阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

鏑木清方記念美術館には知った人がひっそりと佇んでいた。

2018年10月31日 | 関東あちこち
今月の三人会の個人美術館巡りシリーズの訪問先は鎌倉市にある鏑木清方記念美術館でした。



集合時間が2時だったので鎌倉駅構内の蕎麦屋で腹ごなししてから改札を出ました。

















面影があって思わずこれらの絵ハガキを購入してしまいました・・・。


今回の企画展には挿絵画家から出発して日本画家として名を成し93歳までの多くの作品が掲示されていました。
清冽から妖艶までの女性たち(ネットからコレクト)








美術鑑賞は従で鑑賞後の飲み会が主のような気がしないでもないが毎回の恒例の大きな楽しみだ(笑)。








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高齢者を縛らないと手が足りない!  そういう施設を放置する国、日本。

2018年10月31日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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神戸ぶらぶら歩きで寄ったお店。喫茶のラ・ポンペール、中華の老房、大衆割烹の安さんと朝食のグリーンベリー。

2018年10月30日 | 神戸あちこち
身内の神戸あちこち歩きの第4弾ラストです。喫茶のラ・ポンペール、中華の老房と大衆割烹の安さんは前から知っていて
朝食のグリーンベリーは初めてだったそうです。👇元町大丸の3階にある昔からあるラ・ポンペール。





三宮の山手の老房









元町大丸のレストラン街にある大衆割烹の安さん





JR三宮・ダイエー近くのオオバコのコーヒーチエーン店・グリーンベリー





それぞれ十分に楽しんで江戸川区に帰ってきたそうです。









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映画十年後の日本『十年 Ten Years Japan』、徴兵制が日本に出来たら。

2018年10月30日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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40年ぶりの日比谷公園はガーデニングショーで賑わっていた。

2018年10月29日 | 東京あちこち
ミッドタウン日比谷を出て日比谷公園に行くことにした。昭和54年ごろ南柏の会社のアパートから子供二人を連れて日曜日によく
金のかからない代々木公園や日比谷公園に弁当を持って家族で来ていた。当時より木が大きくなっていると感じたがまあ当然の歳月だ。










































松本楼で一休みと思ったらわが同世代の方々が列をなして入店を待っていた。諦めて次回にした。





この噴水の前で娘二人が歌って踊ったのはついこの間の事のような気がする(笑)。



いろんな催しをやっていて公園は賑やかだった。今度は孫を連れてまた来よう。






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東京ミッドタウン日比谷の中と外を一回り 関西うどんの店「NADABAN」の場所を紹介

2018年10月28日 | 東京あちこち
銀座8丁目でランチを終えてから高速と山手線のガードとをくぐり抜けて、帝国ホテル、東京宝塚劇場、日生劇場の前を通り
東京ミッドタウン日比谷へ行きました。店を出て7,8分の歩きでした。







2階からの日比谷公園



あいかたが友人と来るようなのでハル・ヤマシタさんの店でうどんと炉端焼きの阪神御影の店の名を踏襲した「NADABAN」の場所まで行きました。
時分時(じぶんどき)は過ぎていましたが若い女性が適度に入店していました。固定客もついたようです。

3階から下の広場を・・

東宝の映画館の前にはゴジラが東都を見下ろしていました。



振り向くとミッドタウン日比谷です。

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長野県辰野町、日本の中心「ど真ん中町」作戦展開中    毎日新聞

2018年10月28日 | SNS・既存メディアからの引用記事

長野 10月27日

 
日本のど真ん中PRに積極的に乗り出す長野県辰野町のチラシと武居保男町長=辰野町役場で2018年10月26日、宮坂一則撮影

 緯度と経度が00分00秒で交わる地点を通称「ゼロポイント」という。長野県辰野町には本州中央の北緯36度と東経138度が交わるゼロポイントがあり、その付近には「日本中心の標」と「日本の地理的中心」と書かれた標柱が建つ。武居保男町長は26日、定例記者会見で観光振興や移住定住による人口増を狙い「日本のど真ん中 辰野町」を積極的にPRしていくと明らかにした。

 
 

 町によると、9月に放映されたNHKの番組「チコちゃんに叱られる!」で辰野町が「日本の中心の中心」とされたことで「日本のど真ん中作戦」が一気に加速。参加者を募り、11月22日の第1回作戦会議を皮切りに12月まで3回開き、ロゴなどアイデアを出し合い今後の方針を決める。

 武居町長は「行く先々で『何とかしろ』『もたもたしている場合ではない』との声を聞いた」という。日本一をうたうゲンジボタル同様ど真ん中戦略を町の強みとして展開し全国に知らしめることにした。

 「『ど真ん中町』に改名します!」。こんなびっくりするような町長発言が躍る遊び心満載の町民回覧チラシも作った。町役場内のプロジェクトチーム会長、赤羽裕治まちづくり政策課長(55)は「日本の中心に住んでいる誇りを持ち、町を全国にPRしたい」とし、武居町長は「名刺にも大きく刷り込み、ど真ん中町で打って出たい」と意気込んだ。  【宮坂一則】

◎こうして地図を見ると、阿智胡地亭家のルーツ・諏訪と茅野もほとんど日本の真ん中にあることがわかった(笑)。
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銀座8丁目、コリドー街前の「ベルジアンブラッスリーコート アントワープシックス」でランチ。

2018年10月27日 | 食べる飲む
10月某日、預けた腕時計の電池の蓋の取り付けが終わりましたと銀座7丁目のSwatch店から電話があった翌日取りに出かけた。
受け取ったあと時分時(じぶんどき)だったのでコリドー街の方に歩いてミッドタウン日比谷と日比谷公園に行く前に昼食にした。















ベルギービールが飲めるクラシックな感じのレストランに入った。



お昼のセットメニューのお代は1000円だった。そして選んだビールは950円だった(笑)。
(レフ・ブラウン 樽生 、大麦を焙煎して、深い茶色を造りだしたフルボディなビール。熟したフルーツとキャラメルのようなフレーバー。Alc.Vol.6.5% )

「銀座で千円以下のランチ」という物差しであいかたが検索した店だが、ゆっくりと過ごせるいい店だった。

それぞれが文句のつけようがないレベルの調理内容だった。




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20万人を診た権威が教える「老けない最強食」 老化のスピードは食事で変えられる?

