阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

報道カメラマン栗田格さんがご逝去されて昨日で4年が経ちました。

2024年09月28日 | 船橋社中

☝日本記者クラブ会報2020年10月号に掲載された報道カメラマン栗田格さん ご逝去の記事。

栗田さんは、1939年東京生まれ、1964年以来、タイム、ニューズウイーク、フォーチュン等、主に海外メディアで仕事。

1974年以来フランスのガンマ通信の日本代表をされました。

  世界の著名人のありのままの人柄が自然に表れている写真など、

栗田さん撮影の驚くほど多様な内容の「Photo Salon」 クリック⇒ Kaku Kurita Photo Salon


  栗田格さんは本ブログに掲載のシリーズ「 1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録」を撮影された写真家です。

阪神淡路大震災を記録したシリーズはこちらです。

栗田格さんフォーリン・プレスセンター(FPCJ)のインタビューを受ける      2014年9月2日掲載

 

一部引用・・

~ 自分は「報道写真家」ではなく「やじ馬」 ~

  -報道カメラマンの仕事を始めたきっかけは。

まず自分のことは「報道写真家」とは言わない。「やじ馬」だよ。「おじちゃんは、人の不幸でごはんを食べてるね」と知人の子どもから言われたこともある。

この仕事は、一般の人が見られないものをそばで見られるから、ちょっと間違えると偉くなったと錯覚を覚える、がそれは違う。

以前は、コマーシャルフォトグラファーをしていた。広告写真では、イラストやラフスケッチがあるので、自分の仕事はピントあわせてシャッターを押すだけで

つまらなかったが、その頃、広告写真の撮影現場で、本物のプロフェッショナルと出会った。

トップファッションモデルの入江美樹、当時16才、(小澤征爾氏の夫人)は、まさにプロフェッショナルと言える仕事をしていた。

僅かな撮影時間で撮った写真のどれを選んでも使えた。仕事をするのであれば、こうでなければと頭をガーンとなぐられたようだった。

全文はこちら


〇 記事「やじ馬人生50年」から

全文はこちら

栗田さん 長らくお付き合いいただき本当にありがとうございました。おかげさまで知らなかった世界を豊かに楽しませて頂きました。合掌。

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アーチスト「ムムリク」さんを偲ぶ   今日はムムリクさんの祥月命日です。

2024年01月21日 | 船橋社中
 









 
アーチスト ムムリクさんは2015年1月21日に旅立たれました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ムムリクさんへの最後のメール。でも今も日々メールが来るのを待っている自分。
         2014/12/21 18:06、
人間万歳のムムリクさん こんばんわ。
 船橋の姐さんが撮影したガーコの写真をブログに掲載したことで
姐さんとやりとりするなかで、ムムリクさんのことに触れたら
姐さんから、これはムムリクさんに転送すべしというお言葉が・・。
 姐さんに従順な辛好ですので転送します。

(転送したメール)→ 「On 2014/12/21, at 13:39,

ムムリクさんの去年今年は身近な方々とのお別れが続きました。
目の前のことにまっすぐ向かっていく生き方のムムリクさんだから
受け止めて対応出来たのだと思います。
 それでも心中は本当にしんどいと思います。とても真似はできません。
 ムムさんの笑顔を見ると、なんだかあの世もこの世も超越した人のような・・・、
しかも現生を精一杯楽しんで・・・
 今度お会いしたら手を合わせてナマステと言ってしまうかもしれません。
「電話でお話ししましたが ムムさんはとても、元気で明るかったです」と伺い本当に嬉しいです。辛好」引用終わり。

   ☆ このメールに対してムムリクさんから折り返しすぐに返信を頂きました。大切なメールになってしまいました。
そしてムムリクさんには1月27日のお別れの場でナマステと言うしかありませんでした。でもムムリクさんは間違いなく
彼岸と此岸を超越して「今も在る」ことを感じます。

