阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

大安亭市場

2009年02月28日 | 神戸あちこち
梅田から阪急電車に乗ると三ノ宮の一駅手前の駅、「春日野道」。駅のそばから浜側に大規模な「大安亭市場」があります。「王子公園駅」近くの「水道筋市場」も規模が大きく、市場好きな私は時々足を伸ばしますが、ある日「大安亭市場」までも歩いてみました。



大安亭市場の中はこちらにもあります。
ここまで歩くと片道でほぼ一漫歩になって疲れたので、帰りは阪神電車の春日野駅から新在家駅まで電車に乗って新在家から歩いて帰りました。この日の1日の歩数は14489歩でした。
こちらのブログの「大安亭市場」の写真もレトロ調で楽しいです。
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やっぱり飲んでしまう

2009年02月27日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
一昨日は元町で夕方5時から飲み始め、2軒目を出たのが11時。新発田の「菊水」や岩国の「獺祭(ダッサイ)」など日本酒の強いのをかなり飲んだため、何年かぶりで足元がふらつき危ない危ない。それにしても一緒に飲んだ4人も強い。
 昨晩は控えようと考えていたのに暗くなると居酒屋“e”へ。寒アナゴ(鱧は間違いでした)の白焼き、ソラマメ、ウドの短冊と若布の和え物。芋焼酎は湯割。
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神戸・住吉あたり  その2

2009年02月26日 | 神戸あちこち
JR神戸線の住吉駅の西の浜側に本住吉神社があります。大阪の住吉大社より古いとも言われています。神社の記事はこちらにも。
なかなか迫力のある狛犬像があります。



灯籠にはこれを作った天保時代の石工の名が残っていました。


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神戸・住吉あたり  その1

2009年02月25日 | 神戸あちこち
JR住吉駅の山側にある有馬道の上り口にこの案内碑があります。
駅の同じく東に阿弥陀寺という浄土宗のお寺があります。その山門の少し前にこんな石碑と説明板がありました。



有馬道商店街を上って行くと山手幹線に出ます。ここは室の内の交差点。
神戸に引越して最初に住んだ家があった室の内277の1という住所表記は、山手幹線が出来るときと震災後の土地区画整理でなくなり、勿論その家もなくなり、このあたりにあったのかなあと見当をつけるだけです。当時お隣にヅカガールの「紅園ゆりか」さんが住んでる家がありましたが・・

交差点から山手幹線沿いに東に歩いていくとこの祠がありました。

そしてこの慰霊の碑も。

ここから「弓弦羽神社」の参道になっています。


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陣内と紀香の力も---生田神社は栄えてます

2009年02月24日 | 神戸あちこち
生田神社は元々地の利がよく、JRや阪急阪神の三ノ宮駅から近いから神戸の中で参詣者が一番多い神社です。あまりの列の長さと幅に惧れをなして初詣には行ったことがありません。その上、最近芸能人のカップルがこの神社で神式の結婚式を挙げてから、遠方からも縁結びの神様として、若い人のお参りが増えているようです。
陣内と紀香の二人の写真や、よく似た?お雛様が飾ってありました。

震災の時には無惨につぶれた拝殿・本殿も完全に建て直されています。

さすが港湾都市の名残り、今はない船会社の社名も寄進者の中に残っています。
松岡汽船はテニスの松岡元選手の一族の会社でした。

灘五郷の造り酒屋もほぼ全社が薦被りを奉献しています。

境内には「生田の森」の石碑が立っていました。震災で二つに割れたのか真ん中で継いでありました。「生田の森」、わずかな面積とはいえ約900年ほど前に平清盛が作った、短命の福原の都☆の頃の遺伝子を持つ大木が残る森が、今も都会の真ん中にあります。都があった名残りでしょうか、神戸で知り合った友人の1人は当時兵庫区の「雪の御所町」という町に住んでいて、なんと美しい名前の町名があるもんだと感じ入ったことがあります。


