阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

お医者さんで探検家、大学に14年いた「関野吉晴」さんが持つ時間感覚に衝撃を受けた。

2016年02月29日 | 神戸あちこち

慌てて3日前にメールで申し込んで、当日受付OKと返信をもらったので、フェリシモ主催の「神戸学校」のクラス?に出た。 会場はいつも神戸朝日会館の朝日ホールだ。 神戸学校はこれまでも嘉門達夫茂木健一郎などの回に受講している。  阪急三宮駅西口からセンター街を横切って、旧居留地方面に歩くと地下に映画館「シネリーブル神戸」がある朝日会館がある。

お話の題は「私たちはどこから来て、どこへ行くのか」

関野さんのことはNHKTVの「達人達」という番組で、山極寿一さん(人類学者、霊長類学者にして、ゴリラ研究の第一人者)と対峙した内容が面白くて知った。 お話を伺って、脳のあちこちを揺らされた。フェリシモから案内書が来ていたのに申し込みを忘れていたが、ネットで問い合わせて本当に良かった。関野さんは、10年もの歳月をかけ、人類発祥の地アフリカへ南米の南端から逆回りで祖先の拡散の足取りを辿る旅、グレートジャーニーをした人だ。 

      (それぞれのサイトをクリックすると、今回の講演会の内容を体験できます。)時間感覚の違いは読んでいくとわかるでしょう。

関野吉晴さんの「グレートジャーニー」のルート

 

自分が移動してわかったが、人類のグレートジャーニーは旅のジャーニーではなく移民の移動の事だと言う。 20万年前にアフリカで現在のホモサピエンスになった現生人類が6万年前にアフリカを出て日本列島にたどり着く壮大な旅路。  なぜ人類はアフリカから出て、太平洋諸島、南米、日本まで移動したのか? 関野さんは最初は、好奇心に溢れ進取の気性に富んだ勇敢な人たちが次々新天地を目指したと思っていたが、各地を探検、旅を続けるうちに 次のように思うようになったそうだ。「その土地土地で人口が増加し、弱者に食料がまわらなくなりやむなく、別の地に移動していったのが 人類のジャーニーの歴史だ」。日本でも長男は土地に残れるが、次男以下は部屋住みか他国へ出て食っていくしかない。 それは日本人のハワイやアメリカ本土、ブラジルなど南米移民、そして現代の中東の難民にも表れていると。  本や対談記事でも関野さんの体験談は伺えるが、前から3列目の席でお話を聞いて、その静かな語り口の中に一人の人間のやれることに限りはないことを あらためて感じた。

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阪神駅前情話(10)JR塚口駅 神戸新聞動画報道から

2016年02月29日 | SNS・既存メディアからの引用記事
JR塚口駅周辺は大きな工場が建ち並ぶ。そんな環境の中で「上坂部西公園」は温室も備えた市民憩いの場だ。
さらに近くには人形浄瑠璃作者・近松門左衛門の菩提寺があり、「近松記念館」にはゆかりの品々が展示されている。

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大阪の福島、聖天通商店街で写真家の小原一真さんと在英のジャーナリスト小林恭子さんの話を聞きます。

2016年02月28日 | 携帯から投稿

「フオトギャラリー・サイ」に写真家の小原一真さんと在英のジャーナリスト小林恭子さんの話を聞きに来ました。

2月29日追記:

小原さんのサイトから引用。

「NHKとBBC」公共放送とは何か?ジャーナリズムとは何か? ゲスト 小林恭子氏(在英ジャーナリスト)


日時 2016年2月28日(日)14時~ 
場所 Photo Gallery Sai http://photo-sai.com/
553-0002 大阪市福島区鷺洲2-7-19 
tel&Fax: 06-6452-0479
mail: info@photo-sai.com

参加費 1500円 
 http://kazumaobara.com/2016/02/post-29.html

要予約 kazuma924アットgmail.com
(人数把握の為に出来るだけ事前の予約をして頂きたく思います。) 