 2013年12月1日京都法然院にて。
 
2017年07月17日 | 音楽・絵画・映画・文芸

ムムリクさんのHP, アート日記など。

◎ムムリクさん HP 
http://www.mumuryk.com/


◎アート日記 2007年よりスタートしています。

http://www.mumuryk.com/diary2015/diary.cgi


◎ムムリク絵画館 宮城県大崎
http://www.mumuryk.com/kaigakan.html

 

◎宮沢賢治記念館 KENJI MIYAZAWA MEMORIAL HALL
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/…/miyazawake…/p004116.html


◎English translation for THE STRONG IN THE RAIN
https://www.youtube.com/watch?v=v-xKyaRG0kg



 
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札幌も秋模様になりました。   野葡萄を見つけました。

2023年10月12日 | 船橋社中

船橋社中・札幌支社長のCKKさんから札幌便りが届きました。

⇒札幌ももうすっかり秋模様!!紅葉・黄葉にはもうちょっとかな、といった感じです。

昨日、とっても可愛い秋を切り取った写真を我が家のカメラマンが見せてくれました。

野葡萄です。私もすぐに現地に行って見て、スマホに撮ってきました。

 私は初めて目にして、その可愛さにもうビックリ、すっかり虜になりました。

宝石のようです!!ご存じでした??

遠くから見ると全く分かりません。近くづかないと、見過ごしてしまいます。

近くに寄ってみると、こんな感じです!!

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ARTIST MUMURYKさん 追悼ページ。

2022年01月21日 | 船橋社中
ARTIST, MUMURYK さんの追悼ページを作りました。                                  制作・編集 栗田澄子 

 宮沢賢治の有名な雨ニモマケズへのムムさんの絵は素敵です。ムムリクさんは宮沢賢治の精神世界に感応して作品を制作していたような気がします。 

下のHP等で、沢山のムムリクさんの作品を見て頂きたいです。また、アート日記を読むと彼女独自の個性と独特の感性や才能が浮かび上がってきます。

Mumuryk (Keiko Yuhara 1959 - 2015) was a painter and illustrator. She was born in Iwate Prefecture, northern Japan.
Starting painting as a 4-year-old, she aimed to be a painter at the age of 14. 

She created many oil and water paintings, engravings and reliefs,
and her works were also seen in books, magazines, posters, and advertisements.
Of these, a series of works greatly influenced by Kenji Miyazawa, a Japanese poet and author of children’s literature are noticeable.

As for Mumuryk, one of the interesting things is that a minor planet was named (12362) Mumuryk by the Minor Planet Center
(The International Astronomical Union),
which had been triggered by posters she drew for the Japanese International Space Station.

宮沢賢治の代表作、銀河鉄道の夜は、英語でも出版されている

実践保育シーリーズ6巻の表紙は、パワフルで、楽しい。

First meeting with MUMURYK in 2003.

東京ビッグサイト、日経新聞主催アートショーのブースで初めてムムリクさんに会いました。

誰も真似が出来ない、線と絵の面白さにが~~~~んと大きな印象を受けました。人を幸せにする作品です。

 
 
 
 MUMURYKさん 最後の京都の法然院での作品   2013年11月
 
京都 法然院の「悲願会」(東日本大震災で他界された一切衆生の成佛を願い、
生きとし生けるものへの慈悲の想いを実践し、被災者の方々に心を重ね、
復興に関わり続けている会)に作品展示に参加、最後の作品発表になりました。
 
 
ムムリクさんが、2015年1月に亡くなって 3月に八王子で、追悼展を伊藤周太さんが、
開催しました。ムムさんの作品を見て本当に感動が多く、残念に思います。
沢山の人に愛れ、多くの作品を制作、多くの仕事をこなし、風の様に飛びさったムムさん、
パワーは沢山頂きました。有り難うございました。

MUMURYK MEMORIAL EXHIBITION IN HACHIOJI, TOKYO
 

ムムリクさんのHP, アート日記など。

◎ムムリクさん HP 
http://www.mumuryk.com/


◎アート日記 2007年よりスタートしています。

http://www.mumuryk.com/diary2015/diary.cgi


◎ムムリク絵画館 宮城県大崎
http://www.mumuryk.com/kaigakan.html

 