☆福原(ふくはら)
  摂津(せっつ)国の地名。現在の兵庫県神戸市兵庫区。平安末期、福原荘(しょう)として平清盛(きよもり)が領有、ここに別荘を営んだ。大輪田泊(おおわだのとまり)に接する地として海上交通の要衝にあたるところから、清盛はこの地を重視したものらしい。1168年(仁安3)出家後ここに引退。大輪田泊の修築に努め、2年後には初めて宋(そう)船を福原まで入航させることに成功。後白河(ごしらかわ)院との間の対立が深刻化した1179年(治承3)11月突如上洛(じょうらく)してクーデターを敢行、翌年6月安徳(あんとく)幼帝を擁して、旧勢力の地盤たる京より福原に遷都する。しかし新都造営の進まぬまま、8月には諸国源氏の挙兵があり、内乱の深化するなかで11月ふたたび京へ都を還(かえ)した。1183年(寿永2)平家都落ちに際し、平宗盛(むねもり)は当地を焼き払って西へ向かった。 (yahoo百科辞典から引用)
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自分の音楽はこの歌から始まった

2009年02月24日 | 辛好のJukebox
高校生のある日ラジオから、聞きなれないリズムとメロディの音楽が流れました。その瞬間に自分の中の音楽の感覚が変わりました。その日から短波放送のダイアルをまわし、ようやく豪州の放送局から毎週土曜日に流れる、「ビルボードのTop Twenty」という番組を探しだしました。
THE DIAMONDS "LITTLE DARLIN"

あの時代のアメリカも、そして「ラジオ神戸☆」の日本で最初に始まった電話リクエスト(デンリク)を聞いていたあの時代も、当然ながらもう二度と戻ることはありません。


☆ラジオ神戸☆
株式会社ラジオ関西は、1951年8月「ラジオ神戸」 の社名で創立、翌年4月1日放送を開始。コールサインJOCR、当時の周波数1490キロサイクル、出力1キロワット。1960年2月「株式会社ラジオ関西」に社名変更、1994年10月愛称を 「AM KOBE 558(エーエムコーベ・ゴーゴーエイト)としました。1995年1月17日阪神大震災にて被災しながらも放送を続け、1996年8月8日午前8時8分8秒、須磨から移転した現在の神戸ハーバーランドの本社からの放送を開始。 周波数558キロヘルツ、出力20キロワット、送信所は淡路島東浦町大磯。5時から27~28時まで放送。
 特筆しておきたいのは、民間放送で初めてのプロ野球のナイター中継と電話リクエスト番組を放送したことです。
(ラジオ関西のHPから引用)


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Isabonのエジプト旅行 その6 ルクソール以南

2009年02月23日 | ゲストルーム
トップの画像はルクソール神殿第一塔門
ルクソール神殿列柱廊

ラムセス2世が作ったと書いてある。

東岸ルクソール神殿スフインクス参道

宿の前を羊が通る

カイロ乗換でアレクサンドリアへ向かう2等車内

「ルクソール以南」篇全26枚の写真はこちらのスライドショーでどうぞ。
旅行の一部始終はこちらの旅行記でどうぞ。
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定食屋のようなインド料理店「ナーン・イン」

2009年02月22日 | 食べる飲む
生田の森を出て、山手幹線のまだ山側に歩きました。そして少し前に千葉から来た友人とたまたま入ったら、おいしかったという相方の水先案内でカレーの店に行きました。観光客は相手にせず、近所のインド人相手の定食屋のようななんの飾りもない内装で面食らいました。そして海鮮カレーとチキンカレーも大きなさっぱりしたナンも、なんの衒いもない「インドの味噌汁付焼き魚定食」というような感じの旨さでした。全く日本人向けにアレンジせず、本国そのままの料理で通しているのでしょう。サブプライム騒ぎでこのあたりの外国人も外食を控えていて不景気なのか、前にはいたというインド人のウェイターはおらず、バイトらしい大学生のような女の子が半分英語半分日本語で注文を聞きました。香港出身かなと思いました。これからも通いたい店ですが、経営が持つのかなあ?とちょっと心配。ナーン・イン


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生田の森

2009年02月22日 | 神戸あちこち
三ノ宮の生田神社にある「生田の森」は源平一ノ谷合戦の際、平家軍が東の城戸(きど)として陣を張り、平知盛を大将として源氏の範頼軍を迎え撃った場所です。毎月1日と15日、土曜日と日曜日に森域に入る事が出来ます。源平の時代には神社の神域として相当な面積だったのでしょうが、今はよくぞこれだけでも残ったなあと言う、テニスコート4面くらいの広さです。しかし大木がかなりの本数残っていて雰囲気はあります。







生田神社も登場する「野坂昭如が育った神戸」はこちら
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トアロードでドーナッツを