"Case Study"は(フォト)ジャーナリズム/ドキュメンタリーフォトグラフィーを学ぶプラットフォームです。国内外の写真家やジャーナリストを招き、それぞれの仕事/プロジェクトから、写真家としてどう取り組み、どう伝えて行くのかを考えます。
 
第二回目のゲストは在英のジャーナリストでヨーロッパのメディアウォッチを続ける小林恭子氏を招き、ジャーナリズムの在り方につい て考えます。小林氏の著書「英国メディア史 (中公選書)」では英国でのメディアの誕生の歴史から、権力との関係性等について、多くの取材を元に執筆されました。今回は、その中でも公共放 送に焦点を当て、NHKの見本とされているBBCとの実際の差異について伺います。公共放送とは、メディアとは、ジャーナリズムとは何なのか。日本の大手メディアの劣化に歯止めがかからない中、メディアは本来どういう姿であるべきなのか。その根本を学び、現在の状況、そしてジャー ナリズムとは、メディアとはそもそも何の為にあるものなのかについて考える機会を持ちたいと思います。
 
小林恭子|ginko KOBAYASHI! 「デイリー・ヨミウリ」(現「ジャパン・ニュース」)記者・編集者を経て渡英。英国や欧州のメディア事情や、ネット時代のメディアの未来、電子書籍の可能性などについて、様々な媒体に寄稿 している。著書に『英国メディア史』(中央公論新社)、『日本人が知らないウィキリークス(新 書)』(共著、洋泉社)など。最新刊「フィナンシャル・タイムズの実力」を洋泉社より2016年 1月に出版。
 
 
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諏訪・御柱祭 上社山出しと里曳きルート確認 、大村はま先生のこと。

2016年02月28日 | 諏訪便り

信濃毎日新聞 2016年2月24日掲載

茅野市の木落し公園で、立ち入り規制の位置などを確かめる茅野署員や諏訪広域消防本部の消防署員ら

茅野署は23日、諏訪大社御柱祭の上社山出しと里曳(び)きのルートを確認した。本番での氏子や観光客の安全確保に備え、諏訪大社神職や諏訪広域消防本部の消防署員、消防団員、上社御柱祭安全対策実行委員会の大総代ら約40人が参加。混雑が予想される茅野市宮川の木落(おと)し公園と川越しをする宮川、上社前宮などを回り、立ち入りを規制する場所や警備態勢を話し合った。
 木落し公園では、木落としをする坂に登ったり、周りを歩いたりして氏子と観光客の動きを想定。坂の下は氏子以外の立ち入り禁止を徹底し、けが人や病人が万一出た場合は坂の下に通じるJR中央東線沿いの道を緊急搬送路として使える、と確認した。
 宮川では、曳行中の氏子が溺れた時のために潜水できる消防署員を8人待機させ、当日は氏子以外の立ち入りを制限すると告げる看板を3月下旬に置いて事前周知に努める―とした。茅野署地域課の櫛引知弘課長は「木落としや川越しは見せ場で観光客が集中する。警備が難しいが、前回の反省も生かし、連携して安全確保に努めたい」と話した。
玉川郵便局のすぐそばにバス停があり、阿智胡地亭は夏休みに親戚を訪ねる時にこのバス停でよく乗り降りしたので
旧玉川村穴山にある玉川郵便局が懐かしい。里曳きの御柱はここで90度近い大曲りをして宮川の川越しに向かう。
玉川郵便局がある地点は「穴山の大曲り」として有名だ。
 女学生時代の母は旧玉川村穴山から茅野駅まで毎日歩いて往復し、汽車に一駅乗って上諏訪の諏訪高等女学校まで通学したと聞く。
ただ冬季の凍てつく1里以上の道はとても通えたものではなく、女学校の寄宿舎に入っていたそうだ。
戦後すぐの昭和24年に発行されてベストセラーになった「流れる星は生きている」を書いた藤原ていさんも同じ寄宿舎仲間だった。
 藤原ていさんは作家の新田次郎の奥さんだ。数学者でエッセイスト、ベストセラー「国家の品格」の作者、藤原正彦は彼女の次男である。
また藤原ていさんや母は、国語教育で日本の教育界に長く貢献した「大村はま先生」(クリック)の最初の生徒でもあった。
 

教えて!御柱祭(8) [Q]御柱はどんなルートを通るの?