◎宮沢賢治記念館 KENJI MIYAZAWA MEMORIAL HALL
http://www.city.hanamaki.iwate.jp/…/miyazawake…/p004116.html


◎English translation for THE STRONG IN THE RAIN
https://www.youtube.com/watch?v=v-xKyaRG0kg

 
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芭蕉 自筆の(ふる池の・・)の短冊を鑑賞することも出来て感激した。  永青文庫の「柿衛文庫名品による芭蕉」展にて。 

2021年11月26日 | 船橋社中

船橋社中の社主さんからお誘いがあって永青文庫に行って来た。社主さんとは2019年4月click以来の顔合わせだった。

長くお会いできていなかった社主さんは お元気そのもので積もる話を交わしながらの楽しい道行だった。

我々は西船橋の東西線改札で待ち合わせて 東西線の「早稲田」駅から車で文庫に向った。

柿衛文庫のコレクションだから、いつもなら兵庫県の伊丹市まで行かないと観ることが出来ない「芭蕉翁が自ら」したためた

「ふるいけや かはづとびこむ みずのおと はせを」の短冊を目に出来て本当に感激した。この句自体は1686年に作句されている。

今から330年ほど前に書かれた芭蕉翁自らの墨蹟を目の前にするとしみじみと文化の歴史の中に自分もいるような気がする。

 

今回は利用しなかったが ついこの間テレビドラマ「和田家の男たち」clickを見ていたら たまたま作中の和田優ー相葉雅紀が登っていた

坂のロケ地になっていた「胸突坂」は永青文庫に歩いて来るときにこれまでに何回か登った坂clickだ。☟

見終わって近くの椿山荘に12:40頃ランチに向ったが、椿山荘ホテルのエントランスで問うと14:30まで全てのレストランは予約客で満席だった。

止む無く教えてもらったすぐ近くのカフェに向ったが、思いがけない素敵なランチに巡り合えて 社主さん共々大満足の昼食になった。

 

野菜も販売している野菜主体のレストランは30分ほど待つほどの人気店だった。我々は野菜サラダランチをオーダーして

豊富な野菜に喜んだ。

緑の屋外スペースもあった。

 ひさしぶりに都心に出て、ああまた日常とは違う東京がここにあると感じながらの楽しいひと時だった。

社主さん お誘いありがとうございました。

 

 

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札幌 2021年 「真駒内公園」の紅葉・黄葉

2021年11月10日 | 船橋社中

    待ち望んでいた札幌の秋の紅葉と黄葉の画像が今年も船橋社中の札幌支部長CKKさんから届きました。

☞「10月30日に真駒内公園に出かけ、ちょっと遅かったのですが、紅葉・黄葉を写真に収めました。

今年は夏の高温がついこの間まで続き、急に温度が下がったので、紅葉・黄葉は例年になく綺麗では、とむしろ期待していたのですが、

実は夏の高温が紅葉の色素生成に影響したとのことで、特にななかまどの紅葉が全く目立たず、残念でした。

下にいくつかの写真をご紹介しますが、いつものような深紅の色合いがないことにお気づきになられることと思います。

温暖化が進む中、紅葉・黄葉が見られなくなるのも、そんなに遠い先ではないのかもしれませんね (๑˃̵ᴗ˂̵) 」

  真駒内公園の散策路の入り口です。☝

 

  

  

 

ララ~です。

  

 

 

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アマリリスってこんなに美しい花だった!

2021年03月23日 | 船橋社中

3年間 丹精込めて栽培してきて迎えた今年、栽培主の愛情にアマリリスが応えた!!  船橋ガーデンさん出展。

アマリリス Wikipediaから一部引用

原種は中南米西インド諸島に約90種があり、数百種類の園芸品種が作出され、現在もその数は増え続けている。

地中に鱗茎を形成する多年草で初夏にユリに似た基本的に六弁の大きい花を2 - 4個つける。花の色は白・赤・薄紅・淡黄など。現在販売されている球根には八重咲きのものも多い。

