集合時間が2時だったので鎌倉駅構内の蕎麦屋で腹ごなししてから改札を出ました。
面影があって思わずこれらの絵ハガキを購入してしまいました・・・。
今回の企画展には挿絵画家から出発して日本画家として名を成し93歳までの多くの作品が掲示されていました。
清冽から妖艶までの女性たち(ネットからコレクト)
美術鑑賞は従で鑑賞後の飲み会が主のような気がしないでもないが毎回の恒例の大きな楽しみだ(笑)。
高齢者施設を牢獄以下の場にする「拘束の神話」 認知症対策の遅れが目立つ日本 https://t.co/FkRubpXzzV
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【インタビュー】もし徴兵制が日本にあったら。石川慶と太賀が思い描く十年後の日本『十年 Ten Years Japan』 https://t.co/fQmkyNpexk
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長野 10月27日
緯度と経度が00分00秒で交わる地点を通称「ゼロポイント」という。長野県辰野町には本州中央の北緯36度と東経138度が交わるゼロポイントがあり、その付近には「日本中心の標」と「日本の地理的中心」と書かれた標柱が建つ。武居保男町長は26日、定例記者会見で観光振興や移住定住による人口増を狙い「日本のど真ん中 辰野町」を積極的にPRしていくと明らかにした。
町によると、9月に放映されたNHKの番組「チコちゃんに叱られる!」で辰野町が「日本の中心の中心」とされたことで「日本のど真ん中作戦」が一気に加速。参加者を募り、11月22日の第1回作戦会議を皮切りに12月まで3回開き、ロゴなどアイデアを出し合い今後の方針を決める。
武居町長は「行く先々で『何とかしろ』『もたもたしている場合ではない』との声を聞いた」という。日本一をうたうゲンジボタル同様ど真ん中戦略を町の強みとして展開し全国に知らしめることにした。
「『ど真ん中町』に改名します!」。こんなびっくりするような町長発言が躍る遊び心満載の町民回覧チラシも作った。町役場内のプロジェクトチーム会長、赤羽裕治まちづくり政策課長(55)は「日本の中心に住んでいる誇りを持ち、町を全国にPRしたい」とし、武居町長は「名刺にも大きく刷り込み、ど真ん中町で打って出たい」と意気込んだ。 【宮坂一則】
◎こうして地図を見ると、阿智胡地亭家のルーツ・諏訪と茅野もほとんど日本の真ん中にあることがわかった(笑)。老化のスピードは食事で変えられる? 20万人を診た権威が教える「老けない最強食」 #アンチエイジング #老けない最強食 https://t.co/Z2jXOUXHDU
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いつも電車は錦糸町・秋葉原方面に乗るので、たまには船橋・千葉方面に乗ってみようと二駅離れた小岩駅で降りてみた。
小岩出身の懐かしい小さな大横綱「栃錦」の銅像が小岩駅の構内にあった。☝
駅前から商店街が始まるのでゆっくり見ながら歩き出した。
パンと豆を扱っている店があって老夫婦が忙しく働いていた。
家で食べたが長年地元に鍛えられて生き延びた店らしく、まことに正攻法のまともな旨いもので感激した。
さつま揚げの店もあった。奥で盛んに揚げていた。
ネパールインド料理店サンサールがあったので昼食にした。
二人とも満足してナンは一枚持ち帰りにしたが、家に持ち帰ったナンは2歳児がおいしかったらしく時間をかけて全部食べてしまった。
商店街の端まで来たら都営バスのバス停があり京葉道路を通ってバスでも帰れることがわかったので乗って帰った。区役所本庁の前を通ることがわかった。
東京新聞:省庁、障害者求人で不適切条件 「差別」と抗議受け削除:政治(TOKYO Web) https://t.co/NdDvaLxrvO
お散歩会の目黒駅東口の集合時間は午後2時でしたが、一時間ほど前についてあたりをぶらぶらして昼食を駅前から少し入った裏通りの沖縄居酒屋で食べました。
働く女性の一人客が次々入ってきて沖縄そばなどをオーダーしていました。店内は広くゆったりしていてこの人たちは昼の常連さんのようで寛いで食事を楽しんでいました。
私は日替わり定食をオーダー。和肉定食の肉はたっぷりありました。
庭園美術館と自然教育園を歩いたあと目黒駅から歩いて5分ほどの居酒屋が開くのを待って、散歩会の面々は「目黒のサンマ(笑)」を一人を除いて堪能しました。
青魚はダメという人は必ずいて当然ですから。
焼きサンマ以外にもメニューは豊富で結構よく飲んで食べて、かなり歩いたせいか気持ちよく酔いがまわった状態で懇親会の部を終えました。
この飲み会も散歩会の楽しみの大きな半分かもしれません。
都内にこんな自然空間が残されているのに驚きました。Wikipediaから一部引用⇒「もともと江戸時代以前より屋敷などに使われた土地ではあるが、あまり人の手を入れていない状態が長く保たれたことで、人口密集地となる以前の東京都区内の自然の姿をうかがい知る貴重な場所となっている。その意味で同じ屋敷地をルーツとする隣地の東京都庭園美術館の手入れの行き届いた庭園としての姿とは好対照をなしている。」
◎歴史 Wikipediaから引用。⇒有史以来この地に人が住んでいたことが、園内より貝塚や縄文土器が発見されたことで確認できる。室町時代の頃、この地には白金長者と呼ばれる豪族が館を構えていたと考えられ、その名残の土塁が園内にみられる[1]。その後、江戸時代には高松藩主松平頼重の下屋敷として用いられた。明治時代に入ると陸海軍の火薬庫として使用され、一般人の立ち入りが禁止された。1917年(大正6年)に陸軍から宮内省帝室林野局に委譲され、白金御料地となった[1]。戦時中は田畑にされる、防空壕が掘られるなど荒廃が進んだ。戦後、以前から隣接する国立教育研修所が演習林として利用していた経緯などから文部省に移管される[1]。1949年(昭和24年)に全域が「旧白金御料地」として天然記念物および史跡に指定され、同時に「国立自然教育園」として一般公開された。1962年(昭和37年)に国立科学博物館附属自然教育園となった。
大正時代の文献によれば、かつてはモミ、スギ、マツといった針葉樹が林を形成していた。しかし、明治神宮造営のための大規模な移植や、近接道路からの大気汚染などから針葉樹は激減してしまい、現在は落葉広葉樹が主体の森となっている。
南青山の児相建設反対住民の醜悪な差別意識は他人事じゃない! 『月曜から夜ふかし』などの地域ネタも差別を生んでいる https://t.co/BX1BqBBf0A @litera_webさんから
— achikochitei (@achikochitei1) 2018年10月22日