2018年10月27日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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小岩の商店街をぶらぶら 知らなかったけどいい店が沢山

2018年10月26日 | 東京あちこち

いつも電車は錦糸町・秋葉原方面に乗るので、たまには船橋・千葉方面に乗ってみようと二駅離れた小岩駅で降りてみた。
小岩出身の懐かしい小さな大横綱「栃錦」の銅像が小岩駅の構内にあった。☝
駅前から商店街が始まるのでゆっくり見ながら歩き出した。



パンと豆を扱っている店があって老夫婦が忙しく働いていた。



家で食べたが長年地元に鍛えられて生き延びた店らしく、まことに正攻法のまともな旨いもので感激した。

さつま揚げの店もあった。奥で盛んに揚げていた。





ネパールインド料理店サンサールがあったので昼食にした。











二人とも満足してナンは一枚持ち帰りにしたが、家に持ち帰ったナンは2歳児がおいしかったらしく時間をかけて全部食べてしまった。

商店街の端まで来たら都営バスのバス停があり京葉道路を通ってバスでも帰れることがわかったので乗って帰った。区役所本庁の前を通ることがわかった。





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応募資格に「自力で通勤できる」「介護者なしで業務遂行が可能」との条件を付けていた中央官僚たち  障碍者求人

2018年10月26日 | SNS・既存メディアからの引用記事


 


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港区白金台の東京都庭園美術館と国立科学博物館付属自然教育園を歩いた。  その3/全3  昼食と目黒のサンマ篇

2018年10月25日 | 東京あちこち

お散歩会の目黒駅東口の集合時間は午後2時でしたが、一時間ほど前についてあたりをぶらぶらして昼食を駅前から少し入った裏通りの沖縄居酒屋で食べました。

働く女性の一人客が次々入ってきて沖縄そばなどをオーダーしていました。店内は広くゆったりしていてこの人たちは昼の常連さんのようで寛いで食事を楽しんでいました。

私は日替わり定食をオーダー。和肉定食の肉はたっぷりありました。

庭園美術館と自然教育園を歩いたあと目黒駅から歩いて5分ほどの居酒屋が開くのを待って、散歩会の面々は「目黒のサンマ(笑)」を一人を除いて堪能しました。
青魚はダメという人は必ずいて当然ですから。



焼きサンマ以外にもメニューは豊富で結構よく飲んで食べて、かなり歩いたせいか気持ちよく酔いがまわった状態で懇親会の部を終えました。
この飲み会も散歩会の楽しみの大きな半分かもしれません。












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港区白金台の東京都庭園美術館と国立科学博物館付属自然教育園を歩いた。  その2/全3 国立科学博物館付属自然教育園篇

2018年10月24日 | 東京あちこち

都内にこんな自然空間が残されているのに驚きました。Wikipediaから一部引用⇒「もともと江戸時代以前より屋敷などに使われた土地ではあるが、あまり人の手を入れていない状態が長く保たれたことで、人口密集地となる以前の東京都区内の自然の姿をうかがい知る貴重な場所となっている。その意味で同じ屋敷地をルーツとする隣地の東京都庭園美術館の手入れの行き届いた庭園としての姿とは好対照をなしている。」





















































◎歴史 Wikipediaから引用。⇒有史以来この地に人が住んでいたことが、園内より貝塚や縄文土器が発見されたことで確認できる。室町時代の頃、この地には白金長者と呼ばれる豪族が館を構えていたと考えられ、その名残の土塁が園内にみられる[1]。その後、江戸時代には高松藩主松平頼重の下屋敷として用いられた。明治時代に入ると陸海軍の火薬庫として使用され、一般人の立ち入りが禁止された。1917年(大正6年)に陸軍から宮内省帝室林野局に委譲され、白金御料地となった[1]。戦時中は田畑にされる、防空壕が掘られるなど荒廃が進んだ。戦後、以前から隣接する国立教育研修所が演習林として利用していた経緯などから文部省に移管される[1]。1949年(昭和24年)に全域が「旧白金御料地」として天然記念物および史跡に指定され、同時に「国立自然教育園」として一般公開された。1962年(昭和37年)に国立科学博物館附属自然教育園となった。
大正時代の文献によれば、かつてはモミ、スギ、マツといった針葉樹が林を形成していた。しかし、明治神宮造営のための大規模な移植や、近接道路からの大気汚染などから針葉樹は激減してしまい、現在は落葉広葉樹が主体の森となっている。

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南青山の児相建設反対住民の醜悪な差別意識

2018年10月24日 | SNS・既存メディアからの引用記事


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神戸三宮センター街のドンク本店でモーニングを楽しむ。

2018年10月23日 | 神戸あちこち
身内の神戸あちこち歩きの第3弾です。旧居留地のホテルから三宮センター街のドンク三宮本店に行って、9時半開店早々の2階喫茶室でモーニングを楽しんだそうです。



パストラミポークとトマトのカスクート

フレンチトースト・サレ













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