かつて上社の「奥山出し」で御柱の曳行路となった林道=茅野市

 諏訪大社御柱祭で、御柱はどんなルートを通って引かれていくのですか。
 
   ◇
 
 氏子たちが御柱を引いて進む道を「曳行(えいこう)路」と呼びます。上社側は、4月2〜4日の「山出し」が諏訪郡原村と茅野市境にある出発点の「綱置場(つなおきば)」から同市宮川沿いの「御柱屋敷」までの12・1キロ。5月3〜5日の「里曳(び)き」は御柱屋敷から上社前宮(茅野市)までが0・7キロ、本宮(諏訪市)までが1・9キロとなっています。曳行路の大半は茅野市内を通ります。
 
 下社側は同郡下諏訪町内のみを通る道で、山出し(4月8〜10日)は出発地の「棚木場(たなこば)」から木落(おと)し坂を経て「注連掛(しめかけ)」までの4・8キロ。里曳き(5月14〜16日)は注連掛を出て下社春宮までが1・7キロ、秋宮までは3・3キロです。
 
 曳行路は古くからほぼ一定で、上社側の曳行路は距離が長く比較的緩やか、下社側は距離が短く傾斜がある道のりとなっています。戦前までは上社、下社ともに、山出しの前に、御柱用材を伐採した山から山出しの出発点までを氏子が曳行する「奥山出し」もありました。ただ、山中は険しく危険も伴うため、現在は専門業者が搬出し、出発点まで運んでいます。
 
2016022409.jpg

(2016年2月24日掲載)

阿智胡地亭便りから  「丹羽文雄さんと大村はまさん、100歳と98歳の死 」
2005.0 4.22 書下ろし、メルマガ発信。

 4月17日に生涯一国語教師の“大村はま”さんが98歳で亡くなり、20日に作家の“丹羽文雄”さんが100歳で亡くなりました。

お二人ともに明治40年前後に生まれ、明治、大正、昭和、平成の四つの年号の時代を生きてこられたことになります。

 私は当然ながら、お二人にお会いした事はないのですが、ささやかなご縁のせいで、小学生の頃から、お名前に親しみがあり、新聞やテレビなどで記事が出ると、かならず目を通してきました。

 死んだ両親が生きていた頃と自分が生きている時代に共通した人が、もう100歳近くになって、こうして亡くなられていくのだという思いになりました。
 
(1)小説家の 丹羽文雄さんは、昭和30年前後の小、中学生の自分からすると、今の「渡辺淳一」さんのようなイメージで、子供が大人の前でこの人の名前を口にしてはいけないような雰囲気だった記憶があります。

当時、三重県四日市市に住んでいて、中日新聞の北勢版で「郷土出身文学者特集」かなんかの記事に、「丹羽文雄」が四日市出身だと書いてあり、あの有名な小説家が四日市出身なんだと子供心に親しみを持ちました。

そして中学生の自分が入学を目指して受験勉強していた四日市高校が旧制富田中学時代の彼の母校である事もその記事で知りました。
 
丹羽文雄は戦前と、戦後長くの華々しい作家活動と80数才以降のアルツハイマー病の対比がよく取り上げられます。

彼と奥さんの闘病のさまも、長女の本田桂子さんの両親の看病闘病記などで公になりましたが、本田桂子さんが3,4年前に心筋梗塞で68歳で突然なくなられた時は、看病疲れが原因ではないかと思いました。

