動きもある。

 美雪さんは「今の生活なら娘は大丈夫」と腹をくくっている。それでも我が子に将来、何かあったら……。心の底からくつろげる瞬間は永遠に訪れないかもしれない。

 「やっぱり外で遊びたいよね」。そう話しかけると、優花ちゃんは笑顔で言った。「ううん。ゆうかはおもちゃがたくさんあるから、うちであそぶよ」

 ◇悩み明かせず孤立 支援の輪、拡大が急務
 被ばくへの不安を抱えながら暮らす親子への支援の輪が広がっているが、質も量も十分ではない。

 「育児だけでも大変なのに、見えない放射線のため衣食住の一つ一つを全て考えなければならなくなった。疲れ切った母親が多い」と、日本助産師会福島県支部の石田登喜子副支部長は言う。原発事故直後、助産師仲間に声を掛け、母子の訪問活動を始めた。線量の低い同県会津若松市の民家を借り、出産間もない母子の一時避難所も開設した。

 「親は放射線のリスクに向き合い、地元に残る残らないも含めて自ら生き方を決めなければならない。生き方を指示はできないが、悩みを受け止め、納得できる結論を出せるよう寄り添いたい」。だが、助産師だけではとても追いつかない。

 石田さんは「出産直後は気を張っているが、数カ月して疲れがどっとくる。訪問先にうつうつとした親が多く、虐待や育児放棄が今後増えかねない」と懸念している。

 福島の子供を一時的に県外へ出す「保養」の取り組みも全国に広がる。その一つ、東京都練馬区の市民グループ「福島こども保養プロジェクト@練馬」は福島県内の親子8組を昨夏の1週間、埼玉・秩父でのキャンプに招待した。「放射性物質を少しでも体外へ出してほしい」と事務局の竹内尚代(ひさよ)さん(67)は狙いを語る。福島県外に出ることで累積被ばく線量の増加も抑えられる。

 ただ、親の一人の言葉が今も気になっている。「内緒で来た。『保養に行く』と周囲には言えない」。竹内さんは「放射線の不安を話せない空気が福島に広がっているのでは。参加者は苦悩を語り合い関係を深めた。親子を孤立から救い出すためにも保養の取り組みは必要だ」と話す。
2012年3月6日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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放射能物質の市民測定所が出来た 神奈川県
 
母親らが食品の放射性物質測定 神奈川に「市民測定所」
2012年3月5日 12時03分 東京新聞

食品に含まれる放射性物質の量を市民の手で測定し、安全を確かめようと、幼い子どもを持つ神奈川県内の母親らが5日、「横浜市民測定所」を横浜市磯子区と相模原市南区の2カ所にオープンした。

 市民団体「横浜の子どもたちを放射能から守る会」の有志ら約30人がボランティアで運営。カンパで購入した約130万円の測定器を1台ずつ用意し、ヨウ素やセシウムを測定する。

 測定所のホームページ上で予約が必要。検体は郵送のみで受け付ける。代金は1検体3千~5千円で、検査後約10日で結果のデータを郵送する。

 年会費1万円を払って会員になると、すべての検査結果が閲覧できる。(共同)
 
2012年3月6日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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双葉病院は情報に翻弄され、大手メディアに患者置き去りと全国に報道された
 
20120305 震災1年 原発4.5km大混乱の中、闘った病院
モーニングバードより。まもなく震災から1年たつ被災地の素顔を紹介する週の1日目。 福島第一原発からすぐの大熊町に双葉病院がある。こちらは震災直後に患者を置き去りにしてみんなが逃げたと報道をされたが、その真相は。この病院を通じて事故直後にどんな混乱があったのかを伝える。また原発20km圏、警戒区域との境界にある広野町では避難準備区域が解除されて半年が過ぎようとしているが、町に戻った人は1割にも満たない。

20120305 震災1年 原発4.5km大混乱の中、闘っ... 投稿者 PMG5
 
2012年3月6日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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公文書管理法を運用上で骨抜きにする中央のお役人様たち
 
政府有識者会議の議事録なし 秘密保全法案を提言
2012/03/05 14:09 【共同通信】 

藤村修官房長官は5日午前の記者会見で、外交や防衛に関する重要情報を漏らした公務員らに対する厳罰化を提言した政府の「秘密保全のための法制の在り方に関する有識者会議」の議事録が作成されていないことを明らかにした。

