☆そうか伊良部はアメリカへ行った朝青龍だったのか。
いやそれだけではない、伊良部が死んだのは日本の野球界に内在する自尊感情のなさが原因? 読んでいくうちに、それは日本の社会で生きている人間皆にそのことが通じるように思った。
自分で自分を卑下しない人間、自分で自分を「ワシ結構やるやんか」と思っている人間は、他人を苛めたりはしない。 日本社会ではそう思って暮らしている人間の数が、今は猛烈に少なくなってしまっている?
それにしてもなでしこジャパンに対する中田英寿の言葉はいい。人間の思いは確かに言葉に表れるものだ。
「伊良部秀輝氏の死をムダにするな」
冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ) 作家。ニュージャージー州在住
伊良部秀輝氏の死を 慟哭とでも言うしかありません。
まさか亡くなるとは、というのが実感です。元千葉ロッテ、ニューヨーク・ヤンキースの投手であった伊良部秀輝氏については、
西海岸で飲食店を経営していたが決して上手く行っていなかったとか、40歳に手が届く中で、日本の独立リーグに挑戦しようとしたなどというニュースは聞いていました。
ですが、一時期は日本の球界を代表するエースであり、ヤンキースでも二年間フル先発ローテーションの一角を守り、
トーレ監督率いる常勝の「ダイナスティ」確立に貢献した実績は球史に残るものに他ならないと思います。
その伊良部氏が、自殺と伝えられる孤独な死の果てに、他でもないワールドシリーズのチャンピオンリングと、メジャーリーグ選手会の会員証によって、
本人と確認されたというのを聞いて、私は何とも言えない気持ちになりました。慟哭というのはそういうことです。
伊良部氏の辿った道のり、とりわけヤンキース時代の栄光の二年間に関しては、この欄で「伊良部と朝青龍の悲劇」というタイトルで詳しくお話ししていますので、
そちらを見ていただきたいと思います。ちなみに、そのピッチングスタイルは、ストライクを先行させ、ムダなボールを投げないメジャーとして堂々たるものだったことは、
改めて確認をしておきたいと思います。
ところで、この「伊良部と朝青龍の悲劇」というコラムの主旨はどんなものだったかというと、それほど複雑な議論ではありません。
要は、この二人は異文化コミュニケーションにおける誤解の連続という立場に追い込まれ、折角の実力と才能がありながら、
スポーツへの取り組み姿勢やトラブルに対する自分の真意を、地元のファンに対して申し開きができなかった、それが悲劇だという理解でした。
伊良部氏のヤンキース時代というのは、今は亡きジョージ・スタインブレナー氏というクセのあるオーナーに「高給を払っているのに活躍できていない」と
常にブツブツ文句を言われ、ファンもそれに追随する中で、ワールドシリーズでは一球も投げさせてもらえないなどの屈辱を味わったのでした。
その原因は、言葉で自分のチームへの思いや野球への愛、ファンへの感謝を語る機会がないままに、悪役イメージが作られてゆくのを止められなかったという「悲劇」にあった、
それは正に朝青龍関に起きたことと同じだ、というのが私の理解でした。
ですが、今回の突然の訃報に接して思ったのは別のことでした。伊良部氏は、異文化コミュニケーションの「はざま」で苦闘し、死んで行ったのではないと思います。
では、氏を孤独な死に追いやったのは何なのでしょうか? 私は、日本の野球文化に遠因があるように思えてならない、そんな風に思います。
何が問題なのでしょうか?
日本の野球文化は、一球一球投げるごとに、打つごとに、自分の中に自尊感情が高まってゆくようには出来ていないように思います。
その結果として、元から自尊感情が高い一種の才能に恵まれている選手を別として、どうしても精神的に「与える側」に回る強さではなく
「追い求める」弱さが残って行ってしまうのではないか、伊良部氏は、そのようなカルチャーに最終的には殺されたのではないか、そんな風に思えてならないのです。
例えば、高校野球では硬直化した「先輩後輩カルチャー」が暴走して、暴力沙汰になることが時折聞かれます。
これこそ「弱さ」の証明以外の何物でもありません。先輩部員は強いから暴力で支配しようとするのではありません。
自尊感情がプラスであれば、後輩に対して厳しい中にも効果的な指導を工夫したり、率先垂範、つまり「プラスの価値を伴う行動を見せつけて人を動かす」ことができるわけです。
ですが、自尊感情がマイナスだと、どうしても後輩が服従してくれることが満足になったり、崩壊したリーダーシップしか示せないことになります。
練習のスタイルにもそうした面があります。ボロボロになるまで練習させて、疲労感という肉体的苦痛が達成感と自信になるというような
メンタルのコントロールをやるカルチャーがありますが、他のスポーツでは、そんな原始的な方法論の無効性は知られているのではと思います。
究極は、名誉の概念が前時代的なことです。
甲子園の高校野球の季節になりましたが、勝利校がホームベースを占領して、敗者を脇に追いやり、勝利校の校歌を凱歌として鳴らすというのは、
何とかならないものでしょうか? 勝利という結果では満足できず、勝者は支配者的な名誉確認の儀式を更に必要とするというのは精神的な脆弱性としか思えません。
例えば、日本のプロ野球選手会では、参加報酬をめぐってWBCをボイコットするという動きがありますが、この辺りにも、精神的な名誉を感じる能力とか、
ディフェンディング・チャンピオンの自覚と誇りのカケラもない、要するに精神的な脆弱性を感ずるのです。
そうした脆弱性はどうしてダメなのか、この点に関しては「なでしこ」の精神的雄姿を見れば一目瞭然ではないでしょうか?