彼女はアルコール中毒にもなりそれを克服したこともカミングアウトされています。両親の老齢化に伴い過酷な状況を必死で支えておられたようです。

原稿用紙に丹羽文雄、丹羽文雄、丹羽文雄、丹羽文雄、・・と名前だけしか書けなくなったという挿話をテレビの特別番組で知った時は、人間の脳の活動が病んだとき「その人」と言うのはどうなるんだろうと思いました。

本人は預かり知らない世界に入りながらも、その状態で生存していくと言うのは、哺乳類の中では“ホモサピエンス”という一種類が初めて体験する世界です。

そして自分もその世界に入りだしているかも知れない。

私にとっては丹羽文雄さんはただの昔の小説家ではなく、3ヶ月在籍した四日市高校の大先輩であり、一人の長生きをする人間としても気になる存在の人でした。

分野が違うので比較にはなりませんが、夏目漱石は49歳で生を終え、丹羽文雄は自分が丹羽文雄と知らずに100歳で亡くなりました。
 

(2) 大村はまさんは、横浜出身の国語教師で生涯子供に接した人生を送りました。

大村さんが1928年に東京女子大を出て、国語教師として赴任したのは上諏訪にあった旧制諏訪高女(現二葉高校)でした。

戦後学制が新制になった後は、東京の多くの新制公立中学で国語教師を勤められました。1980年に現役教師を引かれるまで直接教えた生徒数は5000人ほどだそうです。

 戦後、大村はま先生の「教え方」が新聞で取り上げられることが多くなった頃、母がその記事を読みながら、私の女学校のクラスはこの先生が教師として持った、初めてのクラスだったのと嬉しそうに話しました。

そのときが(大村はま)という人の存在を知った始めでした。

つい最近NHKで大村はまさんの一生をドキュメンタリー化した番組を見たばかりでした。

勁くてやさしい眼をした人だと思いました。本当の僧はこんな顔なんだろうと思いました。

教室で教えることと自分の人生が一体化した人生の人でした。戦後の彼女の授業の特徴は自分で考えさせ、考える力をつけることのようでした。自分が中学生時代にも公立中学にはそんな教師が沢山いました。

母が「私の先生」とご自慢だった母と、10歳違いの大村先生が生きておられる間は、亡くなった母もまだ先生の生徒で生きているような気がしていましたが、訃報を聞いてなんとなくガッカリしました。

先生が書かれて、母が買っていた本を本棚で探して再読しようと思います。

☆☆大村はま先生 の言葉の中から。

【優劣のかなたに】

しかし,劣等だとか,優等だとかいう世界の向こうの世界へ子どもを連れていくことはしなければならない。

教室で座りながら,できない,つらいなどと思わせる,片っぽうは反対に得意になっているとか。

これも人間を育てる世界らしからぬ世界で,そういうところに子どもを置いてはだめです。

……ただ教室のなかで優劣の向こうへ生徒をもっていくことだけは,これはしなくてはいけないことでしょう。

教室のなかで,それぞれ学習に打ち込んでいてそれぞれ成長していて,だれができ,どの子ができないなどと思っているすきまがないようにしなければならないと思います。

……できるとかできないとかということを忘れて,全力をふるって,うちこんでやっていく。

一生懸命やっていく,その向こうで,その気持ちのなかで,できる子ども,できない子があっても,そんなことに関係のない世界をつくっていくことができないか。

……おもしろい授業を力いっぱいさせて,生徒に自分が劣っていることを忘れて打ち込ませるところまではもっていかなくてはと思っています。

みんな一生懸命になっているとき,そんなことが気にならなくなってしまうのですね。

そういうところを目ざして,いろんな工夫をしてきました。

大村はま著「大村はま国語教室11 国語教室の実際」(筑摩書房)

☆☆「大村はま先生について」 by鳴門教育大学付属図書館 こちら(クリック)

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ある日の夕食は「かれいの煮つけ」「生ハムサラダ」や「塩チャンコ」