提言は、政府が今国会提出を目指す秘密保全法案のたたき台となっており、法案の策定経緯が不透明との批判が広がる可能性がある。

 公文書管理法は法案の制定過程を検証できるよう、重要会議などの「決定や了解、経緯」の文書化を政府機関に求めている。藤村氏は「公開の議事要旨と配布資料で会議の経緯は十分把握できる。必ずしも法に抵触しない」と述べた。

☆公文書管理法が出来ても、官僚が密室でことを決める従来のやり方を続けるために、運用上で都合よく料理している。今回のことが黙認されて実績になることを官僚群は狙っている。

民主党の藤村官房長官さん、あなたはこの国を変えよういう意思はどうしたのですか。こんなことを言っているようでは官僚の代弁者か太鼓持ちにすぎないではないですか。
2012年3月6日 | 記事へ | コメント(0) | トラックバック(0) |
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原発デモの定着と拡散
 
脱原発デモ、「ジモト化」のきざし?――全国各地に分散

一部引用・・

脱原発を求める人々のデモが全国各地に拡散している。大都市で行われる数万人規模の「巨大デモ」こそ回数は減ったが、地域レベルの草の根デモは、今や毎週末に必ずどこかで行われている状況だ。

■原動力は「有象無象」と「ジモト」

2月19日の「脱原発杉並デモ」=高円寺付近で
2月19日に杉並区内で行われた脱原発デモには5~6千人が参加。人数こそ昨年4月10日の同高円寺での「原発やめろデモ」の約3分の1にとどまったものの、集会やデモの雰囲気は脱原発気運の退潮を全く感じさせなかった。

中略

東電原発事故を通じて「原発は地域と相容れない」ことが明らかとなった。モラルハザードで安全軽視に陥った原発がひとたび事故を起こせば、周辺住民は避難を強いられ、コミュニティは崩壊する。城南信用金庫が脱原発の旗幟を鮮明にした理由も、まさにそこにある。

そして「原発やめろデモ」などの一連の街頭デモは、言いたいことがあれば空気を読まずに声に出していいし、またそうするべきだということを社会に示した。そのことに気付いた人々が、各自のジモトで声を上げている。今や脱原発は、人々の生活を左右する切実な問題なのだ。(オルタナ編集委員=斉藤円華)2012年3月2日

全文はこちら
 
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 半藤一利さんの戦時下の小中学生時代の体験話 「15歳の東京大空襲」を読んだ。 

2024年03月10日 | 乱読は楽しい

人はあまりに辛く無惨な体験をすると、脳味噌からその実体験を外そうとする・・らしい。

無意識にそうすることで何とか平時の社会の規範に従って暮らすことが出来るのかも知れない。

半藤さんも女性編集者に再三再四請われて、ようやくこの本を書き下ろす筆を執ったようだ。

   彼もまた神戸一中時代の小松左京と同じように、いらんことを仰山言うて当時の配属将校や日本は勝つと信じ込んでいた教師や先輩に

何十回 何百回と数えきれないほどびんたを張られ ボコボコに殴られている。

半藤さんがおぼれ死にかけた平井橋は私のウォーキングコースの一つの中にある。この橋のかかる中川とその周辺を含めて

1945年3月10日夜半の米軍のB29爆撃隊による焼夷弾絨毯攻撃で東京の下町の民間人が2時間ほどで10万人が焼き殺された。

(B29のBは ボーイング社のB)

 半藤さんが生き延びたのはほんの紙一重の巡り合わせだった。生き延びたわずかな人の中に半藤一利さんがいてくれたおかげで

いまこの本を読むことが出来る。

東京大空襲 資料

2022年12月8日の本ブログに掲載

→しばらく遠ざかっていた水辺と水鳥を見たくて、歯医者さんの3カ月ごとの口の中のクリーニングが終わってから 久しぶりに旧中川の定点観測ポイントに行きました。

この旧中川の水中で 78年前の昭和20年3月10日の夜半から11日未明にかけてのアメリカ空軍の焼夷弾による民間人無差別殺戮のため約3000人弱が焼け死にか溺死した。

 この時東京の墨田区江東区江戸川区など下町の民間日本人はわずか二時間で約10万人が焼き殺された。

半藤一利さんが平井橋から旧中川に飛び込んで浮かび上がったとき 偶然小舟がすぐ横にいて救い上げてくれたが その船がいなければ、

「日本の一番長い日」などの半藤さんの貴重な著作物の数々はこの世に現れなかった。

   ロイター通信:[ロンドン 八月23日 ロイター] - 2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、数万人の死者、数百万人の避難民を出し、