また、通常の花は横向きだが、上を向いて咲く受け咲き種、香りのあるものも作られている。

18世紀初頭に南米からヨーロッパに生体がもたらされた後、1799年にイギリスの時計職人アーサー・ジョンソン(Arthur Johnson)の手により ヒッペアストルム ヴィッタツム Hippeastrum vittatum(和名ベニスジサンジコ) とヒッペアストルム レジナエ H.reginae (和名ジャガタラズイセン)が交配され、最初の種間交配による園芸品種ジョンソニー Hippeastrum × johnsonii が誕生する。

春植え球根の代表種であり、こぶし大の球根は成長が早く4月に植えると1ヶ月後には開花する(例外的にシロスジアマリリス Hippeastrum reticulatum var. striatifolium 等、秋に咲くものも存在する)。植え付け、植え替えはソメイヨシノが散る頃が適期である。

ヒガンバナ科のほかの植物と同じく、球根などにリコリンを含み有毒

アマリリス

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 ふたりで来たヒヨドリ            新「小鳥の食事便り」from船橋   その4

2021年01月18日 | 船橋社中

船橋社中の社主さんからの画像付きメール⇒「何度もヒヨが来ますがすぐには、窓は開けられません。あっという間にバイバイでして去っていきます。
今日のヒヨは二人ですぐ近くにまで来たのですが、ベランダには一緒には来ないです???」

 

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ヒヨドリの今日のメニューはりんご! 新「小鳥の食事便り」from船橋   その3

2021年01月11日 | 船橋社中

船橋社中の社主さんから⇒「今日のメニューは、リンゴ 半分づつ頂きました。
みかんは先ほど、買ってきました。とても甘かったです、ヒヨさんのご機嫌は当然かも。舌は、こえてます。
友達になれそうです。メジちゃんは見なかったです。メジちゃんにも来て欲しいな」

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いよいよヒヨドリ君も登場     新「小鳥の食事便り」from船橋 その2

2021年01月09日 | 船橋社中
一度はついばむだけついばんでさっさと去ったヒヨドリが再度戻ってきたそうです。
 
 
 船橋社中の社主さん⇒「このみかんおいしかったのか、カメラに良く撮ってもらいたかったのか???
みかん買ってきたから~~、サービス精神のある、義理と人情がある鳥の世界かしら?
 
阿智胡地亭⇒とっても表情豊かなヒヨさんで「わしゃ大満足じゃよ」と言っている感じですね。
鳥の世界にも義理と人情がありますね。 確かにそうだと笑ってしまいました。
  一回目の訪問のヒヨくん
  2回目のヒヨくん
 
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船橋からの「小鳥の食事便り」シリーズ 再び!

2021年01月06日 | 船橋社中

船橋社中の社主さんから待ち遠しかった小鳥便りを久しぶりに頂きました。

⇒「5日目にしてやっと、ゲット、人の気配にサッと飛び去ります。我慢比べ 根競べです。

ガラス越しはやはり、ガラスにピントがくるので、窓を開けて待ちました。毎日、リンゴとみかんで招待しました。ヒヨは注意深くてダメ もてなしがいるかも」

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メジロの朝食  報道写真家の栗田格さんが愛した小鳥たちの画像のうちから  

2020年12月31日 | 船橋社中

ある年の大晦日 報道写真家栗田格さんのお宅を訪ねたメジロ。

栗田さんは仕事を離れたプライベートタイムにも 美しいもの優しいものが眼前に現れると愛用のカメラのシャッター音がいつも聞こえたそうです。

 当時はメジちゃん、ヒヨちゃん、ス-ちゃんが、どーっと来襲していたそうです。

 メジロの逆上がり

メジロ満腹

 この3枚の画像は栗田さんのデスクトップに残されていました。

栗田格 報道写真家は本年9月27日に逝去されました。こちら⇒栗田さん

 