2016年02月28日 | ある日の肴/夕食




2016.02.21 ~ 2016.02.27
閲覧記事数: 13957 PV、訪問者数: 2182 IP、ランキング: 2402 位 / 2413776ブログ

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アジアンタム・万両・白梅は元気です。

2016年02月27日 | 花・草・木・生き物
胞子が飛んできて自生したアジアンタム、冬を乗り越えました。


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金魚の近況  元気です。

2016年02月27日 | 花・草・木・生き物
今年はここ数年なかった厳しい寒さで氷も張りましたが元気です。冬はエサは殆どやりません。

2匹はとても仲良しです。
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神戸電鉄 8年ぶり新型車両      神戸新聞動画報道から

2016年02月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事
神戸電鉄の新型車両6500系(1編成3両)が、搬入基地のある粟生(あお)線市場駅(兵庫県小野市)経由で鈴蘭台車庫(神戸市北区)へ運ばれた。
新型は6000系以来で8年ぶり。車体はステンレス製。最新の制御装置を備え、全照明を発光ダイオード(LED)にするなどし、消費電力を旧式1000系の約4割に抑えた。

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春の兆しを見つけた

2016年02月26日 | 花・草・木・生き物
沈丁花の花芽

ボケの花芽



アジサイの幼葉




枯れたリラ(ライラック)の木から生えてきたひこばえの花芽


楽屋ネタ。
 
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ある日のランチは「サンドイッチ」「豆苗のせソース焼きそば」や「六甲苑のランチボックス」

2016年02月26日 | ある日のランチ


阪急六甲駅そばの中華レストラン「六甲苑」の店の前で販売する一個500円の中華弁当各種は人気ですぐ売り切れる。

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京阪神のひな人形今昔 明治・大正・昭和・平成 神戸新聞動画報道から

2016年02月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事
伊丹市の旧岡田家住宅では明治、大正、昭和それぞれの時代を代表するひな人形がの展覧会が開催中。明治~大正にかけ「御殿飾り」と呼ばれる様式が人気だった。
昭和~平成にかけては経済成長とともに様式も変化、近年は人形の表情にも変化がみられるという。

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旅行会社は関西からも御柱祭のツアーを企画

2016年02月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事
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御柱祭とは   諏訪大社とは

2016年02月25日 | 諏訪便り

御柱祭とは

御柱祭とはイメージ

7年に一度の天下の大祭

 樹齢150年を優に超えるモミの大木。山の中から、選ばれた16本のモミだけが御柱となり、 里に曳き出され、7年毎の寅と申の年に諏訪大社の社殿の四隅に建てられます。 宝殿の造り替え、そして御柱を選び、山から曳き、境内に建てる一連の行事を「御柱祭」と呼び、 諏訪地方の6市町村の氏子たちがこぞって参加して行われます。正式名称は「式年造営御柱大祭」です。

 御柱祭という神事を司る諏訪大社は、全国各地の諏訪神社の総本社であり、国内にある最 も古い神社の一つ。諏訪湖の周辺に4箇所の境内地を持っています。まず上社と下社に分かれ、諏訪市に上社本宮、茅野市に上社前宮があり、下諏訪町に下社春宮と下社秋宮があります。ご祭神である諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、東国第一の軍神として坂上田村麻呂や源頼朝、武田信玄、徳川家康らの崇敬を集めました。

 室町時代の『諏訪大明神画詞』という文献によれば、平安初期に桓武天皇(781~ 806)の時代に「寅・申の干支に当社造営あり」と御柱祭についての記録が残されてい ます。起源については諸説様々ありますが、縄文時代の巨木信仰という説もあります。

 御柱そのものは、長さ約17m、直径1m余り、重さ約10トンの巨木。柱を山から里へ曳き出す「山出し」が4月に、神社までの道中を曳き、御柱を各社殿四隅に建てる「里曳き」が5月に、上社・下社それぞれで行われます。諏訪の人々は氏子として全精力を注いで16本(4社×4本)の柱を地区ごとに担当します。御柱祭にかける氏子の情熱は、昔も今も変わりありません。日本人の熱いエネルギーの高ぶり、神聖な熱狂にあふれた稀少な祭りといえるでしょう。