世界中に経済危機の種をまいた。

 国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は8月22日、侵攻開始から民間人5587人が死亡し、7890人が負傷したとの推計を発表した。

実際の犠牲者数はさらに多いとされている。 OHCHRによると、死傷者の多くは砲撃やミサイル、空爆などの爆発によって犠牲になったという。引用元。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2010年03月10日(水) 阿智胡地亭の非日乗 掲載
1945年3月10日東京



§3月9日付時事ドットコムから引用

「▼東京大空襲 米軍のB29爆撃機などによる空襲は、1945(昭和20)年に入ると全国の都市に拡大した。

被害を受けたのは北海道から沖縄にいたる163都市に及び、死者は50万人以上と推計されている。

爆撃の目標は軍需施設から一般の市街地に拡大したが、これは非戦闘員にも恐怖を与え、国民の戦意を喪失させるのが目的だった。

  特に東京は終戦まで約130回の爆撃を受けた。

3月10日の未明に始まった東京大空襲は約300機のB29が深川地区など下町を中心に約2000トンの焼夷弾を投下。

2時間半の爆撃は折からの強風を受けて大火災を引き起こし、およそ40平方キロの市街地が焼失した。

焼失家屋は27万戸、被災者は100万人以上で、死者数はこの1日だけでおよそ10万人と推定されている。東京は終戦までの爆撃で、市街地のほぼ半分が焼失した。」

§B29百二十機深夜帝都を空襲(1945年3月11日付『読売報知新聞』)

〔大本営発表〕(昭和20年3月10日12時)本3月10日零時過より2時40分の間B29約120機主力を以て帝都に来襲、市街地を盲爆せり。

右盲爆により都内各所より火災を生じたるも宮内省主馬寮は2時35分其の他は8時頃迄に鎮火せり。現在迄に判明せる戦巣次の如し。撃墜15機、損害を与へたるもの約50機。

去る4日以来、最近夜間数次にわたる多数機の来襲は、夜間大挙空襲の兆を濃化しつつ敵は9日深夜より暁間にかけて、この最初の大規模たる夜間空襲を実施した。

すなはち、敵機は先づ小数機を以て、わが電波探知横の妨害を図り、次で主力の単機毎に3干乃至4干メートル、最も低きは千メートルの超低空を以て

帝都に侵入焼夷弾に依る市街地盲爆を行ひ、その他各10機内外宛を以て干葉、福島、宮城、岩手の各県にも来襲した。

これに依り、東京都内各所には相当の火災を生じ、再び宮城内の宮内省主馬寮附近にも焼夷弾が落下、午前2時35分までに消火したが

都内各町の火災も午前8時頃までには軍、官、民一致の敢闘に依り全く鎮火せしめた。その他各県の被害は盛岡、平附近に若干の損害があつたのみであつた。以下略

  ☆今でもウソつきの代名詞のように使われる「大本営発表」。

戦前から戦後もそして今も、普通の「くにたみ」に対しては、本当のことを隠してウソをついてもいいと考えるエライさん方が、お国の上に居続けるわが日本国。

臭いものにはふた、都合の悪いことはなかったことにする・・

 これは江戸時代から我々列島人の中に住み着く【宿痾】か【痼疾】か、いや島国内で権力を握った階層の知恵なのかも。

 この列島内ではおとなしい「くにたみ」相手には通るけど、開国してほぼ150年、相手国側の公式文書公開で、都合の悪い蓋が開いてしまう。

虚言を国会の場で吐いた人、吐かせた人。まさか政権交代が列島で起こるとは想像してなかっただけのことですよね。

 政権交代がなければ「密約などない」と、今でも知らぬ存ぜぬでこれまで通り押し通していたんでしょうが、

実はそのこと自体が「アメリカの公文書はでっち上げだ、ウソだ」と言っていることになり、アメリカの苛立ちをかっていたことに気づかなかったことが

前の政権与党と外務省には惜しまれる?