W杯決勝という大舞台で敵の猛攻に耐えながらも冷静さを失わず、先行を許しても「まだまだ行ける」と声を掛け合った強靱さ、
何よりもPK戦の直前という下手をすれば地獄のような緊張感に負けそうな時間帯に、キラキラと輝くような笑顔で円陣を組んでいた彼女等の姿、
そうした輝きは日本の野球文化にはなかなか見られないものです。
例えば、勝利の瞬間にアメリカチームに駆け寄ってお互いの健闘を讃えた、宮間選手のような行動こそ、日本の野球文化は参考にして行って欲しいと思うのです。
サッカーと言えば、男子の選手などは良く「強い気持ちで」頑張るんだ、みたいな言い方をします。個人的には何となく精神的に弱いと言っているようで、
格好悪い印象があるのですが、考えてみれば、野球界では「強い気持ちで」というフレーズ自体サッカーと比べると聞きません。
校歌の話に戻りますが、例えば今年の甲子園の高校野球では、少なくとも被災三県の代表校の試合では、試合開催前に「両校校歌の合唱」をやったら良いのではないでしょうか?
そうすれば、勝者に凱歌をあげさせるカルチャーの野蛮と貧困が明らかになろうというものです。
野球の儀式といえば、プロ野球ゲームの始球式に「なでしこイレブン」のメンバーを呼ぶ球団があるようですが、
そのこと自体は女子サッカーの地位向上の機会として彼女等は目的意識をもってやっているのだと思います。
ですが、少なくとも選手たちは、自分たちには欠けている高い精神性のカルチャーを持った彼女等のヨコでニヤニヤ立っているのは止めてもらいたいと思うのです。
その意味で、「なでしこ優勝」のニュースを聞いて開口一番「うらやましい」と言ったという中田英寿氏はさすがだと思います。
自分の無念をバネに、W杯優勝の価値に男女の差の全くないことをメッセージとして込めた素晴らしい賛辞でした。
こうしたことがスッと言えるというのは、何とも言えない中田氏のカッコ良さですが、その背景には「強い心」がなくては歯が立たないというサッカーのカルチャーがあるわけです。
そう考えると、なでしこイレブンや中田氏の持っている「強さ」や「カッコ良さ」の、ある意味では対極にある孤独で辛い場所に伊良部氏は追い詰められて行ったのだと思います。
私には、それを個人の資質の問題にはどうしてもできません。「一球ごとに自尊感情が高まることのない」日本の野球文化が、この類い稀な大投手を追い詰めたのです。
少なくともその昔、鉄拳制裁などという精神の脆弱性そのもののカルチャーを広めた星野仙一氏から「本当は繊細なヤツ」などというコメントが出るのには違和感があります。
同氏は「投手というものは」という言葉を加えて一般化していますが、もっと正直に「自分も」という反省をつけてもらいたいと思うのです。
訃報に接して、ヤンキース球団は「伊良部投手はファミリーの一員」という声明を出しました。死者に鞭打つことをしない礼節だけの言葉ではないと思います。
今は取り壊された旧ヤンキースタジアムのマウンドで、二年間ローテを守り、二度の月間MVPを含む素晴らしいピッチングを残した実績は不滅だからです。
---------------------------------------------------------------------------- 冷泉彰彦(れいぜい・あきひこ) 作家。ニュージャージー州在住。1959年東京生まれ。東京大学文学部、コロンビア大学大学院(修士)卒。著書に『9・11 あの日からアメリカ人の心はどう変わったか』『「関係の空気」「場の空気」』『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』などがある。最新刊『アメリカは本当に「貧困大国」なのか?』(阪急コミュニケーショ ンズ(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4484102145/jmm05-22 ) ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ●編集部より 引用する場合は出典の明記をお願いします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ JMM [Japan Mail Media] No.646 Saturday Edition ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 【発行】 有限会社 村上龍事務所 【編集】 村上龍 【発行部数】97,902部 【WEB】 ( http://ryumurakami.jmm.co.jp/ )
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