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船橋桃源郷の冬  

2020年12月19日 | 船橋社中
春夏秋冬の季節の中にある船橋桃源郷の冬の景色です。
 
船橋社中の社員にとっても とても大切な原風景の一つです。
 
この広い調整池の敷地の中で 沢山の動物や花や枝葉の命が生まれて育って 咲いて 去っていきました。
 
 今の季節は多くの命がこのシーンの中で次の春の饗宴に参加しようとじっと地下で待っています。
 
 鳥たちの餌になった 柿の実がわずかですが枝に残っているのに気が付きました。
 
 社主さん 9年間 目にしてこられた景観の一つですね。懐かしい日本の原風景でもあります。
 
春の船橋桃源郷⇒こちら。
 
 
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今年の北海道/札幌/真駒内公園の紅葉・黄葉がひときわ見事

2020年11月04日 | 船橋社中

船橋社中の札幌支部長 CKKさんから今年も真駒内公園便りが届いていました。阿智胡地亭は入院中に頂いたメールでも目を楽しませて頂きました。

⇒「今年の真駒内公園の紅葉・黄葉です。今年は寒暖の差にメリハリがあったような気がします。

そんな訳で、赤(紅)の色が例年に比べより鮮やかな感じがしています。

今年も真駒内公園の紅葉・黄葉を楽しんでいただけましたら、嬉しいです。

 

 ◎ありがとうございました。真駒内公園 本当に見事なものですね。新聞テレビの報道によると

台風が今年は一度も日本列島を直撃しなかったことも全国の紅葉黄葉にとっても良かったようですね。

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報道写真界の巨星墜つ        報道カメラマンの栗田格さんが9月27日ご逝去された。

2020年09月28日 | 船橋社中

写真家 栗田格さんの50周年写真展、 日本記者クラブで開催中!          2013年8月9日掲載

 

 本ブログにも再々登場して頂いている「報道写真家、栗田 格さん」は、報道写真の世界に入って今年で50年になるそうです。その集大成の写真展が7月29日から開催されています。場所は日比谷公会堂の前にある、日本プレスセンタービル 九階の「日本記者クラブ」。 世界のこの50年の歴史をビジュアルに感じる写真展です。
 是非お立ち寄りください。『日本記者クラブ』ってどんなところかもちらっと覗けますよ。
栗田さんは、1939年東京生まれ、1964年以来、タイム、ニューズウイーク、フォーチュン等、主に海外メディアで仕事。1974年以来フランスのガンマ通信の日本代表。
 ◎下の号の日本記者クラブ会報の表紙写真は、栗田さん撮影の写真です。
 
  栗田格さんは本ブログのシリーズ、「 1995年1月17日 阪神淡路大震災の記録」を撮影された報道写真家です。もう7年ほどお付き合いをさせてもらっています。
阪神淡路大震災を記録したシリーズはこちらです。

 世界の著名人のありのままの人柄が自然に表れている写真など、栗田さん撮影の驚くほど多様な内容の「Photo Salon」 クリック⇒ Kaku Kurita Photo Salon


栗田格さんフォーリン・プレスセンター(FPCJ)のインタビューを受ける      2014年9月2日掲載

 

一部引用・・
~ 自分は「報道写真家」ではなく「やじ馬」 ~
   -報道カメラマンの仕事を始めたきっかけは。
まず自分のことは「報道写真家」とは言わない。「やじ馬」だよ。「おじちゃんは、人の不幸でごはんを食べてるね」と知人の子どもから言われたこともある。

この仕事は、一般の人が見られないものをそばで見られるから、ちょっと間違えると偉くなったと錯覚を覚える、がそれは違う。

以前は、コマーシャルフォトグラファーをしていた。広告写真では、イラストやラフスケッチがあるので、自分の仕事はピントあわせてシャッターを押すだけで

つまらなかったが、その頃、広告写真の撮影現場で、本物のプロフェッショナルと出会った。

トップファッションモデルの入江美樹、当時16才、(小澤征爾氏の夫人)は、まさにプロフェッショナルと言える仕事をしていた。

僅かな撮影時間で撮った写真のどれを選んでも使えた。仕事をするのであれば、こうでなければと頭をガーンとなぐられたようだった。

全文はこちら


〇 記事「やじ馬人生50年」はこちら

■ 栗田さん 長らくお付き合いいただき本当にありがとうございました。おかげさまで知らなかった世界を豊かに楽しませて頂きました。合掌。

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