 

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市橋伯一著「増えるものたちの進化生物学」を読みました。     ちくまプリマー新書

2023年12月09日 | 乱読は楽しい

人間が生まれてきたことに「目的や使命はないが、価値と生きがいはある」と言葉で明確に表現されて 

日頃もやもやしていた「人間の存在に対する考え」が、ちょっとすっきりした。

 本書のキモは「生命の発生も物理現象の一つだ」ということにある。

なんでそんな認識になるかを じゅんじゅんとこの書の中で説く筆者は

全編を読み終わった後、変った学者ではなく市井のフツーの社会人の一人であると思った。

内容紹介⇒

生命と非生命をわけるもの、それは「増える」ことである。増えて遺伝する能力は生物を進化させ、繁栄をもたらし、

やがて私たち人間に自由と生きる喜びを与えるとともに尽きることのない不安や迷いを植え付けることとなった。

生の悩みから生命の起源と未来を見つける知的間答の書。

この本の目次

第1章 なぜ生きているのか(私たちは何のために生きているのか
祖先へさかのぼる「望み」の連鎖 ほか)
第2章 なぜ死にたくないのか(なぜ生きているとこんなに悩みが多いのか
増え方の戦略は大きく分けて2つ ほか)
第3章 なぜ他人が気になるのか(長生きによって他の個体との付き合いが生まれる
他の個体との付き合い方のケース ほか)
第4章 なぜ性があるのか(自分以外に異性を見つける必要
生物によって違う性のありかた ほか)
第5章 何のために生まれてきたのか(不老不死が実現する人類の未来
私たちは幸せになれるのか ほか)

  市橋 伯一
イチハシ ノリカズ

市橋 伯一(いちはし・のりかず):1978年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科・先進科学研究機構・生物普遍性研究機構教授。

専門は進化合成生物学。2006年東京大学大学院博士課程修了(薬学)、JST ERATO研究員、大阪大学大学院情報科学研究科准教授を経て、2019年より現職。

試験管内で生命を模した分子システムを構築することにより、生命の起源と進化を理解しようとしている。

遺伝情報を持ち、進化する分子複製システムを世界で初めて構築した。著書に『協力と裏切りの生命進化史』(光文社新書)。

 引用元。

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小説家佐江衆一さんの遺作「野望の屍」を読んだ。

2023年10月23日 | 乱読は楽しい

遺作の重み、そして敬意

保阪正康

 佐江衆一さんの遺作(『野望の屍』)を一読して深い感慨を覚えた。ああ作家として書きたかったテーマは、この点にあったのか、というように思える。昭和9年生まれ、太平洋戦争の始まった時は小学校(当時は国民学校と言ったが)の二年生であり、終戦時は六年生である。戦時下には東京からの疎開を体験している。世代論を持ち出すわけではないが、佐江さんの世代は少年期の戦時下体験が心理的な影になっている。
 大体がこの世代の作家はあの戦争に巡り合わせたが故の作品を書く。佐江さんもこの10年余前から、満州開拓団を書いた『昭和質店の客』や回天隊員を描いた『兄よ、蒼き海に眠れ』などを発表している。そしてこの『野望の屍』で、歴史の潮流を戦争時代に生きた少年の決着と覚悟で書かれたように思う。私たちはこういう指導者の作った時代に生かされたのだとの確認である。むろんこれを批判するとか恨みで書くというのではなく、ひとりの庶民がどのようにこの時代を見つめるか、といった姿勢を崩さずに書かれている。そのことが逆にこの作品に深みを与えていて、読者に改めて自分の生きている時代の確認を迫っているとも言える。
 舞台は1923年(大正12年)のミュンヘンのビヤホールから始まる。ナチ党の党首ヒトラーが取り巻きと聴衆の中央に座る。国家主義者のワイマール体制批判に耳を傾けながら、演説が佳境に入ると、ヒトラーは拳銃を天井に向けて撃ち、驚く聴衆を尻目に壇上に登る。そして、激烈な演説を始める。「共産主義者とユダヤ人どもがのさばるワイマール共和国政府を我々の一撃で倒す」というのだ。この出だしは、ヒトラーが登場するミュンヘン一揆の前夜祭のような演説会だが、佐江さんはこの場面にナチ党が持つ、あらゆる特徴を含めて書いているので、第一次世界大戦後のドイツの社会的混乱が全て盛り込まれている。
 つまり暴力と反ユダヤ、戦勝国への憎悪、そして何より復讐の心理である。
 続いてその頃にドイツに駐在して、第一次世界大戦そのものを研究、分析する日本陸軍の中堅将校の代表的人物である石原莞爾を語っていく。この頃には石原よりも4、5歳上の永田鉄山、小畑敏四郎、岡村寧次、東條英機らがいて、やはり国家総力戦の研究をしている。しかしそういう将校とは別に、ドイツ社会の惨憺たる状況を正確に受け止める感性知性をもつ石原の存在に佐江さんは着目したのであろう。
 加えて石原は日蓮宗の国柱会の信仰員として、日々の生活を律している。国柱会の創始者である田中智学の上野公園での演説が、ドイツの荒廃状況を見る石原に想起されてくる。「父親、夫、兄弟、息子を大戦でなくし、国破れたドイツ人を、われわれ大和民族の日本人がベルサイユ条約で裁きうるや!」。石原の心底に「日蓮宗信者の軍人」という像が浮かんでくる。
 石原はドイツの著名な軍人や歴史学者に教えを乞い、その過程でヒトラーという一兵士が、「ドイツ民族純血の“民族フォルクス国家”」を目指していることを知ったと佐江さんは書く。石原の知的欲求、明晰な頭脳は他の将校の追随を許さないのだが、そのことによりドイツのナチスの野望と、石原に代表される日本軍人の野望とがどのように史実を作り上げ、そして崩壊していくか。それが佐江さんが自身の少年期の戦時下の状況を理解しようとする本書の主たるテーマであると言っても良いであろう。
 むろん本書はヒトラーと石原莞爾の動きを精密に追っているわけではない。ただしドイツは確かにヒトラーとその周辺の指導者により、野望が着々と形を作っていき、やがて滅びる歴史だが、日本はむしろ石原を疎外する形で軍事主導体制が崩壊していく。佐江さんは日本の軍事総体が主語となって崩壊する様を描きながら、この国の無責任体制が浮き彫りになるような形でまとめていく。そのことに気がつくと、本書に託した佐江さんの思いは、極めて重いというべきであろう。最後のページで、アジア各地で戦死した日本軍の兵士たちは、屍と化してなお「太平洋の彼方の祖国を見つめつづけている」と書く。そういう何百万の人々が、「今なお(この国の)明日を縛っている」という語が、この書のモチーフだということにもなろうか。
 あえてもう一点、本書の読み方を私なりに提示しておきたい。私見では、いずれ歴史的には第一次世界大戦と第二次世界大戦は連結していて、20世紀の「1914年から1945年までの戦争」と言われるだろう。第一次世界大戦の終結から第二次世界大戦の始まりまでの21年間は戦間期と言われるが、実は「平和」が煙草を吸って一服していたにすぎない。次の戦争の準備期間だったのである。
 この間の人物の動きを直視し、作品化したことに、佐江さんの遺作の重みがあると、私は受け止めた。そのことに敬意を表したい。