2009年02月21日 | 食べる飲む
三ノ宮の生田神社にある「生田の森」(とても森とは言えない規模ですが)の中を歩いてから、「Naan Inn」でカレーを食べました。そのあと回教寺院の横を歩いて「トアロード」に出ました。元町の方にぶらぶら下りる途中、もう一つの「森」に寄りました。昨年の2月に開店したドーナッツの店「フロレスタ(森)」です。登山家の桜姐さんの親友のお嬢さんがやっているお店です。買っていると後ろに列が出来ていました。「フロレスタ」の一番目のフランチャイジーでよく流行っているようです。自然で素朴な味のおいしいドーナッツで、家で食べたら皆に好評でした。リピーターがつくのも当然だと思いました。神戸でToa Roadを歩かれる時は寄ってみてください。

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春日神社の大楠

2009年02月20日 | 神戸あちこち
六甲山の暖かい南斜面には弥生時代からヒトが住み着き、戦国時代から江戸期を通じて摂津の国の中の村々として栄えていたようです。そのことは今は鎮守の森までの広さはありませんが、境内に大きく太い楠の木を持つ土地の産土(うぶすな)神社が多いことでわかります。
 春日神社にはじめてお参りして立派な楠の木を身近に見る事ができました。

 私は昔から木を見て触るのが大好きです。40億年前に地球に生命が誕生して、それ以来命を入れる器のカタチは違っても、同時代に生きて、貴方とお互いこうして今ここに同じ場で会えて同じ空気を吸っているんだよねと、木に向かって声に出して話します。

この大楠も初代の兵庫県知事である伊藤博文が毎晩のように、花隈の料亭で芸者遊びをしていた頃にも、この場所でゆうゆうと若葉を光らせていたと思うと、この木がここにあるだけで、「あんさん凄い木ぃやなあ」と思ってしまいます。



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ビストロ・アンジェリークで誕生日ランチ

2009年02月19日 | 食べる飲む
30分ほど歩いて六甲道の森後町にあるレストランに行きました。日本の懐石料理の影響を受けて変化したというヌーベルクイジーン風なのでしょうか、店の主人が出す料理は前菜からして見た目にも美しい。メインはそれぞれエゾ鹿と鱒を選びました。





デザートになった時、お店の人に今日は誕生日のランチに来ましたと話したら、デザートにお祝いのロウソクと音楽つきの特別プレートが供されました。同行者は大喜びでした。手前は通常のデザートプレート。

これがそのお祝いプレートです。お店のお二人、ご配慮ありがとうございました。

全部おいしく食べて、グラスワイン一杯でいい気持ちになって店を出ました。
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看板をいくつか

2009年02月18日 | 神戸あちこち
ぶらぶら歩いていると「助産所」の看板がありました。このところ助産婦さんの役割が見直されているそうです。当然だと思います。最近身近に知りましたが、産科の病院でも医者と助産婦さんは出産時にコラボしています。
 事前の診察で通常分娩を産婦人科医が予測できれば、昔のように産婆さんが取り上げる制度に戻ってもいいかもしれません。わが世代の友人知己は自分を含めて殆ど全員が、家で産婆さんに取り上げてもらいました。
 これは「タローパン」屋さん。長年、夫婦お2人でやっているそうです。店は震災で全壊しましたが、建て直したそうです。食パン主体にご近所まわりのお客さんが焼き立てのパンを毎朝買いに来るそうです。

こちらは東神戸では知られているパンとケーキの店ですが、あちこちの店にはこの本店の工場で作られたものが運ばれているようです。


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サヨリの一夜干し

2009年02月17日 | 居酒屋“e”&一日の昼食と夕食
居酒屋“e”で軽く一杯。山芋豆腐、帆立の貝柱とモズクの和え物、分厚いどんこと炙ったサヨリ。
熱燗に良く合いました。
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黄砂も飛び去って

2009年02月16日 | 神戸あちこち
この3日間合わせても一万歩も歩かなかったので、坂を登りだした当初息が切れました。こまめに一口づつ水を飲みながら階段を上がるうちに息も納まり、渦ケ森の3つのスポットから神戸湾ごしに大阪方面を見ました。







神戸港の膨大な数のコンテナークレーンは殆どが鶴の首の部分を上げた状態で、つまり荷役作業をしていませんでした。
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