諏訪大社とは

諏訪大社とはイメージ

諏訪大社

諏訪大社(すわたいしゃ)は、長野県の諏訪湖の周辺に4箇所のお宮をもつ神社です。信濃國一之宮。神位は正一位。全国各地にある諏訪神社の総本社であり、 国内にある最も古い神社の一つとされております。諏訪大社の歴史は大変古く古事記の中では出雲を舞台に国譲りに反対して諏訪までやってきて、そこに国を築いたとあり、また日本書紀には持統天皇が勅使を派遣したと書かれています。

諏訪大社の特徴は、本殿と呼ばれる建物がありません。秋宮は一位の木を春宮は杉の木を御神木とし、上社は御山を御神体として拝しております。古代の神社には社殿がなかったとも言われています。つまり、諏訪大社はその古くからの姿を残しております。諏訪明神は古くは風・水の守護神で五穀豊穣を祈る神。また武勇の神として広く信仰され、現在は生命の根源・生活の源を守る神として御神徳は広大無辺で、多くの方が参拝に訪れます。

 

諏訪大社について

諏訪大社の話

諏訪大社のお話

御鎮座の年代、起源等の詳細については知るすべもありませんが、我国最古の神社の一つに数えられます。延喜式神名帳には南方刀美神社(みなかたとみのかみのやしろ)と記され、信濃国四十八座の第一にあり、当時既に信濃國一之宮として信仰されていたことがわかります。

明治四年に国幣中社に列格、同二十九年に官幣中社、大正五年に官幣大社に昇格し、終戦を迎え昭和二十三年に諏訪大社と改称致しました。

諏訪の信仰

諏訪の信仰

全国に分布する御分社は一万有余社を数えお諏訪さま、諏訪大明神と親しまれ、敬まわれつつ巾広い信仰を有し、御神徳の数々は枚挙にいとまがありません。古くからある信仰には風と水を司る竜神の信仰や、風や水に直接関係のある農業の守護神としての信仰が著名です。また水の信仰が海の守り神となり、古くからある港の近くには必ずと言っても良い程にお諏訪さまがお祀りされております。

神功皇后の三韓出兵や坂上田村麿の東夷平定にも神助ありと伝えられ、東関第一の軍さ神、武家の守護神とも尊ばれて来ました。精進潔齋を形だけする者より、肉を食べても真心込めて祈る者を救おうという諏訪大明神御神託や、浄瑠璃や歌舞伎の本朝二十四孝が世上に広まるにつれ、日本の屋根信州諏訪の地へとの参拝者も日と共に繁く、諏訪大明神の御神徳の厚きことが伺われます。

信濃國一之宮 諏訪大社(公式サイト) より抜粋

 引用元。

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君子蘭の花が2月に咲いてびっくりです。

2016年02月25日 | 花・草・木・生き物

ハイポネックスの肥料カプセルの力と陽当たりのおかげらしい。↑
  昭和62年まで住んでいた茨城県藤代町の家から持ってきたスパテイフィラム

 平成12年まで住んでいた広島市白島町のワンルームマンションから持ってきたテーブルやし

40年間ほど挿し木で代を重ねている月下美人

2年前に買ったメダカ10匹のうち2匹は元気です。

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おいしいなあ!紫山芋のとろろは!

2016年02月25日 | ある日の肴/夕食
とろろは小さいときからの好物だがこの紫山芋のとろろは特別にまろやかでおいしい。
薩摩ルーツの山芋が大分県国東半島で育ち、神戸で頂く。大切に保存してきたムラサキ山芋はやはりおいしかった!!
栽培された平川農園のオーナーさん、ありがとうございます。牛筋煮込みと蒸野菜(レンジでチン)も良かった。
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