(ほさか・まさやす 作家)
波 2021年2月号より
単行本刊行時掲載

著者プロフィール 佐江衆一

1934-2020)1934年、東京生まれ。1960年、短篇「背」で作家デビュー。1990年『北の海明け』で新田次郎文学賞受賞。1995年、『黄落』でドゥマゴ文学賞受賞。自身の老老介護を赤裸々に描いてベストセラーに。1996年『江戸職人綺譚』で中山義秀文学賞受賞。著書に『横浜ストリートライフ』『わが屍は野に捨てよ――一遍遊行』『長きこの夜』『動かぬが勝』のほか、『昭和質店の客』『兄よ、蒼き海に眠れ』『エンディング・パラダイス』の昭和戦争三部作など。古武道技術師範。『野望の屍』は最後の作品として取り組んだ渾身の史伝である。2020年10月逝去。享年86。

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「私と宗教」と言う本を読んで他人の宗教観はいろいろだと知った。 そして自分のカミさまは変わらなかった。

2023年10月18日 | 乱読は楽しい

インタビューアーがすぐれもので 突っ込だ質問が結構あって、どの人の内容も読むだけの価値があった。

 「宗教はその人の世界観だ」と言う表現が中にあって一番納得できた。

だからこそ宗教はそれぞれの人間の生き方まで決めてくるところがある。

この本を読んだけれど 自分はやはり外来宗教の ホトケ様でも、デウス様でもなく、

諏訪大社上社の神体山である守屋山が自分の先祖神として在ることは変わらなかった。

 本の中ではどの人たちの編も読ませたが、中でも「高村薫」さんと「小川洋子」さんと「立花隆」さんが持っている宗教観が興味深く、

それがこの人たちの人間を造っているなあと実感した。

本の内容説明

「死」、そして「生」と真正面から向き合ってきた表現者たちの言葉には、経済発展第一という戦後日本の価値観からの転換を迫られた災害後を生きる私たちが、

「こころの問題」を考えるためのヒントが詰まっている。日本を代表する一〇人の表現者が「宗教」とのかかわりを率直に語る。

目次

善男善女でない私がたどり着いた死生観が「空・縁起」なのです(高村薫)

わしの中の宗教心と近代主義をどう折衷するかが問題だ(小林よしのり)

超越者ではなく伴走者としての神(小川洋子)

ぼくが宗教嫌いになった理由(立花隆)

照れるけど「幸福写真」はいい!!(荒木経惟)

女優という職業、そして信仰(高橋惠子)

おおいなるもの、目に見えないものをいかに映像化するかが最大の挑戦です(龍村仁)

ポンペイ、広島、アウシュヴィッツの悲劇を静かに伝える(細江英公)

患者さんと健常者を隔てているカーテンを取り除く(想田和弘)

人物ルポ 水木しげる―宗教とアニミズムを分けるものは何か

著者等紹介

渡邊直樹[ワタナベナオキ]

1951年東京都生まれ。大正大学表現学部教授、編集者、(財)国際宗教研究所評議員。東京大学文学部宗教学科卒業後、平凡社で月刊『太陽』を編集。

その後、『SPA!』(扶桑社)、『週刊アスキー』(アスキー)などを創刊、編集長を務める。

webコンテンツの制作を手掛けた後、『婦人公論』(中央公論新社)、『をちこち』(国際交流基金)編集長なども歴任

(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んだ。韓国人はすごい勢いで変化をしている国民だと実感した。男尊女卑社会を少しずつでも変える人たち。

2023年09月22日 | 乱読は楽しい

話題の映画『82年生まれ、キム・ジヨン』原作小説ダイジェスト(試し読み動画)  

 

 『82年生まれ、キム・ジヨン』は、韓国で2016年10月に刊行されました。当初は担当編集者も1万部はいかないと予想していたそうです。
 
しかし1年足らずで10万部を突破することとなりました。本作は、キム・ジヨン氏(韓国における82年生まれに最も多い名前)の誕生から学生時代、
 
受験、就職、結婚、育児までの半生を克明に回顧していき、女性の人生に当たり前のようにひそむ困難や差別が淡々と描かれています
 
そして彼女はある日突然、自分の母親や友人の人格が憑依したように振る舞い始め――。彼女を抑圧しつづけ、ついには精神を崩壊させた社会の構造は
 
日本に生きる私たちも当事者性を感じる部分が多々盛り込まれています。

 韓国ではその共感性の高さから、国内だけで136万部という異例の大ベストセラーとなりました。K-POPアイドルなど影響力のある芸能人が度々話題にしたことでも注目を集めましたが、
 
ガールズユニット、Red Velvetのアイリーンが本書を読んだと発言したところ、一部男性ファンが「アイリーンがフェミニスト宣言をした」として一斉に反発、
 
アイリーンの写真やグッズを破損する様子を動画投稿サイトに投稿するという事態も起きました。

 アイリーンだけでなく、少女時代のスヨンやBTSのRMも『82年生まれキム・ジヨン』に言及しています。
 
2018年1月、少女時代・スヨンはYouTubeを介して放送されたリアリティ番組『90年生まれチェ・スヨン』で
 
「読んだ後、何でもないと思っていたことが思い浮かんだ。女性という理由で受けてきた不平等なことが思い出され
 
、急襲を受けた気分だった」と、BTS・RMも昨年、NAVERのVライブ生放送を通じて「示唆するところが格別で、
 
印象深かった」と本書にコメントを寄せました。

 さらには韓国の国会議員が文在寅大統領の就任記念に「女性が平等な夢を見ることができる世界を作ってほしい」と手紙を添えてプレゼントするなど
 
国全体に及ぶ社会現象を巻き起こしています。

 この反響から、本書を原作として韓国の人気俳優コン・ユ、チョン・ユミ共演で映画化もされ、主人公キム・ジヨンを演じるチョン・ユミとその夫役、
 
チョン・デヒョンを演じるコン・ユは「トガニ 幼き瞳の告発」「新感染ファイナル・エクスプレス」に続き、3作目の共演。キム・ドヨン監督が手がけ
 
韓国で公開後1か月で350万人突破の大ヒットとなりました。アメリカ、イギリスでも順次公開、日本でも2020年10月9日(金)に新宿ピカデリー他全国で公開が決定されました。

 中国・台湾でもベストセラーとなり、アメリカ、イギリス、フランス、ベトナムなど32の国・地域での翻訳化も決定した世界的な注目作です。

CLICK☟

筑摩書房 82年生まれ、キム・ジヨン チョ・ナムジュ 訳 斎藤真理子 (chikumashobo.co.jp)

 

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